第3話

およねとお稲


近江屋に戻った心太は、番頭さんに隠居所に顔を出さねばならない事を告げると、番頭さんもそれでは仕方ないと言ってむすりと頷いた。

「ご隠居様只今戻りました。」

訪いをして障子に手を掛けると、中からおとめが顔を出して

「しぃ」と指を口元に当てる。


ご隠居様は、お昼寝中らしい。

では、後でと小さく言って立ち上がると、中から「起きてるよぉ」といかにも寝起きの声がした。


おとめと目を合わせてふっと微笑んでから居住まいを正して

「只今戻りました。」と言いなおす。


「ちょっと待っとくれよ」

ガサゴソと居住まいを直す音がしばらく聴こえて、おとめが内側からすっと障子を開けて頷く。

心太と入れ替わりにおとめは出て行った。

おとめはいつもの勢いからは想像も付かないけれど、怖がりで昨日の話の続きが恐ろしい事になりそうだと判断したのか、聞きたくないのだろう。


ご隠居様は、自ら茶を入れながら、「向かいの越後屋のお玉ちゃんが下りものだと言って、お裾分けに持ってきた宇治のお茶だよ」とにこにこしながら心太に湯呑みを差し出す。

心太は、「とんでもありません。勿体ない叱られます。」遠慮するが、「お前が呑まなきゃ捨てるんだ。その方が勿体無いだろう」と言って嬉しそうにニヤリと笑う。いつだって心太に勝ち目は無い。

茶を飲むことなど、丁稚に毛が生えたくらいの心太には贅沢な話だ。押し頂いて、綺麗な緑の液体をぐびりと飲むと、

「冷めちまいましたね。面目ねぇ」と遠慮してる間に冷めてしまったのだ思いと謝ると、

「はっはっはぁっ」と口に手の甲を当てて、ご隠居様は上機嫌だ。

「心太、これは玉露と言って、ぬるいお湯で入れるお茶だそうだよ。甘いだろ。」

目をまん丸くして、かくかくと頷く心太を見て、またご隠居様は嬉しそうだ。

「甘くたって色が綺麗だってこんな気の抜けた茶より、舌が焼けるような番茶の方が私には美味しいと思ってしまうのは、京の都からしたら間の抜けな話なのかねぇ」とにやにやしながら、

「もう一杯飲むかい」と勧めてくる。

ご隠居様は、手を替え品を替えて心太を吃驚させて楽しんでいるのだ。


「さぁ、始めとくれ。」



吉平長屋のおよねは、妹の稲の家で風呂敷を広げてお仕着せを出しながら、さっき会ったお内儀の事を聞かせた。

稲は、そんな事より注文の品が滞りなく納品出来るかが気になって心ここに在らずだ。

生返事を打ちながら、縫い上がりを一枚一枚丁寧に点検しながら、全てを見終わると、ほっとして「やっぱり姉ちゃんに頼んで良かった。腕はあたしより上だよね」とにこやかだ。

「当たり前じゃないか。あんた誰にお裁縫を教わったんだい。」

と言っていると、

「姉ちゃん、手伝ってもらったのに手土産まで頂いちゃっていいのかい。」とお盆に白湯と小皿に小さな菓子を乗せて来た。

「何言ってんだい。持ってきてないよ、、」と

お盆の上に乗っている菓子を見た途端におよねは、固まってしまった。

「お持たせですが。」と稲は、うやうやしくおよねの前に白湯と菓子の乗った盆を置く。

「ひっ」と足を崩して後退りする姉を見て、稲は驚く。

「どうしたんだい姉ちゃん。幾ら梅鉢のお菓子が高級だからってそんなに謙らなくたっていいじゃないか。もらい物かい?」

「う、梅鉢って言うのかいその菓子は?」

「違うよ、回向院の門前町にある『梅鉢』っていう菓子屋の梅の香っていう、その店を大きくした流行りの落雁さ。」と大きな口を開けてぱくりと一口に落雁を頬張った。

「やだ、落雁を一口でなんて行儀の悪い」と言いかけて

「いやいやいや、そうじゃなくて、あんた食べちまったね。」

仄かに梅の香りのする薄桃色の落雁をうっとりと口の中で味わっていたお稲は、姉の言葉にびくりと振り向いた。

「ありゃ、これうちに持ってきたもんじゃ無いのかい⁈何処かへ持って行くのかい?」と目を白黒させて呑み込んだ物を吐き出そうと舌まで出している。


「やだね、呑み込んだ物は吐き出さないどくれ。」顔をしかめておよねは、ため息をつく。

「ごめんよ姉ちゃん一回食べてみたかったもんだから、がっついちゃって、一個ならあたしにも買えると思うから今から走って買って来るよ。」

と涙目になって前掛けを外して立ち上がる稲の腕を慌てておよねは、掴んだ。

首を横に振りながら、力なくおよねは、

「違うんだよ。いいから話を聞いとくれ。」

と稲を座らせて、先程会った内儀さんの話をもう一度噛んで含むように語り出した。


昔、長屋に居た当時と同じ綺麗な顔のまんまのお内儀さんに、来る時ばったり会ったこと。昔そのお内儀さんに時折その「梅の香」というお菓子を貰っていた事を話すと。

「やだ、あたし死んじまうのかい。」とお稲はやおら膝立ちになり首を両の手で掴みながら、さっきよりも激しくげぇげえと吐き出そうとする。

「もう、やめとくれ。まだ化け物と決まった訳じゃ無いだろうよ。食べちまった物は諦めな。美味かったんだろ?」

稲は涙目になりながら、味を思い出だして唾をごくりと飲んだ。

「うっうっう、美味しかったねぇ。」とポロリと大きな涙を流した。

ぼぉんと寺の時の鐘が鳴ったので、とりあえず、出来上がったお仕着せを二人で手分けして背負って一丁先の紅谷に届けた後、件の「梅鉢」へ行ってみようと言う事になった。

無事品物が収まって、品が良かったのと、無理な納期に間に合わせたこともあって破格な手間賃を貰ったにもかかわらず、稲は梅鉢に向かう間もずっと、ずずぅっと鼻をすすりなが下を向いて歩いている。

どん。

お稲はおよねの背中にぶつかり、たたらを踏んで前を見る。

姉が梅鉢の入り口を食い入るように見つめて突っ立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る