第36話 かさがくれ その2
神さま? いや、主神と言っていたのは、敬意を払った呼称であって……まさか、長良川の水神さまなのか!?
いやいや、川の神は姫神のはず……こんなグロ、いや、個性的な容姿であるわけがないだろう、きっと清流のように透き通った肌の美人で――
「か、笠隠神社の氏神さまです」
かおれが息を詰まらせながら補足した。
「……だよね……氏神さまですか」
俺は一呼吸して答えた。一気に頭の中が整理され、偏った妄想は持ち越しとなった。だが、待てよ。とはいえ、それはそれで凄いことではないの。
「神さまってのは、存在を感じるだけで実態は無いとかいう話じゃなかったか? 穂香もそんなふうに言ってたよね」
俺の問いに、かおれは俯き加減で眉間を揉みほぐし言葉を濁す。
「ええ、そうなのですけど……これは……」
おいおい。なんで微妙な言い回しなのですか。
さておき。かなりイレギュラーな事態が発生したということだ。二人の神使の様子が物語っている。氏神ではあるが、神さまが目の前に現れたのだから。
どうやら神さまってやつは、神使ですら理解できないほど適当な……いや、いろいろと超越した存在らしい。
そうなると、俺は既に神さまに会っていたことになる。そして、その神さまの頭をロッドの先で突いたってわけだ。この二週間で起こった事象の連鎖がここでつながった気がした。
『納得できたかのう?』
オオサンショウウオ……ではなく、笠隠の氏神さまは何故か得意げに言った。喋ってはいないのだが、そういう表現にしておく。
「いろんな意味で、なんとなく……ですけど」
「やっぱり、ちょっと気味が悪いわ。本当に神さまなのかしら……」
まじまじと見ていたかおれが呟くと、すのりも顔を
「ええ、グロいし。怪しいわ……」
おいおい。君たちが
『これこれ、木曽の神使どもよ。わしは一介の神でしかないが、失礼なことを言うものではないぞ』
ほら、こうなるでしょ。
「それで……これは、どういうことですか?」
場の空気が今以上に悪くならないうちにと、俺は会話を実益ある方向に修正する。
『なんや?』
黒い塊の氏神は小首を傾げる……ように見えた。
「あなたが笠隠神社の氏神であることは分かりました。神社に収められていた瓶子が洪水で失われ、長良の水神さまが探していることも知っています。ここに呼ばれた理由もです。加えて、濃尾の三姉妹の話も聞きました」
『ほう、それで?』
「えっと、ですね。俺があなたと出会ってから、木曽の水神さまがうちの柴犬たちを神使にして、お役目が与えられたわけですよね」
『うむ、そうじゃ』
「その辺りの経緯を教えてもらえませんか?」
今更この事態に文句を言うつもりはないが、話くらい聞いておきたい。
『知りたいのか?』
物事のプロセスに意味は無いとでも言いたいのか。まあ、超自然的な存在で、人間のように理屈をこねることに意味を見いだせないのかもしれないが、こちらが適当だと感じている部分を多少なりとも払拭させてもらいたいものだ。
「ええ。普通、誰でも知りたがると思います。というか、それくらい教えてくれてもいいんじゃないですか。お役目を果たしてきたのですから」
俺は包んでいたタオルを外して瓶子を差し出した。
『――おお!』
氏神は感嘆の声を上げた。
『確かに、そうじゃな……分かった、分かった』
そう言って、黒い顔を縦に振った。
『ことの始まりは、木曽の水神がわしに相談してきたんじゃ。お主の手にある失われし瓶子の手掛かりを得たと言ってな。何処からか知らんが、そんな話が舞い込んだらしいのよ』
笠隠神社は長良川の治水を祈願したものだ。その氏神が木曽の水神さまとも交流があるとは妙な感じだ。神さま同士の相性もあるみたいだが、本来は分け隔てなくやり取りがおこなわれているのだろうか。
