第28話 こーる その2

 俺はスピードを落とし、道路に面した空き地に車を停めた。隣の話を窺うためだ。

 助手席で再びコールに応答し通話を始めた梛乃は「――なにがあったの?」と、問い掛ける。猫娘の声がくぐもっているのか、携帯を頬に押し付け耳を傾けた。

 暫くして会話は終わったが、憂い顔で俺を見遣った梛乃の表情で悟った。予想通りの困った展開。

 猫娘は隣に居る誰かに脅されている様子だったという。聞けば、今すぐ指定の場所に来て欲しいということらしい。相談話を装った呼び出しに失敗したから、すぐに次の手段に移ったわけだ。あっさりと開き直ったみたいだ。

 猫娘の隣に居るのは、正体不明の犬の神使とその仲間に違いない。早急に事を済ませる思惑なのだろうが、それにしてもせっかち過ぎる。目的は、間違いなく瓶子へいじ。古い陶磁器に執着する理由は皆目かいもく見当付かないが、そこまでする価値があるのだ。

 そうなら、宿の駐車場で車のガラスを割って持ち去る方がよほど簡単だ。セキュリティーの警報が鳴るくらいだし。やはり特異な世界ゆえの事情で、警察とか部外者の介入は避けたいと考えているのかもしれない。

 大きな面倒事になるのなら、くれてやってもいいと思う。自分たちのお役目を放棄することになるので少々迷うところではあるけど、あれが誰の手に渡ろうが世界の終焉が訪れるわけではないだろうし。

 こちらが指示に従わなかったら、猫娘とご夫婦の生活を壊すと脅してきている。昨日会ったばかりの娘だが、性分として放っておけない。

 それにしても分かりやすい脅しだが、猫娘が臆してしまうのは理解できる。人間ではない者が、身分を偽り普通に暮らしているのだ。きっと、どこかを突けば簡単に崩れてしまうに違いない。

 ご夫婦にこの状況は知らせていないという。多分、一緒に暮らせなくなることよりも、大切な人に迷惑が掛かることを猫娘は恐れている。

 普段の俺なら、こんな突拍子もない展開は否定から入るのだが、いろいろあり過ぎたせいで、既に頭は神使の世界の思考になってしまったみたいだ。

 しかし、冷静に推測すると奴らは俺たちと猫娘の関係を知っていることになる。猫娘自身が共謀者である可能性は否定できないが、あの性格とお役目の重要さを考えると違う気がする。嘘をついているとは思えないし、そうするメリットも思い付かない。

 となると、昨日の道の駅から、いやその前から俺たちは奴らに監視されていたのかもしれない。猫娘は単に巻き込まれただけともいえる。

 厄介なのに目を付けられたものだ。犬の神使が直接嗅ぎまわっていたなら、うちの神使たちや猫娘、それに小太郎が気付いていたはずだ。実際、小太郎は宿の駐車場への侵入を察知している。

 つまり神使が仕えている人間が、大袈裟にいえば諜報的な活動をおこなえる奴なのだ。俺たちの動きを追いながら猫娘を取引手段として手駒にするようなやからということだ。


 俺はハンドルに手を置き、フロントガラス越しの雪景色に焦点を合わせた。昇っていく太陽に照らされ、白い山々が輝きだしていた。

 なんとなく思案してみたものの、良い策などすぐに出るはずもない。時間だけが過ぎていく。

 こちらの動きが遅すぎると、向うが次の一手に移る可能性もある。あまり余裕はないと判断する。とはいえ策もなく行けば、飛んで火に居る夏の虫である。冬だけど。

 俺としては梛乃が一番大事だから、彼女を危険に晒すことは避けたい。

 そう思いながら、助手席に目を移す。梛乃はこちらに体をまっすぐ向けていた。俺が考えていた間、痺れを切らさずそうしていたらしい。膝の上で拳を握りしめて、いつになく真剣な眼差し。みなぎるなにかを感じた。

