第32話 さんしまい

 木曽の水神さまから神使が俺のところに遣わされ、長良川にまつわるこのお役目、というかお使い。更には揖斐川の水神ときた。

 尾張地方で有名な三つの河川。木曽三川が揃ったわけだ。このまま最後は長良の水神さまの登場となるのだろうか。

「ちょっと待ってくれ。なんで揖斐の水神さまが、そんなことする必要があるんだ? 瓶子って、いったい何なんだよ」

 俺の焦りをよそに、髭の男の眼差しが怪訝になる。

「なんだ、そんなことも知らんのか? ……そんな神使を連れているのに?」

 どうやら呆れられている様子。確かに言う通りだ。この世界でいえば、うちの神使たちはA級みたいだが、その神使が仕えている人間はC級なのだ。悪いか。

「てっきり俺と同じフリーランスだと思っていたよ。神使をお供に自由に動く奴は少ないからな……じゃあ、こちらの奇襲にはさぞかし驚いただろう」

 髭の男はニヤつく。

「こんなのが、この世界の普通なのさ。それで、お嬢ちゃんたちはどこの神の遣いなんだい?」

 答えたくないところだが、約束した以上断るわけにもいかない。

「木曽の水神さまだよ」

 髭の男は瞬きすると、鼻から息を吐いた。

「なるほどね。真打登場だったのか……木曽の水神がそんなに凄いとはね。こっちも山の神なんだが、格が違うらしいな」

 真打って、なにやら意味ありげな言葉だ。何処かの馬の骨の神使だとでも思っていたというのか。それに山の神とは……

 でも、訊く必要はなかった。

「甲府って分かるか?」

「ああ、山梨の……」

 車のナンバープレートが品川だったので、てっきり東京の人間だと思っていたが。

「そうだ。そこから見える南アルプスの白峰三山しらねさんざんの神だよ。ここら辺と同様、山岳信仰が盛んな土地でな」

 良く分からんが、それなりに凄い神さまなのだろう。そして、合点がいった。その地方に馴染みがある犬といったらあれだ。

 すのりとかおれの外見に柴犬の特徴が現れているように、坊主頭たちにもそれはあった。虎柄の髪色だ。光沢のある黒にゴールドっぽい褐色の縞柄しまがら。加えて、あの俊敏性。

甲斐犬かいけんだよな……彼ら」

 俺は仲間を介抱している坊主頭を見遣った。

「ほう。犬の知識はあるみたいだな……その通り、こいつらは甲斐犬だよ。虎犬とらいぬと呼んだりもするがな。猟犬としては最適なんだがな……おたくの神使は?」

「柴だよ」

「そう言われれば、そうだな。しかし、うちの神使たちだって、決して弱かないんだがな。木曽の水神っていったって、あの強さは尋常じゃない。なにか特別なことでもあるのかい?」

「さあね。俺も良く分かってないんでね」

 俺の返答に小首を傾げた髭の男。すのりとかおれに暫く見遣った後、ふっと息を吐いてほくそ笑んだ。

「まあいい。さて、事情が呑み込めていないようだから教えてやろう。と言っても、結局この負けっぷりだからな……つまり、こちらの理不尽を見逃してもうための情報だ。それでも割りが合わないとは思うがな」

「……」

 俺が黙っているのを肯定と取ったらしく。咳ばらいをひとつして喋り出した。

「さっきも言った通り、お前らに恨みはないし、雇い主の神にも義理立てするつもりもない……そうだな、まずは三姉妹の話からするか」

 三姉妹? 俺は小首を傾げた。

「どこまで理解しているのかは知らんが、この世界にはいろんな神々が居ることぐらいは分かっているだろう」

 髭の男は俺に向かって、ゴツゴツした顔の片眉を上げた。歪ませた表情はやはり凄味がある。

「お嬢ちゃんたちを遣わせたのが木曽の水神で、俺を雇ったのが揖斐の水神だ。これに長良の水神を加えて、なんと言うか知っているか?」

 なんでクイズに答えなきゃならんのだ。

「……木曽三川の神とか?」

 俺がブツブツと渋い顔で答えると、相手は鼻で笑った。

「まあ、そうだが……神使と関わりのある界隈では、濃尾のうびの三姉妹と呼んでいる」

「濃尾の三姉妹?」

 俺の眉間に自然と皺が寄った。

「ああ、そうだ。濃尾平野を並んで流れる三つの河川。木曽川、長良川、揖斐川をまとめた総称だよ。誰が付けたか知らんけどな。川の神は姫神だからな。そうなるんだろう」

 だろうって、曖昧だな。そういえば、弓糸呂ゆしろ白山水迎はくさんすいげい神社を流れている川も祀られているのは姫神だった。とはいえ姉妹って、安直な括りだ。

「……姫神はいいとして、三姉妹って……そんな神話でもあるってことか?」

「さあな、神話は知らん。昔からそう言われているんだよ、実際今もそうだしな。そして、相変わらず長女と三女は仲が悪いときてる」

「はあ?」

 いったい何のことだ。俺が頓狂な声を上げると。髭の男は鼻を鳴らした。

「言っただろ。仲が悪いんだよ、昔からな。そう、大昔から」

「なんだそりゃ」

 俺はたまらず吐き捨てた。なにが言いたいか意味不明だ。

「濃尾の三姉妹は、長女が木曽、次女が長良、三女が揖斐なのさ。姉妹の順番がどうしてそうなのかは俺も知らん。濃尾平野の東からその並びで流れているし、川の長さでいったらそうなるけどな。

