第13話 地獄の入口とケルベロス
「カミィ、さきほどナリキンが『地獄の入口をのぞいた』と言っていましたが?」
ちょっと、いえ、かなり気になったので聞いてみた。
「えぇ、こやつが持つオーラは人が持つものにしては禍々しすぎます。たぶん、地獄の入口を直接のぞいてしまったのでしょう」
カミィは渡会君を抱えたままこちらを向いた。渡会君は微かに震えながら大人しくしている。
「地獄の入口って……そんなものが」
「地獄の入口をきちんとふさいでおくのは最長老の役目のはずです」
「ちょっと、待ってください。それは本当ですか?」
最長老のリヨンがあわてて口をはさんできた。
「何を言っている? 最長老の記憶を引き継いだ時に『言い伝えの書』と『地獄の入口』については特に念押しされたはずだが?」
「記憶が失われています……」
「ん、なぜ?」
「随分前、1900年ほど前にマナが少なくなって、世界が失われる危機があったはずです……」
「1900年? 危機? うーん。あぁ、そういえば……かなり前に体が小さくなっていった時があったな……あの頃か? このまま土に溶けていくのもいいな……と思い、花も咲かないので随分長く土のなかで眠ってしまっていたが……あの後、目がさめた後の花は今までになく美しかった……世界が失われる? そんな事があったのか?」
「のんきなことを……あの時は歳若き精霊たちから少しずつ消えてゆき、ついには私と長老だけになってしまっていたのに……」
そのあと過去の出来事についてリヨンが語り、驚いたカミィは何も知らなかったことを謝り、一息ついた二人はほぼ同時に言った。
「「言い伝えの書はどこに?」だ?」
「あれの場所は、最長老だけに伝えられる」
カミィが言うのに、
「言い伝えの書の内容に随分詳しいようでしたが、見た事はないのですか?」
リヨンが縋るように聞いた。
「見た事はある。地獄の入口や興味のあることはしっかりと読んだ。最長老にいえば読ませてくれるからな。全部を読んだわけではないが……だが、読んだ内容については我の頭の中が虫食い状態になっている。おそらくは記憶がところどころ、土に溶けていったに違いない……」
――いえいえ、単に昔のことすぎて忘れてしまっているだけじゃないの。
「では、言い伝えの書がどこにあるかは知らないのですね?」
「保管場所に興味などなかったしなぁ……」
リヨンがガッカリしている。
「リヨンの記憶はまだ完全には戻ってないのですか?」
「えぇ、最長老になった時に知った大切な部分のところがまだ、なのです。言い伝えの有名な部分は皆が知っているのですが、言い伝えのすべては最長老に伝えらえる『言い伝えの書』をみないとわかりませんし、『言い伝えの書』の内容を実は…………全部読んでいなかったというのを思い出しました」
「リヨン、本はあまり読まないのですか?」
「精霊は自然の中でボーとしている者のほうが多い。それで、最長老になって仕方なく『書』を読み始めるし、それもかなり長くかかって読んでいたようだ」
「早く記憶が戻って、保管場所がわかるといいですね」
「は、い……」
精霊も結構抜けているというか、記憶がなくなるなんて思いもしなかったんだと思う。明日できる事は明後日に。というのはいけないかもしれない。うん。今日できる事は今日、できるだけやらなくては。それにしても『言い伝えの書』が見つかるのはちょっとこわい気もしないでもない……。
「それでカミィ、地獄の入口のふさぎ方については覚えているのですか?」
「はい、ふさぎ方といっても時々様子を見にいって、隙間を埋めている魔法のパテを上から重ねるだけですから」
「では、その地獄の入口というのはどこにあるのですか?」
「多分、この近くにあると思います」
「こんなところに?」
カミィの話によると、地獄の入口はこのシバーン大陸の中を時々移動するとの事。運悪くたまたま地獄の入口をのぞいてしまった人間は、地獄の瘴気にあてられすぐに命を落としてしまう。しかし、地獄の入口を直接見てもそこに取り込まれず、自我を保った極一部の人間は地獄の入口に懐かれるというか、その人間に地獄の入口が付いてまわる事があるという。そして、地獄の入口はその人間に禍々しい力を与えつつ近くに潜むそうだ。
「えー、地獄の入口ってそれ自体が生き物で、意志を持っているってこと? ですか」
「そうです。地獄と地獄の入口は別物なのです。第一地獄に落ちる人間は地獄の入口からは落ちませんから」
「カミィ、詳しいですね」
「興味のある事はしっかり読みました」
カミィは得意そうに言ったけど、つまり、全部は読んでないってことかも。面白そうなとこだけ拾い読みしたりして。うーん、ありそう。
でも、つまり、この禍々しいオーラを背負ったナリキンは地獄の入口の誘惑? に打ち勝ったということで……悪人ながらさすがというべきか。
「では、地獄の入口は近くにありますね。危険はないのですか?」
「精霊に対しては何もできません」
「人間は……?」
「人間の中でも心の弱い者は影響をうけてしまいます。この国が退廃的になっているのは、地獄の入口が開いているからかもしれません」
真紀さんがちょっとおかしかったのも、そのせい……かも?