『それなら、わしのところの神使に取りに行かせると言ったら、自身の神使を遣わせたいというんじゃ。まあ、長良の水神にいいとこ見せたい気持ちも分かるが、今まで神使など遣わせたことがない木曽の水神は少々困っておった』
これは水神の神使がレアだっていう話にもつながる。なるほど、初めての神使ってわけか。それは凄いかもしれない。確かに揖斐や長良の水神から直々に遣わされた神使は今のところ現れていない。
『……そんな時、わしの頭を小突いたのがお主じゃ。やはり来ておったかと思うて、様子を見に近付いただけなんじゃがの』
やはり? ……いやいや、小突いたのではなく、流木と間違えて突いてしまっただけなんですけど。やはり、そうなりますよね。本当に悪気はなかったのですが、事実に変わりはないので言い訳はしません。
『そうしたら、お主たちは犬山の柴犬を連れておるではないか……となれば、見逃せんわな……とまあ、そんなこんなで、わしが木曽の水神に推薦したんじゃ』
最後をかなり
「すのりとかおれがいたから……それが、選ばれた理由ですか?」
『お役目に神使は必須じゃからの。その上、お主も美濃や飛騨の土地鑑があるようじゃったしの』
たまたま現れた適材だったと? だとしても、神さまはいろいろ見通せるらしい。
「じゃあ、その犬山の柴犬って、どういう意味ですか?」
『うむ、それか……お主、犬山の地名の由来を知っておるか?』
「……いえ、まったく。考えたこともないです」
『そうじゃろな。地名の由来は諸説あるが、それはどうでもよい』
おい……
『犬山と名が付いたことが肝じゃ。これは地名の話だけでなく、万物すべてにおいて同じなのよ。八百万の神々は民と共にあり、すべては民がら名を与えられるところから始まるのよ。名が付いたものは神となる』
名が付いた時から、それは人々の共通認識となり神として崇められる対象となるわけか。与えられるって表現は神さまの立場からすると逆な気もするが、要は人あっての神ということだ。なんとも日本らしい宗教感だ。
琴音女将の話を思い出した。崇める人が多いほど八百万の神々の力は強くなると。しかし、犬山と呼ばれる土地が多くの人に親しまれていたとしても……犬なのか?
「でも、それだと犬山だから犬、みたいで安直に聞こえますが」
『そうじゃよ。猫山になっていたら。猫山の三毛猫神使なのであろう』
「……」
おれが半眼になると、氏神は『ほほ』と笑った。
『だから言ったろう。名の由来はなんでもいいんじゃ。犬とういう言葉が入ることになった経緯が大事なのよ。そこには当時の民の考えや気持ちが反映されておるからの。犬山という地名には、犬を意味するところが必ずある。故に名は大事なのじゃ』
「つまり、名は体を表す、みたいな?」
『おう、それじゃ』
いや、そうなのか……まあ、はっきりしないが犬山には犬とつながりのあるなにかがあったということか。そして、犬山と聞けば人々は犬をイメージするだろうし、犬って存在に親近感を持つことにもなる。犬が崇められたりしたかも。それが、そこで生まれた犬たちのパワーになっているってわけだ。
『犬山には
なるほど、犬が象徴だったことを現す具体的な話だ。
そうか、今更ながらに納得する。八百万の神々の世界は曖昧なのだ。これまで十分見てきたではないか。自然は不確実なものだらけであり、だからこそ人は神とつながりを求め歴史的な積み重ねを大切にしてきたのだ。
「なんとなく理解しました。犬山の柴犬か……この子たちを見ていれば、一番納得できますけどね」
『それとな、その者たち本来の資質も反映されておるようじゃよ』
「血筋がいいってだけなら聞いていますけど……」
武将の話が出てきたけど、犬山って戦国時代とかの要所だったりしたっけ。歴史の知識がないので分からないが、今度調べてみよう。この子たちの勇ましさに関係あるかも。
俺はすのりとかおれを見遣った。話を聞いていたが、当の本人たちは興味がなさそうに安気な顔をしていた。
