第35話 かさがくれ その1
ともかく、猫娘の大切なご夫婦を巻き込まずに事態が収拾してなによりだった。もう少し残って詳しい事情を聞きたかったが、先を急ぐことを優先した。簡単な別れを告げ、俺たちは車に乗り込んだ。
最後に助手席の梛乃と再会の約束を交わした穂香だが、後の二人になにか言いたい様子だった。察した俺は後部座席のガラスを下げた。かおれと視線が合った穂香が近付くと、背後からすのりも顔を覗かせた。
「服……破れちゃったね……その、ごめんね」
破れたかおれのダウンジャケットに目を落とした穂香。それなりに気にしているらしい。律儀なところもある。
「仕方ないわ。気にしないで」
かおれは落ち着いた口調で微笑を浮かべた。すのりはいつもの調子で答える。
「そうそう、あなたのためってわけじゃないんだから。勘違いしないでよね」
本気なのか素直じゃないのか。とはいえ、少なからず気持ちは伝わったみたいで、穂香は表情を和らげた。
「うん……でも、ありがとう」
そう言ってはにかんだ穂香だが、猫娘らしいところも忘れていなかった。
「……それにしても、あなたたち本当に強いのね。想像以上で、ちょっと引いたわ」
うちの神使たちはなにも言わず苦笑で返した。そのやり取りを見て、俺なりに確信した。今度会う時は、きっと仲良くできるだろうと。
俺たちは穂香に見送られ大きな屋敷をあとにした。
思わぬ寄り道で時間を食ってしまったが、高速道路に乗ってしまうと安堵感が広がった。しかしながら、今は順調に流れているこの道も、スキースノボ帰りの車で渋滞する時間が迫っている。早めに抜けたい焦りもあるが、とうに昼を過ぎた時刻になっていた。
当然の如く、お腹をすかした少女たちが騒ぎだした。あの立ち回りの後だから、空腹なのは仕方なし。エネルギー補充は必要と判断。途中のサービスエリアで遅い昼食となった。
「なるほどねえ~」
フードコートの一画。すのりとかおれが、けいちゃん定食をぱくぱくと口に運ぶ横で梛乃が呟いた。この手の声色は話を聞いて欲しい時の振りだ。
ちなみにけいちゃんというのは、味噌で味付けした鶏肉と野菜を鉄板で焼いた地方料理である。唐辛子がピリッと効いていて、お米やビールの友に最適な岐阜のソウルフードだ。
「――なになに?」
俺は山菜天ぷらうどんを啜っていた箸をとめる。梛乃は手付かずのサンドイッチをトレーに置いたまま、覗き込んでいた携帯の画面をこちらに向けた。
「
俺は映った文字を読み上げた。
「そ。さっきの須恵六幸之助って人が言ってた山よ。甲斐犬の神使たちの名前は、ここから付けたみたい」
「へー。まあ、その山神さまの神使だしね」
白峰三山というくらいだから、三つの山から成ることは想像できたが、三人の坊主頭の名前の由来がそこにあったとは。梛乃は携帯の検索情報を見ながら得意げに説明した。
白峰三山には
そもそも、さらっと語っていた彼らの名前を、よく覚えているものだと感心する。大して気にもしていない俺とは大違いだ。こういった知的な部分も彼女の魅力の一つである。
すのりとかおれも川から取った名前だし、それなりに親近感がなくもない。でも、「みのり」って奴は、なんだかすのりをやけに意識していた気がする……プライドを木っ端みじんに打ち砕かれて、逆に惚れたか……
いや、俺は許しませんよ。可愛い娘たちに寄り付く虫は追い払います。
結局のところ、その後も高速道路はスムーズに流れ、俺たちは何の問題もなく笠隠神社に到着した。太陽は遠くにある西の山脈に沈みかけている。この時期だから、あっという間に暗くなる。気温も更に下がってきた。
小さな町に点在する人家を抜けると、赤い鳥居が見えてきた。笠隠神社は町の中央にある小山の麓にひっそりと佇んでいた。駐車場と書かれた案内板に従い小道に入る。緩やかな坂を上がると駐車場と思われる広場に出た。車を停めて様子を窺う。
神社の境内がよく見える。人の気配はない。俺は辺りを見回しながら車を降りた。梛乃と神使たちも続く。
すのりはミリタリージャケット風アウター。かおれは厚手のカーディガンに着替えていた。二人共に汚れたタイツは履き替えた。不測の事態に備えて、動きやすいトレッキングシューズはそのまま。
広場に面した瓦屋根の木造家屋は管理棟だろうか。奥に
「――そっち、じゃないです」
かおれは違う方向に小首を傾げていた。その視線は境内とは反対側。ここからは見えないが、そっちには長良川がある。
須恵六幸之助が話した瓶子にまつわる笠隠神社の物語。元々の社は川岸に建っていたという。瓶子を届けるべき先はそこだってことか。
