第31話 かい その3
さて、坊主頭の神使が一人だけ残っていた。すのりに一発腹に食らった奴だ。
今更ながら、彼の犬種が気になった。見た目が日本人だから、きっと日本犬だ。いや、そうなのか……でも、琴音女将いわく神使はイメージだと言っていたので、それほど間違ってはいないだろう。
統率された動きから、群れで狩りをする猟犬を想像した。そうなると、思い付くのは
それはいいとして。これは彼にとってかなり気の毒な状況だ。すのりとかおれを前に対峙するには分が悪すぎる。仲間の成れの果てを横目に、すり足で徐々に後退していた。
「私にやらせて」
そう言ったのは、すのりだった。腰に手を当て小首を傾げ、坊主頭を見遣る。
「あなた。私に一矢報いたいでしょ? さっき仲間にバカにされてたけど、筋は悪くないわ。一対一ならどう?」
坊主頭は力の差を自覚しながらも、虚勢を張って歯を剥いて見せた。すのりは次にかおれに一瞥をくれる。
「いいでしょ?」
手は出さないで、ということらしい。だが、かおれは首を縦に振らない。
「えー、私も相手したいのだけど……」
普段はあうんの呼吸で行動している二人。こういった会話は珍しい。俺の知らないところでは、もっと会話をしているのかもしれないが。
「ダメよ。涼しい顔してるけど、腹の虫がおさまってないでしょ? やり過ぎちゃうから、私にまかせておいて」
「えー、そんなことないよー」
口を尖らすかおれ。
「――はいはい。分かったから、そこで見てて……いい?」
お互いに冷ややかな視線を交錯させている。端からは、単に獲物の取り合いにしか見えない。
しかし、やんちゃなすのりが、優等生のかおれを
当の坊主頭は頬を引き攣らせている。目の前でそんな会話をされたら、そうなるよね。
「なんだよ。さっきは手加減してた、とでも言いたいのか?」
坊主頭は語気を荒げ、半眼ですのりを睨み付ける。
「そうじゃないけど、今はちょっと違うわよ……どう? 本当の私を味わってみたくない?」
「……」
すのりの思わせぶりな言葉に、相手は微かに口元を緩めた。
これこれ、なんですかその艶めかしい誘いは。行為はまるで違うけど、男を誘うような発言は看過できませんよ、すのりさん。
おっと。また失念していた。呆然と見入ってしまったが、すのりもかおれも聞き分けの良い子たちなのです。
「――ま、待ってくれ。二人とも」
俺は慌てて声を掛けてから、髭の男に向き合った。
「なあ。本当の勝負は着いた……そうだろう?」
返事が戻ってくるまでに暫く間が空いた。
「……ああ、そうだな」
髭の男は苦虫を嚙み潰したように呟いた。俺は晴れて勝者となった神使たちに相槌を送る。
「と、いうことだ。ぶっ飛ばすのは、そこまでにしてくれ」
すのりが、がくりと肩を落とす。そして、鼻を軽く鳴らした。
「……そうね。治人が言うなら、仕方ないわね。ここまでにしておいてあげる」
身構えていた坊主頭。顔の緊張が僅かに和らぐ。
「はい、分かりました」
かおれはすました口調でそう言いながら、坊主頭に軽く微笑を送っていた。その眼差しは氷のように冷たく鋭い。伝えたい事は大体想像できる。きっと、「今度、また私たちにちょっかい出したら、その時は……」みたいな感じだろう。
恐るべし木曽の神使たち。どうやら俺は、とんでもない少女たちに仕えられてしまったらしい。
タイミングを見計らっていた梛乃が、すのりとかおれの所へと駆け出す。彼女は両腕で二人を捕まえ、交互に顔を覗き込んだ。
「二人とも大丈夫? 怪我してない?」
「問題ないわ」「平気ですよ」
すのりとかおれは平然と返したが、梛乃は二つの頭を抱え強く抱きしめた。
「一時はどうなるかと思ったわ……本当に無事で良かった……」
安堵したのか、声には込み上げるものがあった。かおれが不思議そうにして繰り返す。
「梛乃さん。私たちは大丈夫よ、心配しないで」
だが、首を横に振る梛乃。
「ううん。いくら強くたって心配するわ。だって、あなたたちは私や治人にとって、とても大切な存在なんだもん」
そう言って二人の顔を見つめる。
「決して無理しないでね。いざという時は、逃げたっていいんだからね」
気持ちが伝わったのだろう。二人の神使は嬉々とした表情になった。
「……そうですね、分かりました」
かおれは素直に答えたが、すのりは顎をしゃくってニヤリとする。
「ええ。でもね、私たちは負けないわよ……ねえ、そうでしょ?」
一瞥された、かおれ。
「もちろんです」
その顔は自信に満ちていた。苦笑するしかない梛乃。可愛い神使たちを更に強く抱きしめた。
髭の男は負けを認めたあと暫く動かなかったが、大きなため息を吐いて白髪交じりの頭を掻き出した。
「まったく。こりゃあ、参ったね……」
そう言いながら、視線を流し片手を軽く振った。合図なのだろう、一人残った坊主頭が、急いで仲間たちのもとへ駆け寄った。
情け容赦のない逆襲だった。多分、あの子たちなりに手加減していると思うが、やられた坊主頭たちがちょっと気に掛かる。
「さて、力の差があり過ぎて話にならんな」
髭の男はショックから立ち直ると、他人事のように
「そっちのお嬢ちゃんたちは、どこの神の遣いなんだい? この期に及んでなんだが、退散する前に教えてくれないか?」
ふてぶてしい奴だ。穂香を囮にして、奇襲まで掛けておいてこれか。詫びるつもりも毛頭なさそうだが、単にゲームに負けただけみたいな態度が腑に落ちない。この特異な世界は、神使の力比べで利権を奪い合うのが常識だとでもいいたげだ。
拘束したりするつもりはないが、このまま帰らせるのは気分的に治まりが悪い。こちらは何も知らないのだから、それなりの情報は欲しいところだ。
「雇い主を教えてくれたらな」
再びの常套句だが外せない質問だ。素直に教えるとは思わないが言ってみた。すると、髭の男は半眼で俺の表情を窺ってから、自分の首をひと撫でした。
「……いいだろう」
髭の男は歩み寄ると、少し手前で止まった。
「俺たちに瓶子を奪ってくるように依頼したのは、
って、おい。教えてくれるのか。意外に軽く口を開いたので唖然とした。同時に、その言答えに困惑する。
「い、揖斐川の水神さまだって?」
「ああ、そうだ」
俺は当然のごとく目をしばたたかせた。それは予想もしなかった展開だった。
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