第34話 ふりーらんす

 呼び止められた須恵六幸之助すえろくこうのすけは、軽く目をしばたたかせて梛乃を見据えた。

「ねえ、教えて。あなたたちが、揖斐の水神さまの依頼通り瓶子を手に入れたとしたら、その見返りはなんだったの?」

 梛乃は一歩前に身を乗り出す。

 見返りか。フリーランスというからにはお役目の成果に対する報酬があるはずだ。これまで出会った神使たちのお役目は、誰かに寄り添ったり仕えたりすることで目的そのものでもあった。神さまになにかを求めたり、与えられたりするものではない。これは全く違うケースだ。

 確かに気になるところではあるが、それよりも彼女が知りたがっていることに少し困惑した。

「……なんだ、そんなことも知らんのか? 木曽の神ってのは随分適当にお役目を与えるんだな」

 ええ、そうなんですよ。いろいろ振り回されっぱなしで大変なんです。あなたもその一つですけどね。

 須恵六はサイドステップに掛けていた片脚を下ろした。そして、呆れた顔でため息をひとつ。

「まあいい……神からのお役目ってのを果たすと、願いを叶えてもらえるんだよ。」

 なんと。これは梛乃のファインプレーだ。とても貴重な情報ではなか。

「願いって?」

 梛乃は訊き返す。

「言葉の通り、実現したい願望のことだよ……ただし、なにを叶えてくれるかは神次第だがな」

 意味が分からなかった。どういうことだろう。こちらの怪訝な表情を察したのか、須恵六は話をつなげた。

「つまり、こっちから要望は出せないんだよ。お役目を果たした者の願望を神が勝手に察して叶えてくれるんだ。だから、本人が思う願いとはちょっと違う場合もある。そこは神任せというわけだ。

 まあ、神からの福袋みたいなものだな。もちろんどんな結果でも、本人にとって悪いものではない。だから、余計な心配しなくていい。今回は長良の神が永らく待ち望んでいた瓶子にまつわるお役目だ。それなりの願いを叶えて貰えるんじゃないか」

 福袋とはよく言ったものだが、神が勝手に叶えてくれる願いというのはどうなんだろう。木曽の神さまの適当さを考えると、俺は期待よりむしろ不安を覚えるのだが。

「あんたが今までに、お役目を果たして叶えて貰った願いってのを教えてくれないか?」

 我ながらストレートな質問に須恵六は片眉を上げた。さすがに不躾だと思ったが渋い顔で呟いた。

「……フルーツタルトだよ」

 フルーツタルト? 店の名物がなんだというのだろう。俺が小首を傾げると、須恵六は咳払いをしてから声のトーンを上げた。

「うちは先代から店を受け継いだ老舗なんだが、一時期経営が傾きかけた時期があってな。そんな時、今のフルーツタルトのヒントを与えてもらったんだよ……まあ、細かいところは想像に任せるがな」

 なるほど。この男の事業が成功している裏には、そんなことがあったのか。

「神さまから与えられたフルーツタルトか……」

 俺は呟きながら考えた。もしかして、「神さまのフルーツタルト」って商品があったりして……

「ちなみに、『神さまのフルーツタルト』なんて名の商品はうちには無いからな。そんな安直なセンスで商売人は務まらん」

 須恵六は、見透かしたようにほくそ笑んだ。

 くそっ。勝手にダメ出しされてしまったが、俺は冷静を装う。

「……で、更なる願いを叶えてもらうために、あんたはフリーランスを続けているってことか?」

「少しばかり違うな……俺が望んでいるわけではない。こいつらにお役目が降りてくるからやっている、が正直な話だよ。まあ、嫌いじゃないってのもあるがな」

 須恵六は車内の彼らを一瞥する。この男のどこか遊び感覚のような態度はそういうところから来ているのか……あれ?

