変わりゆく地のその上で

きさらぎみやび

変わりゆく地のその上で


 最初に思ったことは、広いな、だった。



 眺望が開けているわけでは決してない。むしろ周囲を取り囲むようにしてビルが建ち並んでおり先を見通すことができないため、進む道行きに何があるのかちょっと見ただけでは分からない。


 それでもここは広いな、と思ったのだ。


 駅を出て思わずそう呟いたら、隣を歩いていた友人は不思議そうな顔をしていた。


「広い?渋谷のどこが広いのさ」


 彼の問いかけには答えずに苦笑いともとれる曖昧な笑みを浮かべて僕は首を振った。友人は生まれた時から東京に住んでいる。この土地の持つ『広さ』を感じるのはきっと僕のように別の土地から来たものだけだろう。


 僕は大学進学を機に尾道から東京にやってきた。


 尾道といえば「坂の町」というイメージを持つ人が多いのではないだろうか。

 町に立って南の方角を眺めれば、背後は山に囲まれて、目の前には島々が所狭しと立ち並ぶ瀬戸内の海がある。迫りくる山と、無数の島の隙間を浸す海に挟まれた箱庭のような方寸の地に、詰め込むようにして家屋が立ち並び線路が通されている。

 僅かに許された平地を貪るようにして織り成されたごてごてとした生活空間。それがある種の情緒を生むのだろう。ここでいくつもの作品が産声をあげ、それに倣うように僕も大学の文芸学科へと進学した。

 ただ正直に述べれば僕にとってのあの地は窮屈さを感じる土地だった。だからこそ誰も知り合いのいない東京という土地に僕はやってきた。


 釈然としない顔を浮かべている友人と二人、駅から続々と湧き出してくる人波に流されるようにして交差点へ向かう。おそらく世界でもかなり有名な交差点なのではないだろうか。テレビごしの映像では何度も見たことがあったけれど、実際に現地を歩くのは今日が初めてだった。


「東京に出て来てからしばらく経つっていうのに、渋谷に来たことがないっていうからびっくりしたよ」

「いや、これまで特に来る用事もなかったからね」


 今日の外出は友人からの誘いだった。ここしばらくは家にこもりきりだったから、突然の誘いだったけれど有難く受けることにした。


 信号を待つ間にも僕らの背後には次々に人波が押し寄せてくる。ダムで堰き止められた河川の水流のように交差点の各所に溜まっていく。信号待ちの人々は見た目も性別も年齢も様々で、僕はいつもこの東京の持つ多様さに驚かされるのだ。信号が青に変わると、その水は一気に放流され、交差点の中で交わり、すれ違い、複雑な軌道を描く。人の流れをシミュレーションしたらまさに水の流れになるのではないだろうか。人が渦巻く谷の地。


 交差点を渡り、雑踏のざわめきを背景にしてぶらぶらと道玄坂を登っていく。すぐに道は二つに分かれ、流れを分けるかのように中央には「109」と書かれたビルが建っている。渋谷の象徴ともいえるビル。見た目は変わらないのかもしれないが、そのビルの中身は常に入れ替わっているのだろう。

 常に入れ替わり続ける街。東京はどの街も川を流れる水のように人も文化も入れ替わり続けている。


 向かって右手側の文化村通りに入る。「文化村」と名付けられているのが面白かった。日本でも有数の街中に突然現れる「村」。確かにこれが「文化町」ではしっくりとこない。文化が生まれるのは村なのだろうか。村のような小さいコミュニティから立ち上ってくるものが文化だとすれば、それは適切な命名なのだろう。


「適当に歩いているけどさ、行きたいとことかないの?」


 隣を歩いている友人が周囲をぼんやりと眺めながら歩いていたこちらを見て話かけてくる。彼にとってはきっと歩き慣れた場所だろう。取り立てて目的もなく付き合わせるのも悪い気がした。


「じゃあ、せっかく渋谷に来たから国木田独歩の旧居跡に行ってみたいな」

「えー、どこだよそれ。渋谷に来たっていうのに珍しいチョイスだな」


 ポケットからスマホを取りだし地図アプリを立ち上げて所在地を探す。友人もこちらのスマホを覗き込んできたので、一緒に場所を確認した。


「NHKのあるあたりだね」

「結構歩くな。まあいいけどさ。今日はお前に付き合うつもりだったから」

「悪いね」


 彼は口には出さないが先日地元に残った彼女と別れた僕を慰めに連れ出してくれたのは明白だった。まだ友人となって日も浅いけれど、そういう気遣いができる人間であることが彼の魅力だと思う。


 二人並んで坂道を歩く。東京の街中を歩くのは好きだった。特に今のような傷心の時には。地元に比べれば一見平坦に見える街並みも、歩いてみると起伏が多い土地だということが分かる。渋谷だって名前からして谷であり、それはこの街を自分の足で実際に歩けば負荷を伴った実感として感じられる。