木曽の水神が初めて遣わした神使って部分は納得だ。今回のお役目が行き当たりばったりだったのは、そんな不慣れな事情があったのかもしれない。
『結局のところ、正解だったみたいじゃの。揖斐の水神の横やりも
「――それ、知っているのですか?」
そんなことも神さまは見通せるのか。
『今回はいろいろありそうじゃったからの。お主らの動きは把握させてもらっておった』
神々の世界には監視網でもあるのだろうか。それなら、不慣れなのは分かるが木曽の水神さまから、もう少し支援があってもよさそうなもの。それとも、この氏神さまが特別なのか。
「――笠隠さま。安易に姿をお見せになるのは、いかがなものかと思いますが」
「!?」
どこからともなく掛けられた声。咄嗟に辺り視線を走らすと堤防の法面に人の姿があった。こちらを見下ろしている。横の梛乃も驚いて、俺の陰に身をひそめた。
そういう登場はやめて欲しいものです……で、どちら様ですかね。
すのりとかおれは既に存在に気付いていたらしく、そこに佇む人物を凝視していた。微かに上がった口角の奥に覗く可愛い犬歯。おや、この反応は……
「こんにちは……こんな時間だから、こんばんは、かしら……なにもしませんよ、安心して下さい」
女性は落ち着いた口調で言った。俺はその容姿に見入った。川辺で出会う女は神使で、しかも美人と相場が決まっているかのようだ。
それにしても、これはどうだ。銀髪のショートヘアとは浮世離れしている。横文字ならハイライトのアッシュグレーというやつか。すっとした顔の輪郭に切れ長の黒い瞳。高い鼻も相まって、どこか気高い雰囲気がある。
濃紺のパンツスーツを着こなす長い手足。背が高いぶん小顔が際立って、まんま雑誌のモデル。ダークカラーのコートを羽織った立ち姿が様になっている。若く見えるが、落ち着いた感じから三十半ばといったところか。
『まあ、よいではないか。かすみよ』
氏神はそう呼んだ。
「あれ……
かおれが俺にごにょごにょと耳打ちする。なるほど、新キャラの登場だ。いつかはと期待していた女狐の神使だが、妖艶ではなく凛として高潔な雰囲気をもつ女狐だった。女の服装と二人のやり取りから、氏神の秘書か世話役みたいな存在なのかと想像してしまった。
しかし、気配無くやって来て、革靴なのに滑りそうな堤防の法面に平気で立っているあたり。やっぱり神使なんだと実感する。
「こんばんは、ですかね」
俺は相手に会わせて挨拶を返し、氏神に問い掛ける。
「この方は?」
『うちの神社に仕えている者じゃよ』
「かすみ」と呼ばれた神使は従属を示すように頷いた。
想像通りだったが、神社に仕えているとは神使のお役目としてなんて真っ当なのだと思った。どんな仕事をしているのか興味が湧いたが、この人にまつわる事情まで聞くと話が長くなりそうだ。ここまでの経緯も整理できたことだし、要件を優先する。
「えっと……それで、これをどうしたらいいですかね?」
手に持ったままになっている瓶子を見せる。
『そうじゃな……この体では受け取れんわな』
氏神はそう言って、黒い体の横に生えている小さな前足を上げて見せた。仰る通り。動きは何処か滑稽で、可愛いと言えなくもない。俺は苦笑い。
「……じゃあ、どうすれば?」
『ふふふ。その者に渡してくれ』
「……ああ」
冗談だったのか。奇妙な生物……いや、お茶目な氏神相手のコントはご遠慮したいものだ。まあいい。さっさと瓶子を渡して、このお役目を終わらせてしまおう。俺は狐の神使に足を向けた。
『――それを少しばかり、貸してやってもよいのじゃが……お主よ』
「はい?」
俺は振り返った。
『お前ではない。そこの娘に言ったのじゃ』
なにを突然言い出すのかと思ったが、梛乃は目を瞠り動きを止めていた。
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