第5話 あれから1800年の時が過ぎ、精霊の国が変遷を遂げていました。

「姫さまがこの世界から去られて1800年ほど経っております」

 最長老のリヨンがさらっと、とんでもない事を言ってくれた。


「えっえー、そう、なのですか!」


 驚いて思わず大きな声が出てしまった。静かな料亭に私の声が響く。

今、私はリヨンとはじまりの森の長老たち、シバーン大陸の8,9,10番目の森の長老であるクリン、ハリン、トリンと共にカポーン、カポーンとシシオドシの音が聞こえる風流な料亭で懐石料理を食べている。美味しいし見た目も美しく食の達人がつくったと思われる。いつの間にこんなに料理が進化したのかしら。


 お料理は、八寸からはじまり、味も見た目も松茸に見えるキノコの土瓶蒸し、鯛やヒラメのお造りに、鮮やかな色の野菜の炊合せ、ハモに似てるお吸物、牛ロースのステーキに、伊勢海老とアナゴのお寿司、はさみレンコンと海老の天ぷら(シシトウ付き)、デザートはメロンと桃(マスクメロンとあの美味しい桃もどき)、それに桃の小さなケーキ。

 そして、桃風味の美味しい紅茶が最後に出てきた。桃が多いような気がする。


 料理を作ってくれた精霊の料理長が説明にきてくれた。むか~し昔、私が桃をとても食べたそうにジッーと見ていたのが、料理人たちの心に強く残っていたそうだ。桃関係のお菓子は特に発展してきたとの事。桃もどきは現実世界の桃より少し赤みがつよいけど、もうあれは桃でいいと思う。

 ――そんなに、物欲しそうに見えたのかな……。でも、いまさらだし。美味しい桃のお菓子の数々、楽しみ、と思う事にした。


 勇者と巫女のコビト達もとても小さなお皿にチマチマとお子様膳みたいに料理を乗せてもらい食事中。料亭の人というか料亭の精霊が気をきかせて用意してくれたのだけど、コビト達は小さな箸を器用に使って食事をしている。


 ――人についていたコビトが食事をするなんて知らなかった。はじめて見たけど……かわいい。

 森で見たコロボックルみたいなコビト達は野性的で、食事というよりは狩りをして糧を得る……という感じがした。コビトの服も雰囲気もあちらとこちらの世界では随分違う。


 ところでなぜ、食事を取らなくても光とマナで生きていける精霊たちの国に、懐石料理を出す料亭があるのかというと、その原因は……私にあるみたい。


  以前、私がこちらの異世界にきた時には、精霊たちは自然の中でナチュラルにシンプルに、つまり質素に暮らしていた。食事をする必要はないので、時々楽しみの為に果物を少々つまむくらい。私も実体のない半透明で、食事をしたくてもできない状態だったので精霊たちの生活を見て、こういう素朴な生活もそれはそれでいいかも……なんて半分あきらめ気分だった。


  でも、精霊たちの国にはあまりに何もないので絵を書いてみた。食べ物や、飲み物、レストランにファーストフードのお店、おでんに焼肉、うどん、焼き鳥、ケーキに知っている限りのスイーツ……もちろん回転寿司も描いた。回転寿司って楽しいよね。今は真ん中で職人さんが握って、回転レーンに乗せて運んでくるお店も時々みかける。回転寿司って普通のお寿司屋さんより敷居が低くて女性一人でも気軽に入りやすいし、オヤツがわりに摘まめるから便利。だって、コーヒーにケーキもあるんだもの。


  実は以前トリップした時、カバンの中に『食べ歩き特集・そしてあなたも食い倒れ・時には食欲魔人になってみませんか!』というとんでもないあおり文句付きの雑誌が入っていた。

 せっかく大学に入ったのだし、とりあえず欲望のままに思いっきり食べてみよう! 若いからダイエットもすぐできる! なんて考えてその雑誌を衝動買いしたばかりだった。


  その『食べ歩き特集』という参考資料もあったし、私はずっと美術部で絵をかくのが趣味で、それも写実的な絵が得意だった。写真記憶(眼に映った対象を映像で記憶する能力)ができたのでかなりリアルな絵が描けた。