 文化通りを大型ディスカウントストアの角で曲がり、突き当りをいったん右に折れて井の頭通りに出てから再び左に曲がる。そのまま井の頭通りを上っていき、大きな通りとぶつかったところで右に曲がって少し歩けば、坂の途中、そこが国木田独歩の旧居だ。「国木田独歩住居跡」と書かれた木製の標識が一本、歩道と車道の間にひっそりと立っている。

 独歩がここに滞在していたのは一年にも満たない。現在では通りの脇にはビルが建ち、反対側にはNHKの大きな建物が鎮座している。今、ここからでは往時の様子は想像するべくもないが、彼はここを拠点として「武蔵野」の元となる「欺かざるの記」を書いたのだ。標識を見つめ、遠い明治二十九年の風景を夢想する。暫く佇んでから、そこを離れる。友人は一言も文句も言わずにここまで付いてきてくれた。ありがとう、と彼にお礼を述べて元来た道を戻る。帰り道は二人とも無言だった。無言でいさせてくれることが嬉しかった。


 改札を抜けて別れの挨拶を交わし、僕は山手線の外回りに乗る。最初は内回り、外回りの向きも覚えられなかったが、道路と同じ左側通行だと気がついてからは間違えなくなった。時計回りに山手線を移動し、新宿駅で中央線の立川方面へと乗り換える。新宿のビル群を抜け、さらに雑居ビルとマンション群を抜けていく。


 西へ、西へ。車窓からは移りゆく街並みが目に入って来る。


 東中野を過ぎてからはひたすらまっすぐに線路は伸びる。このまっすぐな線路が僕は気に入っていた。わざわざ東所沢のアパートまで遠回りするくらいには。

 中野の有名なビルをホーム越しに眺めた後は北の方角を眺める視界には空の占める割合が増えてくる。高層のビルが減ってきたからだ。マンションと戸建てが入り混じり、はるか遠くまでずっと街並みが続いている。三鷹を過ぎたあたりからは視界に緑地が増えてくる。通りの脇に街路樹が立ち並びぶエリアが目につくようになってきた。


 車窓から見えるのはどこまでも続いていきそうな平坦な街並み。人の領域がここまで無尽に広がっている様は箱庭育ちの僕にとってとても不思議な光景だった。このすべてに人の生活があるのか。窓の一つ一つに日々の営みがあることを信じられない思いで見つめる。


『武蔵野』の一説を思い出す。

『昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である』と国木田独歩は言った。


 彼の言うようにかつての武蔵野は果てなく広がる原野だったのだろう。

 古くは万葉集の東歌に歌われる原野。しかしそれも初期の武蔵野の姿ではなく、人の手が入り、焼畑農業から牧草地を経ての原野である。独歩以前、中世の日本人がもっていた武蔵野に対する印象は、原野と月に集約されるかもしれない。独歩はそれを覆した。それはある意味で先祖帰りだったのかもしれない。原野に帰る前の林のイメージ。


 今はどうだろうか。

 武蔵野のイメージは「となりのトトロ」に代表されるような「田舎の田園風景」と言われている。これは独歩のイメージを引き継いでいるといえるのではないだろうか。しかしこの車窓から見えているのはどこまでも果てしなく続く街並みだった。それは色を変え、形を変えながらも遥か彼方まで広がっている。


 都会と生活空間のあわいを電車は淡々と抜けていく。


 西国分寺から更に武蔵野線へ乗り換える。

 武蔵野線からの風景はさらに木々の領域が増えてくる。鎮守の森であろうこんもりとした木々の塊も見える。ここからはトンネルも多い。台地の起伏を上り下りしながら電車は街を抜けていく。台地を切り裂いたような狭隘を電車は走る。ときおり取り残されたように田畑が見える。


 気がつけば日は傾き始めて、夕暮れが武蔵野を赤く染め上げていた。電車のドアに張り付いて窓から空を見上げると、気の早い登場に少したじろいだような月が見えた。降り始めた夜の帳に街並みはぽつぽつと灯をともして応えていく。月明かりの下には光を灯した人の領域が広がっている。


 中世には薄の野原だったもの、そして独歩の時代には雑木林だったもの、今はそこに街がある。ここに見える景色は移り変わっている。だけど共通するものは「人の手の入ったもの」なのではないか。


 この風景はこれからどうなっていくのだろう。


 大学のキャンパスのある東所沢で電車を降り、アパートへつづく夜道を歩いていく。顔を上げると先ほどの自信なさげな様子はどこへやら、月は皓皓と夜道を照らしている。車窓から見えた景色、そして幻視した嘗ての景色が二重像のように重なって酔いそうだった。


 境界、あわい、マージナルなところには交流が生まれる。交流のあるところに融合や衝突があり、そこから文化が芽生えてくる。マージナルでありイマジナルな地、日本でも有数の果てしなくつづく平地。そこに住む者にとっては当たり前であるかもしれないが、それはとても稀有な場所なのだ。


 ここからなにが芽生えていくのだろう。僕はここでなにができるのだろう。


 頭上に見あげる月はきっと、この風景の中で唯一変わらずそこに在り続けている。

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