第29話 かい その1

 白い大型四輪駆動車。運転席のドアが開く。

 車内のアシストグリップを握りながら、顔を見せたのは中年の男だった。そのままサイドステップに足を掛け、ゆっくりと地面に降り立つ。

 この場に似合わないと感じたのは、スーツを着ていたからだ。色はダークグレイ。下には淡いブルーのシャツ。しかも、光沢のある藍色あいいろのネクタイとは決め過ぎだ。

 小太郎ほどではないが、大柄で筋肉質な体躯たいく。口と顎に髭を生やし髪は短髪で、両方白髪混じり。顔はゴツゴツした輪郭で、肌は日焼けしたように浅黒い。そして、なにより眼光が鋭かった。

 遅れて助手席のドアも開いた。

 砂利の上に、ひょいと身軽に飛び降りたのは坊主頭の男だった。例の犬の神使か。風体ふうていも小太郎の話と一致していた。

 髭の男とは対照的に、チェックのネルシャツにデニムパンツというカジュアルな格好。首のシルバーチェーンが光っている。あれも首輪の代わりなのだろうか。

 整った顔立ちだが眉が細く、見るからにやんちゃな面構え。髪の色が一部褐色の虎柄になっている。ダンスでも踊りそうな若者といった感じ。

 二十歳くらいだといえばそうだが、まだガキっぽい雰囲気がある。背丈は170センチちょっとくらい。小太郎からすれば小柄なのだろう。早々に不敵な笑みを浮かべている。高圧的な態度は髭の男と変わらない。

 ようやくキャストが揃ったらしい。俺が髭の男に一瞥をくれると、奴は返事をするように、ニヤリと歯を見せた。

 なにか様子がおかしい……そう感じた。

「――上っ!」

 すのりが肩越しに振り返って叫んだ。

 その言葉に反応したのはかおれ。素早く体を反転して後ろを向いた。両腕を高く持ち上げクロスさせる。

 そこに落ちてきたなにか。人、いや坊主頭の男だった。

 そいつは長屋門裏の二階の窓から跳んでいた。大胆不敵な落差にものをいわせたかかと落とし。

 狙いを定め勢いよく振り落とされた脚。それを頭上の両腕で受け止めたかおれだが、衝撃に耐えきれず片膝を地面に着いた。食いしばり厚い唇が歪む。

 どうにか奇襲の一撃をしのいだかおれだが、次の展開に瞠目する。

 既にもう一人の坊主頭の男がすぐ横に来ていたのだ。上からの攻撃に同調した動き。長屋門の陰から素早く飛び出したそいつは、勢いをつけて脚を振り切った。容赦のない回し蹴りがおれの脇腹を捉える。

「ぎゃっ!!」

 濁った悲鳴とボンという破裂音。ダウンジャケットが裂けて白いフェザーが舞った。かおれの体がくの字に曲がり、弾かれたように飛ばされる。

「かおれちゃん!!」

 悲痛な叫び声をあげたのは梛乃だった。必死な形相で前に出そうになる彼女を穂香が必死で抱き止めた。

「ダメ! あなたまで巻き込まれちゃう!」

 砂利の上に無残に転がったかおれ。乱れた琥珀色の髪でその表情が窺えない。

「かおれーっ!!」

 俺は叫びながら唖然とした。

 次々と現れた坊主頭の男たち。すべて神使なのか? 全員が坊主頭で同じヘアスタイル。体格といい、服装も似ていて区別がつかないくらい。クローンかよ。何人いるんだ。

 俺は動転した精神状態のまま、かおれを横目にすのりに視線を移す。

 当然のように、すのりも同じタイミングで襲われていた。相手は四輪駆動車の助手席から降りた坊主頭だ。こいつを合わせると向こうの神使は三人。これ以上増えないことを祈った。

 すのりと対峙した坊主頭は、へらへらと不気味な笑みを浮かべ執拗に拳を繰り出していた。すのりは応戦一方だ。

「――ほらほら、どうした。逃げてばかりか? どこの遣いか知らねーが、たいしたことねーな」

 分かりやすい挑発だが、すのりは冷静だ。打撃を避けながらも反撃の拳を繰り出す。スピードはすのりがまさっているように見える。フットワークも軽快だ。

 「負けるなすのり!」と俺は心の中で叫ぶ。

 すると打ち合いの中、すのりの拳が相手の顔面を捉えた。「よし!」と前のめりになった俺だが、相手はダメージを受けていない様子。パワー負けしている?

