第44話 あらそい

 かおれの言葉を皮切りに、うちの神使たちが動き出す。水を得た魚のように。

 瞬発的に雪面を蹴ったすのり。スリップすることもなく、前傾姿勢で5メートル以上離れていた間合いを一瞬にして詰めた。想定外の速さに、眼を剥いたブロンド神使。体側面にすのりの左脚が迫る。スピードに乗せた強烈な回し蹴り。

「ぐふっ!」

 短い嗚咽。かろうじて右腕で脇をカバーしたブロンド神使。しかし、衝撃は許容を超えていた。耐えきれず体ごと大きく石畳から弾き飛ばされて砂利の雪面に転がった。

 すのりは脚を振り切った格好で、その場で片脚立ち。呼吸を整えてから、ゆっくり脚を降ろす。ショートボブの黒い前髪がはらりと揺れた。

 刹那の出来事に私は唖然となる。軌跡しか見えなかった。

「凄げえ……」

 治人も驚いて呟く。

 雪まみれになったブロンド神使だけど、おもむろに起き上がった。冷たい笑みを浮かべる。パーカーのフードを整え、頬に付いた雪を袖で拭い取った。

「……やるじゃないか」

「でしょ?」

 すのりは口角を上げて、可愛い犬歯を見せ付ける。

 対照的にかおれは普通に歩き出していた。徐々に脚を速め色香神使に接近する。すのりの先制を横目にして警戒したのか、先に手を出したのは色香神使だった。

 フェミニン溢れる女のイメージからは程遠い荒々しい動作。高い位置から、かおれの顔に鋭い右の拳が振り落とされる。でも、かおれは避けない。左腕を突き出し手の平で拳をドンと受け止めると、今度は自分の右拳を色香神使の顎に向かって振り上げる。すると相手も左の手の平でそれを受け止めた。

 一瞬、両手で掴み合った力比べ状態になるが、色香神使は間髪入れず左ローキックでかおれの脚を払いにかかった。かおれは右手を掴まれていて、動きを制限されている。

「なにっ!」

 色香神使、驚愕の声。かおれは掴み合っている両者の手の位置を軸に、鉄棒の逆上がりのように後方回転。かおれの膝蹴りが、色香神使の大きな胸を掠めて顎に入った。

「うぐっ!」

 色香神使は短い呻きと同時に手を開放。かおれはそのまま宙で一回転。琥珀色の髪をなびかせて後方に着地した。色香神使よりはつつましい胸が弾む。

 腕のリーチと身長差を生かした一撃。しかし、色香神使のダメージは少ない様子。数歩後退りはしたものの、平然と乱れた長い髪を後ろへかき上げた。自分の顎を指でひと撫でしてかおれを見遣る。

「ふーん。面白いことするのね」

「ええ。でも、その胸に邪魔されてクリーンヒットを取れませんでした。とはいえ、あの体勢からいなされるとは思いませんでした」

「ふん。やられ方を褒められてもね……」

 二人の会話をよそに、治人が私の肩を抱いて引っ張る。

 神使たちの取っ組み合いが近すぎると判断したみたいだった。確かに巻き込まれないように離れた方がいいかもしれない。私も誘導に従い、ゆっくりと石畳から色香神使が現れた一本杉の近くに移動した。

「ほんと、気に入らないな」

 そう呟いたブロンド神使が動く。幼い顔に似合わない険しい形相で猛然とダッシュ。すのりに掴み掛かる。

 ファイティングポーズで待ち構えたすのり。正面切って突っ込んでくる無謀な相手に正確な右ストレートを放った。が、ブロンド神使は拳をかわして腕に取り付いた。そのまま、すのりの懐に飛び込む。

 打撃戦では不利と判断し攻略を変えていた。ブロンド神使はすのりのジャケットの袖ごと右腕を掴み、一本背負いの構え。

 相手の背中に乗せられ宙に浮いたすのり。しかし、ブロンド神使の肩からぬるりとすのりの体重が消える。付いてきたのはジャケットだけだった。すのりは瞬時に左腕を抜き、右肘を回してジャケットを脱ぎ捨てていた。