大きめサイズのスケッチブックをカバンに入れたままこちらに来たし、絵具やクレパス、色鉛筆も持っていたからちょうど良かったわけ。

私の体は半透明だったが持っていたカバンも中の物も実体があった。

おかげ様で日本の街並みやレストラン、従兄弟の成人式の時に連れて行ってもらった高級料亭の絵も写実的に描く事ができた。今、食事をしている料亭は私が描いた高級料亭にそっくり。


  精霊の子供たちを相手に絵を描いてゴッコ遊びをたくさんしたが、その時一番喜ばれたのは料理の絵。不思議な事にスケッチブックに描いた絵の料理は取り出す事ができた。味も匂いもしっかりとついた美味しい料理を絵から取り出して、色々な情景を想定してお食事会をした。本物を使ったゴッコ遊び。


  最初に出したのはホカホカと湯気のでる茶碗蒸し。まさか本物が取り出せるとは夢にも思わず、普通のおままごとのように「さあ、召し上がれ」とスケッチブックに手を差し入れると、そのまま中まで手が入って熱い茶碗蒸しの容器に手が触れた時は気のせいかと思った。

両手にハンカチを持って茶碗蒸しを取り出した。スプーンも取り出した。内心ドキドキしながらスプーンで茶碗蒸しをすくってみると、柔らかい中身といっしょに銀杏もコロンとスプーンの上に乗っていた。


  なんと、芸の細かい……と思いつつそっと口に入れてみようとすると……食べられなかった! 口まで持ってくる事はできても口にいれることはできない。スカッと空振りといった感じ。

 じーと興味深げにみていた精霊の子供たちに順番に一口ずつ食べさせたら、彼らは食べる事ができた。

そして、


「おいしい!」

「これは、何?」

「すごい! やわらかくて、とろんとしている!」

「知らなかった」

「おいしいよ~」

「すごく美味しい!」

「これがおいしい! という事だったのか!」

「美味しい! 美味しい!」


 それまで食事をする習慣のなかった精霊たちは本当に喜んで「おいしい、おいしい」と私の書いた絵から取り出した茶碗蒸しを食べた。


 それからは、もう色々な料理を喜んで食べるようになった。スケッチブックの絵は取り出してしまうと無くなってしまうけど、不思議な事に食べかけでも絵の中に戻す事ができた。そうすると、食べかけの絵になる。

もちろん、私は食べる事ができなかったので、指をくわえてまるで女神のように慈愛のこころを持って精霊の子供たちがご飯を食べるのを見守っていた。

描いて、描いて描きまくった。そのうちにコピーができるようになったので、たくさんの絵をストックしておいた。


  まぁ、食欲そのものがわき起こる事がなくて、いつもゆるやかな満腹感というか、なんとなく満たされた気持ちに包まれていたのでそんなに辛くはなかったけど、それでも、ちょっとは食べてみたいなぁとは思っていた。

 その後、精霊のこどもたちは三食食べるのが当たり前になり、次々に生まれてきた精霊たちもそういうものだと思っていたみたい。


 それにしても、あの時は精霊がどんどん生まれてきてベビーラッシュで一時は大変だった。赤ちゃん精霊の面倒をみるので……。

といっても精霊の赤ちゃんは日光浴さえさせておけば、食事の必要がないのでベビーベッドをつくって、抱っこしてまわるのが忙しかっただけだけど。


 人間と同じで抱っこは惜しみなくしてあげないといけないみたいで、小さな子供精霊がもっと小さな赤ちゃん精霊を抱えて回っていた。小さくても精霊なので半分浮かして抱いていたみたい。そして、ある程度大きくなると離乳食から食べさせた。

そう、子どもたちが食べているのを見て欲しそうな顔をするんですもの。


 そういった経緯があって、どうやら今の精霊たちの世界では食事をする生活が当たり前になっているそうだ。そして1800年の間に、私が描いた絵を基にして人間の国や獣人の国の料理も参考にして、精霊界の食事事情は飛躍的に発展していったらしい。 

 その辺の事情はかいつまんで説明されたが……基本的に暇で好きな事には凝ってしまう精霊たちの食生活は実に豊かなものとなっていた。

 今回、実体のある私としてはゴッコではなく美味しい本物を食べられるのは嬉しい事なので、食文化の進化を素直に喜びたいと思う。


  でも、私がこの精霊の国から家に帰った後、こちらの世界では1800年ほど経っていたとの話は衝撃的だった。異世界トリップしたのが大学1年の夏休みだから、社会人2年目の8月のはじめまで時間的には約5年経っている。