 真ん中の長良は両側の木曽と揖斐に好かれているが、その端どうしの仲が険悪でな。特に長良が絡む話になると、嫉妬も入り混じって木曽と揖斐でいざこざになるんだよ……仲が悪い原因を俺に訊くなよ、知らんからな」

 偉そうに言う割には知らんことが多いし、話の先もまったく読めない。

「――あのさ。それはどうでもいいが、瓶子とはどう関係してくるんだよ?」

「まあ、聞け。今回は長良の水神の失せ物の取り合いなんだよ。大昔に行方不明になった訳ありの瓶子。そう、あんたが持っているあれだ。

 その在りかは、最近になって判明したんだ。何処からか知らんが、もたらされたんだな。情報を掴んだのは木曽の水神だ。そこで、瓶子を見付けるお役目をあんたらに託したってことさ。回収して長良の水神のところに届けさせるためにだ。

 とはいえ、木曽の水神が直々じきじきに神使を遣わすとは思わなかったがな……」

 途中、納得いかない口ぶりになった髭の男だが、話は続けた。

「だが、揖斐の水神がそれに気付いてしまったんだな。そこで、俺たちフリーランスを使ってあんたらが探し出した瓶子をかっさらい、木曽の水神に一泡吹かそうって考えた。その上で手柄を自分の物にして、長良の水神のご機嫌も取ろうって魂胆だったのさ」

 話を聞いて絶句した。

 なんてこった。俺たちは神さま連中の姉妹喧嘩に巻き込まれたというのか。呆れてものが言えん。それぞれ仲の良い姉妹へのご機嫌取りで、こんなことになっているとは……

 俺は頭を振って気を取り直す。

「……それで、俺たちから瓶子を奪って、どうするつもりだったんだ? 長良の水神さまにどうやって届ける?」

 手に入れたところで、この先の情報が無ければ意味は無い。

「あんたらと同じだ。美濃にある笠隠かさがくれ神社へ届けるだけさ」

 やはり、そこは共通認識なのだ。俺は目を細めて訊き返す。

「なぜ、それを知っている?」

「なんのことはない。揖斐の水神もその辺の事情を把握しているからな。その瓶子については昔話がある……」

 昔話? 小首を傾げた俺。髭の男は合点したように付け加えた。

「その神社が、長良川の近くにあるのは知っているか?」

「ああ」

「今は川から少し離れた小山の麓に建っているが、昔は川岸にやしろがあったんだよ。だがある時、大洪水でそれが流されちまった。元々長良川をうやまい治水を祈願した神社で、その瓶子が宝物として納められていたんだ。

 当時の住人たちが京の都まで人を使いに出して、手に入れた貴重な瓶子だったらしい。周辺では長良川の水を使った酒造りが盛んだったから、その瓶子を使って水神さまにお供えしていたんだ。要は、神への願いがこもった奉物たてまつりものだな。

 洪水のあと、社は場所を変え新しく建立こんりゅうされたが、瓶子は行方不明のまま見つからずじまいとなった……民の想いは皮肉にも水によって流されたわけだ。

 神といっても万能ではないからな。長良の姫神は人々が落胆する姿を見て酷く心を痛めたって話だ。それ以来、数百年もの間、瓶子が笠隠神社に戻ってくることを願い、心待ちにしている」

 なるほど話が読めてきたぞ。だが、なおさらこれは大イベントではないか。俺たちみたいなA級とC級の凸凹コンビに託してよい案件だったのだろうか。

 すのりとかおれを社会に慣れさせるためとはいえ、二週間ものんびりしていたことに気が引けた。

 しかし、長良川で流された瓶子が山奥の河原にあった事実は、どう理解すればよいのか。川で流されたとしても、普通はそれほど遠くない川底のどこかに埋もれる。まして、長良川の行き着く先は太平洋。俺たちが瓶子を見つけたのは分水嶺の反対側で、日本海へ注ぐ川だ。

 推測でしかないが、瓶子の移動には人の関与があったのだろう。神社の近くで見付けたのだから、宗教的な何かが関係している気もする……

 俺が深く考えるところではないのかもしれないが、やっぱり、分からないことが多すぎる。

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