第42話 あらがい

「治人、カッコいいじゃない。少し見直したわよ」

「はい。私、なんだかキュンとしまた。治人さん」

 開いた襖の前。威勢のいいすのりの横で、かおれは紅潮こうちょうした頬に手を当てている。

 以外ではないのだけど、唐突な二人の登場。言葉を失っていると、かおれが私の横に歩いて来て膝を着いた。すのりが続いて隣に立つ。

「お二人は、なにか忘れていませんか?」

 かおれが私と治人を交互に見遣った。

「そうそう、こんな頼れる存在をね」

 すのりは相槌を打ちながら両手を広げた。

 忘れていたわけじゃないけど……私は治人と顔を見合わせた。

「お前たち……」

 しかし、治人は途中で口を噤んだ。きっと私の考えと同じだ。この子たちは特別な存在だし、この世のもつれとも関係しているのかもしれない。でも、水神の神使という八百万の神に遣える立場。なにをどうできるのか。私は治人の手を取ったまま身を向けた。

「すのりちゃん、かおれちゃん。ありがとう。二人の気持ちは嬉しい、でもこれは――」

「命令。してくれませんか、私たちに」

 すのりとは違い、人の話を決して妨げたりしないかおれ。そんな子が語気を強めた。真剣な眼差を受けて治人が訊いた。

「命令って……なにか、できることがあるのか?」

「まあね」

 自信ありげに鼻を鳴らしたのはすのり。でも、かおれは淡々と続ける。

「解決策とまでは言えませんが、世のもつれに関して神々と交渉できる手段があります」

「手段?」

 治人はまだ半信半疑の様子。

「はい。交渉の方法は分かっています、取引できるカードもあります」

「取引のカード?」

 私が呟くと、おれは畳に置かれた大き目めのショルダーバッグに視線を落とす。私の物だ。

「そうです。カードは瓶子です。そのバッグに入っていますよね?」

 河原で雪と砂利に埋もれているのを発見したくらいだから分かるのかもしれない。つられてバッグを一瞥した私は再び視線をかおれに戻す。

「ええ……でも、これがカード?」

「はい、そうです」

 確固としたかおれの返事に、私と治人はもう一度顔を見合わせた。かおれを後押しするように、すのりが自慢げに胸を張って人差し指を立てる。ウインクのおまけ付き。

「分かっちゃたのよね、瓶子の謎ってやつが」

「瓶子の謎?」

 治人が間髪入れず言った。かおれがフライングしたすのりを補足する。

「カードというのは、瓶子にまつわる話のことです。そもそも、何故瓶子はあそこに埋まっていたのでしょう? 遠く離れた神社の地に。そして、その手掛かりは何処からか木曽の水神さまにもたらされました。誰が、それを知り得たのでしょう? これって、出来過ぎですよね」

 治人は眉間に皺を寄せた。

「偶然ではないと? 誰かが意図的に隠して、木曽の水神にありかを教えたってことか?」

「多分、そうだと思います。私たちは瓶子から微かに残っている痕跡を感じていました」

「痕跡?」

「はい。感覚的なものですけど、瓶子を運び埋めた者の残留思念のようなものです」

 二人の会話が続く。私は名探偵ばりにお喋りモードになっているかおれに驚いていた。

「じゃあ。それが、誰か分かるのか?」

「はい。相手は痕跡を残さないようにしたつもりみたいですが、私たちを欺くことはできません」

「そうよね。こんな茶番に巻き込んだんだから、借りはしっかり返してもらわなきゃね」

 またしても、すのりのフライング。神使たちはなにかを画策している様子だけど、私は理解できていない。治人も同じらしい。

「つまり。今回の件は誰かが仕組んだことなのか?」

「きっと、そうです。お役目が探し物を見つけて運ぶだけだったなら、気にするところではないのですが。揖斐の水神さまが横やりを入れてきたりして、結果がこんな感じですからね」

「……で、誰なんだ?」

 治人は待ちきれず核心に迫る。かおれは一拍置いて答えた。

「綱張神社の氏神さまです」

「……」

 想定外というか、触りしか知識のない名称に困惑した。

「綱張って、笠隠の氏神が言っていた尾張の総鎮守そうちんじゅのことか?」

 治人が確認するように訊いた。

「はい」

「そこって、お前たちも関係あるところだよね」

 私もそう思っていた。

「いいえ。犬山の犬としての関りはありますけど、私たちは木曽の水神さま直属です。基本的に関係はありません」

 そうなのね。神々の適当さと比べるとかおれの説明は明確で、その差が滑稽に思えた。

 世のもつれに抗ったとしても、治人と途方に暮れる場面しか想像できなかった。だけど、この子たちの登場で流れが変わった。もちろん根本的な解決ではないのかもしれないけど、僅かな期待感から気持ちが昂ってくる。神使って不思議な存在。治人も俄然やる気になっている。