 奴らが、すのりやかおれと同じくらいの神さまの神使だとしたら、普通に考えてメスよりもオスが強いはずだ。見た目の体格だって差があり過ぎる。

 抜群の身のこなしで持ち堪えるすのり。優勢ではあるが、押し切れない坊主頭が痺れを切らして咆える。

「確かに動きは早えーな。だが、もうあっちは抑えたぜ」

 注意を逸らす誘いもあるのだろう。チラ見するすのり。まろ眉がピクリと動く。

 砂利の上、手と膝を着いて四つん這いにされたかおれ。坊主頭の一人が首根っこを上から掴んで動きを封じている。気を失ってはいないが、少し朦朧とした様子。

 舌打ちするすのり。

「たかだか、猟犬の集まりでしょ。あんまり、舐めないでよね!」

 上がった口角の隙間に可愛い犬歯が覗く。次の瞬間。すのりの姿が坊主頭の視界から消えていた。

 下を取っていた。瞬発的な速さと身長差を生かした水面下の雷撃。強く地面を蹴って体重をのせる。すのりの右拳が坊主頭のみぞおちにめり込んだ。

 苦痛に眼を剥いた坊主頭。崩れ落ちそうになるが、耐え凌いだ態勢のまま当てずっぽうに腕を大振りする。横をすり抜けたすのりの髪をその腕が掠めた。

 だが、次の瞬間。違う坊主頭が目の前に現れた。かおれに踵落としの先制攻撃をかました奴だ。既に体が触れ合うほどの距離に詰められていた。

「ボディってのは、こう入れるんだぜっ!」

 急接近した坊主頭は、そう吐き捨てた。すのりも咄嗟に肘を回しカウンターで相手の顎を狙ったが、それより早く坊主頭の拳がすのりの腹に食い込んだ。

「――ぎゃうっ!!」

 嗚咽混じりの叫びがこだまする。

 脚の動きをピタリと止めたすのり。黒髪を揺らしながら崩れ落ち、両膝を着くと腹を抱えてうな垂れた。


 冷たい風が右から左に吹き抜けた。唐突な展開の末、一気にこの場が沈黙した。

「……す、すのり」

 微かに震えながら息を荒げているすのりを目の前にして、俺は叫びとも呟きとも取れない情けない声を漏らしていた。

 すのりを打ち倒した坊主頭は勝ち誇った表情で、すのりの腕を後ろに回して押さえ込む。捕った獲物を誇らしげにして鼻で笑った。

「ダッセーな。こんな女相手に拳貰いやがって。ちょっと可愛いからって、油断したのか?」

 それは、すのりに一発かまされた坊主頭への侮蔑ぶべつだった。言われた方は腹を押さえながら睨み返した。

「うっせー。いいとこ取りのヤツが、ほざいてんじゃねーよ」

 全てが、あっという間の出来事だった。我に返った時にはすべてが終わっていた。圧倒されたことを思い知らされる。

 怒りの感情はとうに薄れていた。それよりも、すのりとかおれの身が心配だった。悔しさはあるが、これ以上状況が悪化しないようにと願った。

「なんてことするのよ! なんなのよ、あんたたち! こっちからは何もしてないのに! 話し合うとかできないの!?」

 穂香に両腕で掴まれた梛乃が、凄い剣幕で脚をばたつかせる。矛先は四輪駆動車の横で佇む髭の男だ。無論、奴がやらせたに違いなかった。

 彼女は俺の怒りのすべてを代弁していた。

 だけどこいつらは、最初からそのつもりだったんだ。不意打ちの先制攻撃でかおれを抑える。そして、次にすのりを仕留める。どちらも二人掛かりが前提だ。うちの神使たちも相手の数までは把握できなかった。