「行こう! 穂香ちゃんを助けないと!」

 そこには強い気持ちが込められていた。そんな言葉に感化されないわけがない。梛乃はいつも大事な時に背中を押してくれる。そうだ、グダグダしていてもしょうがない。

「……だね。ありがとう」

 俺の反応に彼女は唇を引き締め小さく頷いた。

 そう、なんとかなる。勢いで飛び込むのは得意とするところではないか。俺は後部座席に身を乗り出し、うちの頼りになる神使たちを見遣った。

「すのり、かおれ。本来のお役目とは違うけど、昨日会った神使の穂香を助けたい。協力してくれるか?」

 俺の問い掛けに、僅かに視線を交わし合った二人。すのりが軽く鼻を鳴らした。

「まあ、しかたないわね。任せといて……でも、猫女ねこおんなのためじゃないから、勘違いしないでよね」

 おっと、ツンデレ絶好調ですね。猫女ですか。しかし、やる気を感じますよ。

 そして、かおれはいつもの微笑。

「分かりました。どんな状況でも対応しますから、大丈夫ですよ。その時は、どうすればいいか、ちゃんとしてくださいね」

 と、心強いお言葉。なぜだか、かおれの言葉は穏やかなのに凄味がある。でも、命令というのはいささか従属的で好きではないのだが。

「うん、分かった」

 うちの神使たち。普段は気まぐれだが、こういう時の反応は抜群だ。荒事になりそうな空気を感じているのかもしれないが、少しは猫娘を助けたいと思っていてくれたら嬉しい。

「よし、行こう!」

 俺はギアをドライブに入れてアクセルを踏んだ。


 梛乃が穂香から聞いた住所。カーナビに入力した途端すぐに所在地が判明した。

 なにせ、ナビ画面の目的地に表示されたのは、県の重要文化財にも指定されている場所だったからだ。地図上に観光名所を示すアイコンも出ている。

 最初はその場所を指定した意味が分からなかったが、話を聞いた梛乃の説明で納得する。そこは、一緒に暮らしているご夫婦の所有物なのだそうだ。

 俺の妄想もあながち間違いではなかったようで、猫娘の命を救った恩人は代々この土地で知らぬ者はいない大地主だった。詳しいところはおいといて、豪農ともいえる上層農民の末永であるらしい。

 ネット検索してみると、今は住んでいない旧邸宅を観光用に無料で公開とある。地域の活性化にも貢献している人徳の深い方々のようだ。そして冬季は休館中の様子。誰かを誘い出すにはうってつけの場所といえる。


 峠を降りて目的の場所に向かう。小山の麓。所々に雪が残る田畑とそれをつなぐ道路。穏やかではない気持ちとは裏腹にのどかな景色が広がる。

 邸宅は背丈ほどある瓦葺きの白い塀に囲まれていた。壁は漆喰塗りだろう、よく見るとコテ跡がある。それに沿って走ると、大きな門を中央に配した木造の建物が現れた。これまた同じく、瓦葺きに白壁の立派な造りだ。

 長屋門ながやもんというらしい。屋敷の入口の門を兼ねた倉庫みたいなもので、総二階建ての構造で上には窓がある。古くは土地の有力者が示す財力の象徴ともなっている。と、博学な梛乃が教えてくれた。

 俺は目をしばたたかせながら、その前に車を停めた

「こいつは……凄いな」

 すると、タイミングを合わせたかのように重厚な門の扉が開き出した。固唾を飲んだ俺と梛乃。

 扉の隙間から顔を覗かせたのは、黒髪の綺麗な女性だった。一瞬、誰かと思ったが、かろうじて目元のほくろで猫娘の穂香であると分かった。

 制服の印象が強過ぎたこともあるが、今はとても大人っぽく見える。キャメル色のボア付きダッフルコート、それにチェック柄のスカートとブーツを履いている。長い髪も首元で束ねられていた。

 穂香は運転席の俺を一瞥すると、挨拶とも合図とも取れない頷きをした。その顔は緊張している。扉を開け放つと、手招きした。車のまま中へ入れということらしい。

「ちょと、待って下さい……神使がいます……多分、例の」

 後部座席で周囲を窺っていたかおれが言った。俺はブレーキに足を置きなおす。

「……私たちが先に入ります。よろしいですか?」

 続いた問い掛け。口調が微妙に強くなっている。生唾を飲み、言葉に窮した俺。すのりが補足する。

「いやな感じだから、先に入って様子を見るだけよ。いいでしょ?」

 俺は助手席の梛乃と目を合わす。彼女は不安げな顔を見せたが、反対はしなかった。

「分かった、頼む」

 言葉を合図に、左右の後部スライドドアが開く。かおれとすのりが左右から前に出て展開する。門の端に立っていた穂香の横を通り過ぎて中に入る二人。

 その身のこなしは滑らかで無駄がない。神使になったばかりで経験に値するものはないはずなのだが、絶対的な戦術の資質を持っている。やっぱり、この子たちは、簡単なお使いをするためだけの神使ではないと実感する。

 神使たちの服装は、ライトダウンのジャケットにショートパンツスタイル。足元はトレッキングシューズを履いているから、体の動きに支障はない。


 中に入った二人は暫く辺りを見回したあと、右から少し先行したすのりが振り返りながら頷いた。それを見たかおれが、俺に向かって手招きする。

 それに従い車を屋敷の内部に進める。穂香が見計って扉を閉め始めた。依然として変化は無い。

 退路を断たれた不安はあるが、立派といっても城の門とは違う。この車も一応RV車だ。それなりに馬力があるし、ボディの剛性も高い。いざとなれば、バックでぶつけて扉をこじ開けるだけだ。などと、勇ましい考えが頭を過る。

 覚悟して入った屋敷の中は想像以上に広かった。

 門から正面の大きな主屋までは開けた砂利の駐車場になっている。左右には日本庭園が広がり池も見える。庭の奥には土蔵造りの倉が幾つか並んでいた。大層な邸宅だ。こんなことでなければ、ゆっくり見学したいくらいだ。

 車を停めて砂利に立った俺と梛乃。こちらを視認した穂香は、こわばった表情を和らげた。

「穂香ちゃん、大丈夫?」

 梛乃は一目散に駆け寄り穂香の手を取った。

「……うん、大丈夫……でも、ごめんなさい……言われることに、従うしかなくて……」

 穂香は俯くと言葉を詰まらせた。

 それを見て怒りが湧いてきた。相手も神使を遣わされた者だろうに、そのやり口が気に食わない。まったくもって不届きな奴らだ。

「治人!」

 少し前に立つすのりから声が掛かる。

 主屋の陰に変化があった。砂利の踏み音をたて奥から現れたのは、白い大型の四輪駆動車だった。俺は仁王立ちで凝視する。いよいよ、黒幕の登場だ。

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