第33話 すいーつ
「なんだかね~」
髭の男の言葉に考え込んでいると、ため息交じりの声が。梛乃が穂香の手を引いて横に来ていた。傍らで話は聞いていたらしい。
もう悪さはしないだろうが、甲斐犬坊主たちは柴犬少女コンビにお任せした様子。
「でも、それならそれで、早く瓶子を届けないといけないよね」
話の途中から割って入った梛乃なのに、まったくもって的を射ている。今やらなければならないことは、まさしくそれだ。
「……だね」
俺は彼女に相槌を打って、髭の男を見遣った。
「事情は大体分かった……で、話を戻すが、木曽の水神のような川の神さまが神使を遣わすのは、そんなに珍しいことなのか?」
まさに「なんだかね~」なので、神さま同士の内輪揉めにさほど興味はない。俺の関心はこっちだ。
この世界を知って間もないが、すのりとかおれの存在は神使の中でも異質な感じがする。にもかかわらず、瓶子を持ち帰るためだけに遣わされたとはやはり思えない。
「ああ、珍しいね。この世界を渡り歩いている俺が言うんだから間違いない。神使のレベルに決まった尺度があるわけじゃないが、お嬢ちゃんたちは希少だよ。こんな宝探しじゃなく、木曽の神から遣わされた本来の目的が他にあるんじゃないか?」
「……」
俺は閉口してしまった。すのりとかおれを一瞥する。
この子たちが遣わされた理由……自分の疑念と髭の男の言葉が重なって、なんとも心中穏やかではなくなる。
すると、梛乃がやんわり俺の手を握ってきた。片言のように口ずさむ。
「だいじょうぶよ」
大きな瞳を細め、微かな微笑を浮かべる。
時々思うのだが、彼女は俺の心をすべて理解しているのかもしれない。胸に詰まりかけていたものが、ぽろぽろと剥がれ落ちた。
またしても戸惑い始めていた自分に言い聞かせる。すのりとかおれはどうであろうと俺たちの神使じゃないか、と。
気持ちを切り替え、話の矛先を変えた。
「その……ちょっと違う話になるが、神使ってのは元の姿に戻ることはないのか?」
これも関心ごとである。琴音女将からは、この件についてはっきりした答えを貰っていない。知ったところで、なにかできるわけでもないが、うちの神使たちのためにも情報は多い方が良い。
「さあ、どうなんだろうな」
髭の男は自分の神使たちを横目に言った。意識を失っている一人を最後に残った奴が介抱しているところだった。
「俺の経験上、元に戻った神使を見たことはないな。ただ、戻ったという話は聞いたことがある。あくまでも噂話だがな」
深く考えている様子はない。期待していなかったので、答えに不満はないのだが。
「あんたは気にならないのか?」
「どうかな……こんな特異な世界だ。細かいことを気にしていても、しかたあるまい。そうなったら、なった時さ」
確かにその通りである。はぐらかされた感はあるが、あるがままに受け入れるという姿勢。なんとなく琴音女将と同じ捉え方をしていると思った。
「……」
俺が再び口を閉ざすと、髭の男はゆっくりと歩み寄ってきた。思わず身構えると、ニヤリと歯を見せてなにかを差し出した。
「無駄話はこれくらいにしよう……退散させてもらって、いいだろうか? 気持ちよくは受け取れないかもしれないが、これもなにかの縁だ」
指先になにかが挟まれていた。俺はそれを摘まむように受け取った。名刺だった。しかし、目にするも困惑しただけだった。
「すえろくてい……?」
声に出してみてもピンとこなかった。
そこには洋菓子専門店、
洋菓子専門店……そんな商売をしているのか、こいつは。
俺は眉根をよせて髭の男を見た。冗談ではなく、見かけとは違い随分と甘い堅気の商売をしているのだなと思った。よほど裏社会の人間とでも言われた方が納得できる。
「あんたが、この代表なのか?」
「ああ、そうだ」
これが本物という保証は無いし、今更一方的な和解を示されてもね。人はおいそれと心を許せないのですよ。そもそもその態度、ちょっと軽くないですかね。
「――うそっ! ほんとに?」
驚きの声が意外なところから上がった。梛乃が目を瞠り、俺の手元の名刺に釘付けになっていた。
「えっ、なに?」
俺の頓狂な反応をよそに梛乃が続ける。
「あの、フルーツタルトの須恵六亭なの?」
髭の男は頷くが、俺の表情は怪訝なままだ。梛乃さん、それはどういう事でしょう?