「ちょっと待ってくれ」

 俺は息を飲んでいた。

「つまり、あんたみたいなケースで神使が仕えている場合は、こうやってなにかあるとお役目が降りてくるってことか? それって、俺たちも既にフリーランスだと?」

「さあな。フリーランスってのは俺がそう言っているだけだ。定義は無い。だけど、結局そうなんじゃないのか。そんな神使を遣わされているんだから」

 フリーランスか……カッコよく言えばそうなのかもしれない。俺はどうなんだろう……

「今後もこんなのが続くのかな?」

「分からん。でも、神使が遣わされている間はそうなるだろうな」

「……」

 これからも神さまのために働かされるってことなのか。厄介な話しだが、可愛いすのりとかおれがこうなってしまっている以上、従うしかないのだろう。もしかして、こいつも仕方なくやっている部分があるのかもしれない。とりあえず見返りはあるのだから良しとして。

 言葉をつなげなかった俺は梛乃を見遣った。

「……分かったわ。ありがとう」

 梛乃が須恵六を見てそう言った。彼女もすっきりとはしていない様子だが、これ以上訊くことはなかったようだ。


 話が終わると、あっさり車に乗り込んだ須恵六幸之助。エンジンを掛け勢いよくアクセルを踏んだ。もちろん別れの言葉はない。そそくさと俺たちの車の横を通り過ぎ、穂香が再び開けた門を抜けて行った。

 白い四輪駆動車のテールが田畑の向こうに消えると、たまらず「ふう」と大きなため息が出た。俺は手の中にある名刺に再び視線を落とす。

「結果、オーライよね?」

 梛乃が体を寄せてきてニコリと微笑む。俺の心労をねぎらってくれていた。当事者の猫娘もいるからだろうが、起こったことに愚痴を言わないのが彼女の素晴らしいところでもある。

「だね」

 俺が梛乃に相槌を打つと、横で穂香が深く頭を下げた。

「だとしても……本当にごめんなさい」

「ううん。穂香ちゃんが謝る必要なんてないよ」

 梛乃は穂香の腕を掴むと、大袈裟にかぶりを振った。その通り。

「そうだ。悪いのはあいつらだ。君の事情はよく知っているしね。気に病むことはない。人の弱みに付け込むとは不届きな奴らだよ。それに、なんとかなったしね」

 この話を掘り下げても得るものはない。神妙に俯く穂香を横目に、俺は傍らに来ていたすのりとかおれに体を向けた。

「お前たち、本当に強いのな。俺の不手際でドタバタしちゃったけど、よくやった。いい働きだったよ」

 俺は伸ばした手を両方の頭に置いた。よしよしとその髪を撫でる。

 すのりとかおれは首をすぼめて受け入れると、ぎゅっと胸に抱き付いてきた。「おうっ」と心のでひっそりと呟く。あい変わらす、素直過ぎてこっちが照れる。

 梛乃だけでなく穂香もいるので、引け目を感じる部分はあるが、これは需要と供給における大切な行為と判断しているから仕方ないのである。

 梛乃は目をしばたたかせたが、この光景を許容してくれている様子。というか、諦めているのだろう。だが、穂香は眉根を寄せ複雑な表情で苦笑した。

「……そんなスキンシップするんだ……キモいわ」

「あ、いや……これはね……」

 衣着きぬきせぬ厳しい物言。でも、シュンとしているよりそのほうが猫娘らしくていい。

 しかし、猫的な感覚からするとそう見えるのか。猫だって人間にすり寄ったりするでしょうに。いや、年頃の娘がいい歳の男に抱き付く行為がまずいのか……

 しかし、かおれは俺の胸から少し顔を浮かせ、不服そうに横目で睨み付けた。

「あなたも地面に叩きつけられたいのかしら?」

 すのりも同様に穂香を一瞥して一言。

「うるさいわね。嚙むわよ」

 穂香はたじろぎながら視線を逸らした。

「いや……それは勘弁して……」

 梛乃はその様子にくすっと笑い俺を促した。

「さて帰りますか? 目指せ、笠隠神社ね」

「ああ、了解」

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