 すのりとかおれのコンビネーション。実質はかおれが司令塔だ。二人の動きから、それを見切っての攻略なのだ。

「――ほぼ、予想通りだったな」

 髭の男の開口一番。独特の太い声だった。作戦終了、みたいな言い回しが気に入らない。

「それでも、なかなかに素晴らしい能力のお嬢ちゃんたちだ。思った以上に強かったな。どこぞの神の遣いか知りたいね」

 偉そうに。だからなんだと俺は睨み付けた。とはいえ、こっちが情けない面をしていたのだろう。髭の男は苦笑した。

「なあに、深手は負わせていないから安心しろ。顔は避けるようにとも指示してあったしな。神使でも可愛いお顔に傷が残ったら困るだろ?」

 ずっと上から目線は腹が立つが、確かに言う通りだった。

 すのりは膝を着かされて、かおれに至っては四つん這いにさせられている。酷く屈辱的な格好ではあるが、二人はしっかり目を開けている。今は意識もはっきりしている様子。ひとまず胸を撫で下ろす。

 途端に怒りが湧き戻ってくる。しかし、どんな手加減だ。こんなにぼこぼこにしといて、いいことあるか馬鹿野郎が……って、ん?

 そこでふと、すのりとかおれが俺と梛乃をじっと見ていることに気付く。なんだ? だけど、真意が読み取れない。

「――さて、では本題に入ろうか」

 太い声の呼び掛けで、俺の意識は髭の男に戻った。相手の目的は分かっている。少し冷静になって口を挟んだ。

「あんた、何者だよ?」

 この期に及んでも、俺は往生際が悪いのだ。腹いせに多少なりともゴネておこう。

 そう思いつつ、すのりとかおれを視野の端に入れる。俺は二人がいとも簡単にねじ伏せられたことに、違和感をおぼえ始めていた。

 そう、車で聞いたかおれの言葉を思い起こす。「どんな状況でも対応しますから、大丈夫ですよ……」そう、そんなだったはず。その後はなんと言っていたか……

 俺は頭の隅で考えながら会話をつなげた。

「瓶子の話だろ? それが欲しいんだろうけど、こんなやり方ないよな」

 髭の男の返事はない。

「あんたは、それがなにか知っているのか?」

 今は時間を稼ぐ。話を長引かせれば、好転できる機会が訪れるかもしれない。

「……なら、瓶子は渡すから、交換に情報をくれないか?」

 髭の男は鼻から息を吐くと、薄っすら笑って口を開いた。

「この状況では交渉にならんだろう……そうだな、瓶子について話すつもりはないが、私のことをひとつ教えてやろう。今後のための知識としてな。

 私は簡単に言えば、神からのお役目を請け負うフリーランスだ。今回の依頼はお前らと一緒で、その瓶子の回収さ。ただ、こちらは探すのではなく、見付けたお前たちから奪うことが目的だがな」

 なんだと。驚いた。それじゃあ、まるで傭兵じゃないか。そんな手練てだれの連中が神使の世界には存在するのか。どうりで連携がとれているわけだ。しかも、神からの依頼で横取りするって、なんだよそれ。

「なら、どこの神に雇われたんだよ?」

 展開がむちゃくちゃで、何を訊けばいいのか混乱する。ともかく、こういう場合は雇い主を問いただすのが定番だ。

 しかし、俺の言葉はあっさり流された。髭の男は鼻で笑う。

「まあ、そんな依頼があってのこの結末ということだ。悪く思うなよ。お前らに恨みはない。

 決着は明白だ。神使同士の上下関係は力で決まる。それは絶対で、神使たちが一番分かっている。終わりだ。さあ、瓶子を渡してもらおうか?」

 時間稼ぎもここまでか……

 相手がどこまでやる気なのか判断がつかない。これ以上ゴネて、更にすのりとかおれを傷つけられでもしたらたまらん。梛乃や穂香に危害が及んでからではなおさらに遅い。俺は瓶子を渡す覚悟を決めた。

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