彼女は俺の顔を見て、目をしばたたかせる。
「治人知らないの? 関東では超有名なのよ、このお店。季節限定の商品なんて、なかなか手に入らないんだから。特に甲府の本店でしか作られない商品はレア中のレア」
「……」
おいおい。なんですか、そのグルメレポーターみたいな
「穂香ちゃんは、知ってるよね?」
「うん、うん」
振られた猫娘は目を皿のようにして小刻みに頷いた。女子は皆スイーツ好きなのか……そうだろうが、それくらい有名ってことだ。
そして、こちらの騒ぎに聞き耳を立てる、もう一人の甘党がいた。甲斐の坊主頭たちに視線を向けながらも、体が若干こちらに傾いていた。もちろん、すのりである。犬の神使ならではの鋭い聴覚が、この話を聞き逃すはずもない。
女子たちの話を総合すると。なんでも、関東方面で展開している最近はやりのスイーツ店で、山梨のフルーツをふんだんに使ったタルトが有名らしい。
気がそがれ。もう、なんだかどうでも良くなった。
「分かった、分かった。退散してくれ」
俺は軽く手を振った。ただし、忠告は忘れない。
「……でも、今後はこんなのはやめてくれよ」
「ああ、もちろんだ」
髭の男。須恵六幸之助は少し歯を見せながら、自分の車に向かって踵を返した。
すのりとかおれに目を移すと、梛乃の言いつけ通り甲斐の坊主頭たちのお目付け役を継続していた。
意識を失くしていた奴らも正気を取り戻している。腹に一発食らっただけで済んだ坊主頭の肩を借りながら、白い四輪駆動車の後部座席に乗せられているところだった。
なんともなくはないだろうが、とりあえず大怪我はしていないようなので安心する。猿男の小太郎と同じで、神使は意外に丈夫なのだという勝手な判断で良しとした。
仲間二人を後部座席に押し込んだ坊主頭が振り返る。視線はすのりに向けられていた。噛み締めるように、やられた腹に手を当てその部分のシャツをぎゅっと握った。
「……お前ら、なんでそんなに強いんだよ……反則だぜ、ほんとに」
口を歪めて出た言葉に、すのりは顎をしゃくって返す。
「あん? ……反則じゃないわよ。単なる実力の差ね」
「くそっ。なんだよそりゃ」
おお、小僧。負け惜しみを吐くとは、よほど悔しかったのだろう。
「それから、『お前ら』じやないわ」
すのりは淡々と言って、立てた親指を自分に向ける。
「私は、すのり」
次に親指を隣へ倒す。
「そして、かおれよ」
勝手に紹介された相棒だが、動ずることなく朗らかな笑みを浮かべる。そんな態度は逆に威圧感がありますね、かおれさん。甲斐の坊主頭の頬がピクリと動きましたよ。
すのりは目を細めて続ける。
「さっきも言ったけど、あなたの筋は悪くない。いつでも挑戦を受けてあげるから、その気があったら鍛えて出直してくるといいわ」
と、大胆な宣言。
すると坊主頭は、挑発に怒るかと思いきや、ニヤリと笑った。
「……ああ、そうするよ……それから『あなた』じゃない。俺は、みのりだ。車の二人は、ほくあとかんとだ」
すのりは「ふん」と鼻を鳴らす。
「そう、分かった。覚えておくわ」
「みのり」と名乗った甲斐の坊主頭。すのりに視線を置きながら、助手席に乗り込んだ。
それを見届けた須恵六は、ゆっくりと運転席のドアを開けた。
「――ねえ?」
このまま彼らの退散を見届けるつもりだったが、唐突に保留したのは梛乃だった。俺は驚いて隣の彼女の横顔を見遣った。
須恵六はサイドステップに脚を置いたところで止まり、虚を突かれた様子で振り返った。梛乃から言葉を掛けられるとは思っていなかったようだ。
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