「地獄の連中も仲間を増やしたいがため、地獄へ人間が落ちるよう誘いをかけているのでしょう」
「なんと、地獄が仲間を呼ぶとは……」
「渡会君、大丈夫でしょうか?」
私が声をひそめて言うと
「彼はこころが美しい。影響は受けないでしょう」
「柔らかく気持ちの良い波動がしてきます」
「いまは、弱っているようですが……?」
「強くてやさしいこころの持ち主なので、人を殺めたと哀しんでいますが、あれは彼を救った事になるので理性が納得できれば大丈夫でしょう」
精霊たちが渡会君をみながらそう言うと、 彼の顔が赤くなってきた。目の前で真面目に褒められれば恥ずかしいよね。でもこちらを向いた顔は、かなり確りしてきている。確かに強い子です。
「渡会君、大丈夫ですか?」
「はい、自分から付いてきたくせに覚悟が足らなかったですね。考えが甘かったと思います。このハンマー、時が止まっていない時だったら二回叩いても大丈夫ですか?」
「えぇ、一回目で体が固まり二回目で戻ります」
「戻る……ですか?」
「気を付けて二回叩かないようにしないといけませんね。それと二、三時間ほどしたら魔法が解けますからその辺も気をつけなくてはいけません」
「わかりました。本来は人を殺めることのない武器だったのですね……」
「えぇ、まぁ……きちんと伝えてなかった私が悪かったのですから」
「そんなことはないです。それより、先ほどから話をしていた地獄の入口を何とかしないといけないのでは?」
渡会君、まだ体がわずかに震えているのに気丈です。
「そうですね、カミィ、地獄の入口はどこでしょう?」
「最長老の魔法で『地獄の入口よ、あらわれよ』といえば出てきます。その後、『魔法のパテよ、そのひび割れを覆い、地獄の入口をふさげ』といえばいいのです」
「では、リヨン」
「はい」
リヨンが『地獄の入口よ、あらわれよ』と唱えると、帝国大神職総括のナリキンのすぐ横にギザギザのサメ口を大きくしたような穴がぽっかりと開いた。
大きさは人ひとりが入れるくらいの深い穴で、ドロドロした階段が中に見える。正直、おどろおどろしくて気持ち悪い。穴をふさいでいるはずのパテは……もうほとんど剥がれて白い半透明の膜が所々にピラピラしている。なんだかボロボロ。
「うっわー、ボロボロですね」
「これまで放置していたわけですから……」
リヨンが申し訳なさそうにつぶやいて
「もはやひび割れではありません。これは、なんと言えば……」
「その穴、でいいのではないか」
「そうですね、『魔法のパテよ、その穴を覆い、地獄の入口をふさげ』といえば」
と私が言ったら透き通った白い花びらのようなものが空中に乱舞し、ピタピタッと穴に張り付いて、たちまち半透明の膜で地獄の入口を塞いでしまった。
「すごい! なんでもありですね!」
感心したように渡会君が叫んだけど、最長老のお仕事を取ってしまった……。
「えーと」
「さすがは姫さまです」
「お見事です。宝玉さま」
「ごめんなさい。本当はリヨンがするはずでしたのに」
「いえいえ、これは私の手には負えません。姫さまだからこその穴ふさぎです。助かりました」
穴ふさぎ……まあ、いいけど。さて、地獄の入口が塞がると帝国大神職総括のナリキンはどうなってしまう?
まだ固まったままのナリキンだけど、穴がふさがると同時に黒い霞のようなものに覆われた。そしてシュルシュルとその姿を変え…………。
「あれは、犬ですね」
「頭が三つあります」
「地獄の番犬、ケルベロス……に見えます」
度会君が驚いたように目を見張っている。
地獄の入口がふさがると同時に、帝国大神職総括のナリキンは頭の三つある怖い顔をした犬になってしまった。
地獄の番犬、ケルベロス……だよね。この犬、地獄の入口の前に置いておけばいいのかしら?