 不発に終わった大技。焦るブロンド神使だけど既に遅し。背後から回されたすのりの両腕がブロンド神使の腰をクラッチしていた。地面から足が離れるブロンド神使。その体は後方へ返される。

「ぐうっ!」

 ブロンド神使の断末魔。一本背負いを越える大胆技、ジャーマンスープレックスが炸裂していた。すのりは綺麗なブリッジ姿勢。ブロンド神使の後頭部が雪に激しく突き刺さり、体がくの字に曲がっていた。

 すのりはブリッジの姿勢から体を起こす。

「よっと」

 ひょいと立ち上がり、足元に沈んだブロンド神使を見遣る。完全に動きが止まっていた。私と治人は目を皿にしたまま固まる。

 すのりはジャケットを拾いながら、首をコキコキと左右に動かしながら言う。

「大丈夫よ、失神してるだけだから」

 穂香の言葉を思い出した。ほんと、うちの神使たちの強さには引いてしまう。まあ、ある程度分かっていたけど。

「あらら……」

 それでも憤慨することはなかった色香神使。自分の頭を撫でながら感服した様子。だからといって、通してくれそうにはない。

「木曽の水神さまから遣わされているとはいっても、あなた方本当に神使なの?」

「ええ。そうですよ」

 飄々と答えるかおれ。同じ神使から見て、うちの神使たちに違和感でもあるのだろうか。

「そう……まあ、いいわ」 

 発言を打ち消すみたいに、はらりと手を振った色香神使。呼吸を整えると、すかさずかおれに向かって突進した。体躯から想像できない早さ。ターゲットとなったかおれは迎え撃つために構える。

 あっという間に接近した色香神使。右ハイキックでかおれの頭を狙う。かおれは姿勢を低くして紙一重で回避。低い体勢から地を這うような右ローキックで色香神使の軸脚を狙い反撃。が、そこにはなにも無く空を切った。

 見上げるかおれ。跳躍し空中で一回転スピンした色香神使。華麗に右足で着地し、回転の勢いを得た左後ろ蹴りがかおれを捉えた。咄嗟に両腕を盾にして止めたかおれだが、強烈な一撃に後退り。

 かおれに一発浴びせた色香神使。けど、その動きは止まらない。というか、私と治人に向かって走って来た。

「ちょっと、なに!?」

 私は驚いて固まった。

「なっ!」

 かおれも驚嘆きょうたんの声を上げ、慌てて色香神使を追い掛ける。

 でも、私たちを狙ったものではなかった。目的は一本杉。一直線に向かいジャンプ。太い幹の上部を強く蹴った。反発を利用した反転。激しく揺れる一本杉。

 勢いを増して飛んだその先には向かって来るかおれ。狙いすました色香神使の右拳が顔面を襲う。かおれはかまわず突っ込む。二人が交錯する。

 私は息を飲む。だけど、両者は大きな接触も無くすり抜けて足を止めていた。振り返ったかおれの頬に一筋の跡。薄っすらと血が滲み出す。なんとか、かわせたみたいたっだ。

「……やりますね」

 と、かおれ。口角を上げながら、ゆっくりとカーディガンを脱いだ。色香神使は息を整えながら言う。

「まさか、あれを避けられるとはね。あそこから加速してタイミングをずらしにくるなんて、正気じゃできない――」

 口籠る。見れば、かおれのつぶらで淡い色の瞳から感情が消えていた。その表情に危うさを感じたのは私だけではなかった。

「……ふーん。ヤバいモードに入っちゃったわけだ」

 納得したらしい色香神使。目を細める。顔から余裕が無くなっていた。

 その時だった。不意に私と治人の視界が遮られた。ああ、一本杉の枝に積もっていた雪が落ちたんだと理解できた。

 でも、それだけでは終わらなかった。続けて頭上できしむ大きな音がした。

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