「……なるほど……それで、どうするんだ? 俺たちはなにをすればいい?」

「はい。綱張神社へ行って、瓶子を餌に揺さぶりを掛けるんです」

「つまり?」

「綱張の氏神さまは木曽の水神さま相手に出来レースをさせたということです。これはちょっとした問題です、もしかすると大事になる話かもしれません。だから、取引を持ち掛けるのです」

「取引?」

「はい。氏神さま、つまり土地神はそこで起こる世のもつれに大きな影響力を持っています。今回の世のもつれの詳しいところは分かりませんが、綱張の氏神さまは間違いなくその力を行使することができます。ですから、力を借りるんです」

「つまり、不祥事をネタに強請るってことか?」

「……まあ、そうですね」

 少し言葉を濁らせながらも口角を微かに上げたかおれ。策士の顔もあるのかと、うちの神使たちの特別感に改めて驚愕する。

 手段は理解したけど。神さまを強請るって、大それたことだよね。治人も同様に心配事を口にする。

「そんなこと勝手にしたら、木曽の水神に怒られてしまうだろう? というか、神使の動向って神さまにバレバレなんじゃないのか?」

「大丈夫です。いつも神々と思念的につながっているわけじゃありませんから。今もそうですし。神使は基本的に自由なんです。遣わされたところでお仕えするのが、本来のお役目なので。だから、問題ありません」

 かおれの口調はさっぱりしていた。気付いてはいたけど、徹底した放任主義なのね。でも、それって木曽の水神さまがそうなだけではないのかな。笠隠の氏神さまは神使の動きがいろいろ分かるって言ってたし。さすがに私も黙っていられなくなった。

「でも。やっぱり、まずいよ。私たちの問題なのに……」

「いいんですよ」

「そうよ、いいのよ」

 かおれが頷きすのりが相槌を打った。

 私は迷っていた。すがりたい気持ちはあるのに、そうしてしまったら私の決意は緩んでしまう。先送りすることが怖かった。

 治人はもう一度確かめるように訊いた。彼の気持ちは違うところにあった。

「そうは言うけど、これでお前たちがまずい立場になったりしないのか? 今までの経験からして、そんな簡単に言える話じゃないだろう? 世のもつれが終わって、俺たちがどうにかなってしまうのは俺たちの問題だ。でも、そこにお前たちも巻き込むのは本望ではない」

 二人に一目惚れして連れてきたのは治人だから、思い入れは私以上にある。その気持ちは十分理解できた。

「どうして、そんなこと言うのですか!?」

 一転して声を荒げたかおれ。顔を曇らせる。隣のすのりも同様だった。どこか寂し気な、今まで見たことのない表情。私は言葉に詰まった。

「あ、いや……その、そうだな……」

 治人は戸惑いながらも、神使たちの気持ちを理解した。そして、訊いた。

「でも、どうしてそこまで……」

 かおれは顎を引いてみせる。表情に明るさを戻しつつ、瞳の奥に強いものが溢れていた。

「理由は簡単です……私たちが、今ここに居るあなた方と離れたくないからです」

 すのりが横で頷き。かおれは、妙に大人びた口調で続けた。

「神使という存在になりはしましたけど、私たちは柴犬のすのりとかおれなのです。ずっと二人を見てきました。最高の主人です。主人を守りたいと思う気持ちは、私たちの根幹を成すものです。この國の長い歴史の中で脈々と培われてきた人と犬との関係は薄っぺらなものではありません。柴犬の忠誠心を甘く見てもらっては困ります」

 私と治人はぐっと息を飲んだ。

「だから、たとえ神々と争うことになったとしても、この絆は守ります……それに、言ったじゃないですか、あなた方の神使でいると」

 言葉を失ってしまったけど、治人も気付いたはず。神使が遣わされるという本当の意味を。この子たちのお役目が特別なのではない。それは、猫の神使の穂香と猿の神使の小太郎となにも変わらない。只々、その主人と共にあらんことだけを望んでいるのだと。

 目を潤ませた治人。何度も頷いたあと口を開いた。

「……分かったよ、そうだよな……じゃあ、頼らせてくれ。俺たちを助けて欲しい……でも、ありがとう、本当にありがとう」

「なにを今更、言っているのですか……当たり前なのですよ」

 かおれは気持ちを理解してもらえたことに満足した様子で笑みを浮かべた。すのりも同様だった。

 すると、私を一瞥した治人。

「じゃあ、ここから先は珠乃の出番だな」

「えっ。私?」

「はい。そうですね」

 かおれが頷くと、治人は私の肩を抱いて立ち上がる。かおれもそれに続く。すのりと共にうちの神使が並んで凛々しく胸を張る。頼もしい姿を誇りに思った。

「遠慮なんてする必要ないわ。私たちにまかせなさいよ」

 片眉を上げたすのり。かおれは私に向かって訊いた。

「では、珠乃さんが望んでいる未来を言って下さい。私たちが命令を成し遂げてみせます」

 高揚する二人の首に巻かれたチョーカー。そこには鈍く光るスペードとハートがあった。

「私の望みは……」

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