「これが本体?」
「人間じゃなかったのか」
「よっぽど地獄の入口に愛されたらしいな」
「人としてはどうなのでしょうね」
「これ、どうしましょう……?」
私たちが目の前で起きた事に驚いていると、時が止まっているはずなのに、ケルベロスになったナリキンが尻尾を振りながらこちらへ向かってきた。
私の顔を見ながら、
「くーん、くーん」
と甘えた鳴き声をあげた。三つの顔が皆私のほうを向いているのは、声がかわいくても怖い。それに時が止まっているはずなのになぜ動いているのよ。
「人間としての意識は残っているのですか」
「残っているでしょうけど、本能として犬は強いものに従いますから……姫さまに服従しているのでしょう」
「私ですか?!」
「宝玉さまは一番強くていらっしゃいます」
カミィが誇らしげに胸を張った。
――そうですか、そうですか、それはもう、なんといえばいいのか……。
「この犬、精霊の国には入れませんよね」
「地獄の番犬、になるのでしょうし、それは無理だとおもいますが……あの『神の庭』の花の傍においておけばいいのではないでしょうか。ちょうど結界もはってありますし……」
リヨンが困ったような顔をしながら言ってきた。
「でも神さまが地獄の番犬のケルベロスに変わってしまうと、子どもたちがおびえませんか」
「幻影の魔法をかけて、ケルベロスがカミィという事にしておけばいいのでは」
「それは、ちょっといや! いや、かなりいやだ!」
カミィが呻くように抗議してきた。
「あの、この人、いやこの犬、もう人には戻れないのですか? 地獄に落ちるとはまた違うのでしょうか」
渡会君がおそるおそる聞いてきた。
「彼は地獄の入口と混ざってしまっています。多分……」
「一体、何があってこうなってしまったのかはわからぬが、これはもう永劫このままだ、多分……。地獄の入口はこれを放さないだろう」
「帝国大神職総括のナリキンが、突然いなくなるとこの国は……」
渡会君が困惑したように呟いた。
「混乱するだろうな」
「仕方のない事です」
「もともと、シバーン大陸には試練が与えられることが多い。この大陸に生まれたものは試されているといえる」
「誰に、ですか?」
「さぁ、わからぬ。そういう事になっている。それだけだ」
なんだかよくわからないけど、他の大陸ではわりと穏やかに人々が暮らしているのに、このシバーン大陸は試練の大陸になっているみたい。
「ククリみたいにまともな人もいます。この国で、奴隷制度までできてしまったこの国で……真面目な人や、子どもたちは苦しまなくてはいけないのでしょうか」
「人間の世界とはそういうものだ」
「精霊は人間の世界に干渉はしないのです」
「そう、ですか……」
渡会君は、リヨンとカミィと話しをして……苦しそうな顔をしている。でも確かに全てにかかわり救うのは無理な事だ。
「ククリは……?」
「縁あって関わりワタライが助けたいと思っている。故に連れて行こう」
「そうですか……」
「ワタライも結界の中で休むか?」
カミィが労わるように声をかけた。
カミィの渡会君への態度をみると、祖父が孫を可愛がっているような感じがする。カミィの見た目は儚げだけど態度がどうしてもおじいさんに見えてしまう。実際、何千年も歳が離れているし……。言わないけど…………。
「いえ、大丈夫です」
渡会君、たぶん平和に暮らしてきた高校生だと思うけど、かなり負担のかかる経験をさせてしまった。
顔色もよくないし。でも、乗り越えてほしいと思う。ちなみに渡会君のコビトは色々あった間中、渡会君の帽子のふちにつかまって身を縮めていた。そして、渡会君が震えている時は小さな手で渡会君の頭を撫でていた。コビトと人のつながりは微笑ましい。
渡会君に視えていないのが残念。
結局このケルベロスは帝国大神職総括のナリキン改め、『ナキン』という名前で地獄の入口の番犬として『神の庭』に連れていく事にした。
ナキンは「おいで」というと素直にキント雲に乗った私たちの後から空中を走ってついてきた。私以外の精霊や渡会君にはギロッと目つき悪く睨みつけて、フンッ! という態度をとっている。なんだろう、この態度……。
そして、地獄の入口はナキンの後ろをズルズルとついてきた。空中ではなく地上を。ドロドロとした穴が人や建物を乗り越えて付いてくるのは非常に気持ちが悪かった。人間の皆さまは時が止まったままなので見えなくて幸いだと思う。
『神の庭』だけど、カミィに出会った時に咲き誇っていた桜の木は花が散って、つやつやとした緑の葉をゆらしていた。
『神の庭』の結界は内容を変えることにした。桜の木の裏側に地獄の入口を置いて、その番犬としてケルベロスのナキンに番をしてもらう。
これで地獄の入口があちこち移動して、その入口を覗く人間が新たに出てくる事はないはず。ある意味、ナリキンは尊い犠牲者になったといえなくもない……。
そして春になって桜が咲いたら、またカミィに踊りにいってもらおう。長年の習慣だからこれはこれで続けていけばいいと思う。綺麗だったし。
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