第39話 たまの その2

『待て待て、せっかちな娘じゃの』

 やはり表情は分からない。でも、ちょっと動揺したみたい。オオサンショウウオは取り直す感じで言った。

『しかし、その振舞い。本来ならば、なんにでもすがりたいくらいじゃろうに。相当な気概の持ち主のようじゃな。大したものよ』

 褒められているらしい。私は肩の力を抜いて、気持ちを楽にした。

「そう? じゃあ、さっきの理を変えなくても願いが叶うってどういうこと? 教えて」

『そうよの。さっきも言ったが、この八百万の神の國にはいろんな世があっての。それぞれの世は各々おのおの均衡を保っておるんじゃが、時としてそれらがもつれてしまう時があるのよ』

「もつれると、どうなるの?」

『世の中では、時々説明のつかぬ妙なことが起きておるじゃろ。それよ。すべての理解できん事柄がそうじゃとは限らんけどの』

「超常現象的なヤツ? それ、まずいんじゃないの」

『まあ、起きるものは仕方のないことよ。滅多にあることではないしの』

「……で、結局なんなの?」

『うむ。この國にはいろいろな世があると言ったじゃろ』

「ええ」

『例えば、お主の大切な男が無事で暮らし続けている世もあるということじゃ』

「……」

 そうきたか。あり得ない話だけど理屈は分かった。この世には違う世界線が他にいくつもあって、時折今の世界線と交錯する現象が起こるらしい。

「……その世の彼に会えるってこと?」

『そうじゃ。理解が早いのう』

「……じゃあ、梛乃が……私の姉が生きている世は?」

『残念ながら、それはちと厳しいの。世の理どころの話ではない。世とは生けるもののみがつむげるものじゃてな』

「……そう」

 期待はしていなかったのに、訊いてしまったことを後悔した。姉への贖罪は彼のこと以上に一生背負っていくと決めていたのに。安易に考えた自分が情けない。

「でも、いろんな世がある中で、彼が無事な世とこの世が都合良くもつれることなんてできるの? それがきっかけで、ひどい災いでも招く結果になったりはしないの?」

『元々お主の適性あってのものよ。他の者では無理じゃて。それに神の手も多少は加わるしの。もつれはお主の周りで起こるだけじゃし、大変なことにはならんよ』

 じわりと鳥肌が立つ。自然と喉が鳴っていた。可能性を感じ始めていた。

「ふうん……で、代償は水神さまに仕えることだけ?」

『そうじゃ』

「それって、変な奴隷みたいなものじゃないでしょうね?」

『たわけ。神は奴隷など従えんわ』

 私は目がしらを揉む。

「……話がうますぎるわね」

『まったく疑り深いのう。世のもつれは時のものじゃ。どれだけ続くかは分からん。その間にお主は心の整理をしておく必要がある。それを乗り越えるだけの覚悟も持っておかねばならん』

「……精神的な犠牲が伴うってこと?」

『そんなところじゃ……どうじゃな』

「なんとなく、分かったわ。これって神々のイベント的なものでしょ。人を使って実験するみたいな。興味本位的なやつ。私が葛藤する姿をつまみにして楽しむ」

『ほほ。そこまで安気に考えるか。まあ、いいじゃろう。神のお遊びと取るか助けと取るかは、お主に任せる』

「つまり、代償としては私が実験体で、覚悟も問われるってことね」

『まあ、そうじゃな。納得してくれるなら、それでよい』

 眠っている彼とひと時でも会話ができたら、そんなに嬉しいことはない。だけど、そんな矛盾に自分は耐えられるのか。心が揺らぐ。こんな気持ちは久しぶり。

 事故の時、梛乃は川の底に沈んでいく私の手を掴んで引き上げた。意識を失いながらも、水面からの光に包まれた彼女の長い髪が揺らいでいたのを覚えている。それは今でも走馬灯のように時々頭に浮かび上がる。

 過去は変えられない。だから、彼のことは私が背負う。償いとかのきれいごとではない。気持ちの終止符も打ったはず……

 なのに、今になって……神さまはとても意地悪だ。気が付くと、また滴が頬を伝っていた。

「……分かった、やるわ」

 表情が無いのに、その時オオサンショウウオが笑った気がした。


 岐阜。高校二年の夏、私は溺れた。

 キャンプ場での川遊び。いつもの岩場から淵への飛び込み。ジャンプの踏み切りで足が攣った。泳ぎは得意だったけど、その日の川は増水気味だった。バランスを崩し頭から沈んだ淵の底。水流の巻きは強く浮き上がれなくなりパニック状態。それを見ていた治人と梛乃が助けに入った。

 半分意識を失いかけた私の救助は容易ではなかった。結末は最悪。治人は昏睡状態となり、梛乃はその命を落とした。そして、私一人だけ無事だった。一瞬にして大好きな姉と密かに想いを寄せていた人の人生を奪ってしまった。原因は私だ。

 その後、暫くの間の記憶は自分でも曖昧。辛さのあまり何度も死のうと考えたことは覚えている。だけど、昏睡状態の治人を思うと、自分の勝手さに打ちひしがれる毎日。

 父と母の支えでなんとか生活を送った。学校へも行けなくなって、彼の居る病院通いだけが日課となった。声を掛け続けたら、いつか返事をしてくれることだけを祈って。

 しかし、治人の症状は改善されず、暫くして愛知県の病院へ移送されることになった。診断だけ見れば、溺れ流された時に岩で頭を打ったであろう脳への圧迫。ただ、それは昏睡状態の根本原因ではないらしい。そのため治人の父、幸島のおじさんは同様な患者の治療実績がある病院へ治人を転院させることを決めた。自分も移り住むという。

 彼が移送されてしまったら、本当に一人ぼっちになってしまう。一層胸が苦しくなった。

 そんな時、幸島のおじさんに呼ばれた。引っ越しのため、家の荷物を整理するから手伝って欲しいという。

 家を尋ねると、おじさんは治人の部屋に入れてくれた。隅に置かれた見知らぬ釣り道具が目に留まる。まだ新しい。治人が最近始めた釣りだった。練習して上手くなるんだと意気込んでいたらしい。

 私はその竿を手に取った。持ち手のコルクグリップを握った時、僅かな伝達があった。幼い頃より私は人より感覚というか感性が鋭い。物や自然からいろいろ感じ取ることができた。人に相談しても気味悪がられてしまうので、物心ついてからは黙っていた。問題はなかったし恐れも感じなかったから。とはいえ、使い道も徳もないものだった。

 釣り竿をぎゅっと握ると、更に私の中に流れ込んできた。伝わったものは治人の楽しそうな喜びの感情、もっとこの釣りをしたいという気持ち。

 私はこの釣り道具を預かってもいいかと尋ねた。おじさんはなにも言わず頷いてくれた。多分、治人の部屋を見せることで、私の心の整理が出来ればとおじさんは考えたのかもしれない。救われた気がした。事故の時に止まっていた時間が動き出したように感じだ。

 簡単だった。残された私がやらなければならないのは、二人の分まで人生を楽しむこと。過去は変えられないが、未来はこれからもある。でも、きれいごとにはしない。背負っていくものにも責任を持つ。辛さは根性でなんとかする。心が決まった。

 私は次の日から再び学校へ通い始めた。

 暫くして、預かった釣り道具がフライフィッシングのタックルだと知る。私のFFの始まりだった。

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