梛乃と目が合う。彼女も理解したようだ。
「案内を頼む」
「はい」
短く答えたかおれ。さっき車で登って来た小道を下り始めた。それに続く。車のラゲッジから取り出した瓶子は俺の手の中にあった。
すぐに川の音が聞こえ始める。人家の角を抜けると堤防の向こうに河原が広がった。遠くに向う岸が見える。周囲に人気はない。
よく知る長良川を前にして、これほど緊張したことがあっただろうか。大きな魚を水中に見つけた時よりも心拍数が上がっている。無論、川の流れにライズを探す気にはならない。
堤防道路沿いの田んぼの片隅に、人がやっとくぐれるほどの小さな鳥居を発見した。ここが大昔に大洪水で流されてしまった神社の跡というわけだ。ご丁寧に横にあった石碑にも、同じような説明文が刻まれていた。
『――やっと来たのう。こっちじゃ、こっち』
突然掛けられた声に驚く。だが、振り向いた先には誰も居ない。川があるだけだ。しかし、それを聞いたのは俺だけではなかった。梛乃も周囲に視線を走らせている。
すのりとかおれは更に反応していた。弾かれたように堤防の
「どうした?」
「そこよ、そこ!」「すぐそこです!」
揃って振り向いたすのりとかおれが答える。
「なにが!?」
続けて問い掛けるが、その足は止まらない。
「分かんない、でもいるの!」「分かりませんが、いるんです!」
ただごとではないと察する。いろんな場面に遭遇してきたが、今までとは少し違う感じだ。
俺は梛乃の手を取った。デニムパンツを履いていて運動神経も悪くない彼女だが、この時間帯の濡れたコンクリート堤防は凍っていることが多い。長い法面を滑り出したら河原まで急降下になりかねない。俺たちは慎重に足を運んだ。
それで、なにが居るのだろう。次の神使でも現れたというのか。
神使たちが向かったのは、石がゴロゴロしている河原の岸際だ。そこには誰もいない、なにも無い。ただ、穏やかな長良川の流れがあるだけ。確かに、さっきの声はこっちから聞こえた気はするが……
水際まで行ったすのりとかおれは、なにやら下を向いて覗き込んでいる。遅れを取った俺と梛乃がそれに追い付く。
「い、いったいなんだよ……ど、どうなってんの?」
慌てたせいで息が切れる。
神使の二人は同時に顔を上げ、こちらを向いた。なんとも頓狂な表情で目をしばたたかせている。驚きの現れなのか、まさに鳩が豆鉄砲を食らったみたいだ。
俺は間に割って入り、水辺に視線を落とす。
「……!」
そこには黒光りした大きな物体が、のっそりと水から顔だけ出していた。
体長は優に1メートルを超えている。体に比べて小さな前足がしっかりと川底を掴んでいる。目が何処にあるのか分からないが、こちらを見ているように思えた。
そう、見覚えのあるオオサンショウウオだ。特別天然記念物の個体を区別できるはずもないが、この展開はまさしくそう考えるしかない。あの主神だ。
『おう、久しいのう』
その生き物は、口からぷくぷくと泡を出している。二週間ほどの時間を久しいと感じるなら、そうなのだろう。しかし、それより聞こえてくるのが声ではないことに唖然とした。
『どうした? なにをそんなに驚いとるんじゃ』
ここ最近は非現実的な場面の連続だったが、これははるかに驚愕だ。目の前でオオサンショウウオが喋っているのだ。いやそれもあるが、この感覚は異様だ。耳で聞いていないのに、頭の中に音声のように伝わって来る。もしかして、テレパシーというやつか……
梛乃も横で固まっている。同じく聞こえているらしい。そして、事態を察している。
「これ、鵜飼観光ホテル前で会った奴だ……」
呆然と凝視しながら、俺は思ったままを口にしていた。すると、オオサンショウウオは首を持ち上げた。挙動に驚いた俺はたじろいで身を引く。
『おいおい。わしを「これ」とか「奴」とか呼ぶでない。それから、そんなに驚くな。噛みついたりせんよ』
いや、驚きますよ。神使に飽き足らず、妖怪じみたものが登場してきたのですから。主神と思っているあなたが、
ふと横を見ると、すのりが神妙な顔で俺を見ていた。脅威を感じている様子はない。反対に視線を移すと、かおれも同じような表情。どちらもなにか言いたげである。
「もしかして、これ……いや、このオオサンショウウオが何者なのか分かるのか?」
すのりとかおれは頷いたあと、やはりシンクロで答えた。
「神さまよ」「神さまです」
「……神さま?」
俺は半眼になった。
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