  ざっと、で5年だと1825日、異世界の1年が現実世界の約1日と考えたらよさそう。ただし、こちらで過ごした時間は現実世界ではほとんどカウントされなかったような気がする。


「1800年というのは、すごい時間がたっていますね」

「はい、そうです。あの時、ゲスターチ帝国に召喚された勇者と巫女とともに、姫さまが向こうの世界に行かれてしまって……精霊たちはみな泣きましたが、まさかこんなに長い間帰ってこられないとは思いませんでした」


 最長老のリヨンがしみじみと私の顔を見ながら伝えてくる。他の精霊たちもウンウンと肯いていて。


「ごめんなさい」

「心配をかけてしまいましたね」


 なんと言っていいのかわからなかったが、とりあえず謝りました。今さらだけど悪かったなぁ、と。あの時は家に帰って体がちゃんとあってご飯を食べる事ができたのが嬉しくて、正直、精霊の皆さんの事は早々と良い思い出となってしまっていた。

 それに現実社会でコビトが踊っているのに目移りして精神的に落ち着くのに必死で、あまりのんびり想い出に浸っていられなかった。


 それにしても、1800年……普通に考えたら、どうして私と共に過ごした精霊たちがここにいるのか不思議。聞いてみると普通の精霊たちは千年ほど生きるけど、千年を超えると後はどのくらい生きるのかわからなくて消えるまで存在するとの事。

  そうして、千年の壁をこえた精霊たちの中から長老と呼ばれる精霊が出て、その中でも今一番長生きしているのが最長老のリヨンになる。それにしても千年って皆さん、長生きね。


 私がその歳月に驚いた時、最長老のリヨンはにこやかに言った。


「姫さまに育てていただいた精霊は、自らの意志で消えるまでは存在し続けることができます」

「不老不死ということですか?」

「そうともいいます」

「でも皆、成長しているようですが?」

「ある程度の年までは、成長したほうが何かと都合がいいものですから」

「好きな年でとまれるという事ですか?」

「そういうことです。」


 普通に『始まりの木』から生まれた精霊の寿命は千年ぐらいで、それ以上生きた者が二千年、三千年と長生きしたら長老となり、不老不死状態になるかどうかは精霊たちにも何故なるのか、いつからなるのかもよくわかっていないそうだ。

 ただ、不老不死状態になったら本人にはわかるらしく最長老に連絡が来る。そして以前に私がいっしょに過ごした精霊の長老たちは全員不老不死状態になっているそうで。 

 つまり、私とともに過ごした精霊たちは居なくならないのでいつでも会えるという事で……喜ばしい事だと思う。


 美味しいご飯をいただきながら懐かしい精霊のみなさんと色々な話をしたが「姫さまは、精霊でいらっしゃいます。人間ではございません」という最長老の言葉が気になっていたので聞いてみた。


「あの、リヨン、私が精霊って先ほど言っていましたけれど……」

「はい……正確にいうと、姫さまは精霊に人が混ざった状態になっております。本来は精霊として生まれるはずであったのに、人として違う世界に生まれてしまった。……これには何か意味があるのか、何故そうなってしまったのか……今はわかりません。ただ、人間ではなく精霊であり尊い存在である事は、確かです。」


 私が人間ではないといわれたのはちょっとショックだったが、見た目はそんなに変わらない。精霊プラス人間という事で人の範ちゅうには引っかかっているし、精霊たちは精霊仲間と思ってくれているみたいだし、これはこれで良いのではないかと思う。なにより私はわたしで変わらないのだから。

 そういえば、伝説の存在……とかいうのも言っていだけど。


「伝説の存在とはなんですか」

 おそるおそる聞いてみると。


「精霊の言い伝えに

『来るべき災厄の時、世界と人々は宝玉の乙女に救われる』

『宝玉の乙女がすべてを許し、最後の審判がおこなわれる』

 というのがございます。私は姫さまがその宝玉の乙女ではないかと思っています。」


 来るべき災厄! 最後の審判! そんなものはきてほしくないし、なんだかとんでもないお役目を期待されているようで……気が遠くなってしまった。

 私の中身は特になにも変わっていないような気がするのだけど……どうしよう!?

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