第27話 こーる その1
「その瓶子を、少し見せてもらってもいい?」
宿の駐車場で、琴音女将が言った。
朝食を終えたあと、すぐにチェックアウトを済ませた俺たちは駐車場に向かった。一通り確認したが、やはり車にはなんの変化もなかった。ラゲッジのポケットに入れた瓶子も昨日の状態を保っている。
包んでいたタオルを外して、白い瓶子を手渡す。
朝の穏やかな太陽光のせいか、昨日の日中に見た時より深みのある光沢をしている。なんだか、青白い輝きがより怪しく見えてきたのは気のせいだろうか。
「ふーん。相当古そうだけど、なんの変哲もない焼き物ね。これを見つけて、お告げの神社に持っていくのがお役目なわけね」
手に取った琴音女将は、じっとそれを見つめる。
「ええ、そうです。
俺はそう答えた。お役目かどうかはっきりしないが、次に行く目的地は判っている。
「それから先は?」
小首を傾げる琴音女将。
「不明のままです」
「う~ん。木曽の水神さまも、なにを考えているのやら……それで、振り回されっぱなしってわけね」
同情めいた苦い表情を向けられ、俺は肩をすくめた。
「まあ、そうです」
「それじゃあ、その神社へ行くしかないか……でも、これに何かしらの価値があるのよね、きっと」
「ええ、そうだと思います」
琴音女将は瓶子を俺に返して、にっこり微笑んだ。
「なにかあったら、すぐに連絡してね」
気遣いに感謝。
「はい、ありがとうございます」
梛乃も合わせるように隣で深々と頭を下げた。
すると、俺たちを見送る琴音女将の少し後方、建物の陰から小太郎が姿を現した。やっぱり、近くには来ないのね。
だが、ふと思う。朝食の時もそうだったが、実はうちの神使たちとの距離を保っているのではないのかも……常にこんな感じで琴音女将を見守るのが彼のポジションなのかもしれない。
陰から主人を見守る。うちの神使たちとは違うが、それがつながりの形だとしても十分に素敵な関係である。
「小太郎さんも、ありがとう」
梛乃が声を張って手を振る。
実際、正体不明の神使を追い払ってくれたのは彼だから、世話になったといればそうなのだろう。梛乃はやさしいな。俺は続けて会釈を送った。
すのりとかおれは、さすがに打ち解けられないか……と思ったら、以外にも口を開いた。
「じゃあね、小太郎」「さよなら、小太郎さん」
ちゃんと、お別れが言えたことは褒めますが、すのりは最後まで挑発的なのね。そして、かおれはやさしい口調ですが、必殺の回し蹴りなど無かったかのようなその態度。ある意味、すのり以上に怖いですよ。
俺は琴音女将の顔色を窺う。すのりとかおれを気に入ってくれているとはいえ、自分に仕える神使を無下にされたらいい気分ではないはずだ。
「すみません。調子に乗って……」
「いいの、いいの。気にしないで。それより、また遊びに来てね。いつでも大歓迎だから」
軽い返事に安心するが、いつでも来られるお宿ではないことを自覚しつつ、笑顔をつくって頷いた。
俺たちは、手を振る琴音女将を横目に宿をあとにした。
帰り道は高速道路を使うつもりでいた。早いとこ笠隠神社に行きたいからだ。瓶子をどうにかして、このお使いとやらのお役目を終わらせなければならない。それが終着点である保証は無いが、瓶子に興味を示す正体不明の犬の神使と遭遇せずにたどり着きたい。
今日も天気は良いようだ。昨日より道路の雪も解けて、走りやすくなっている。峠からの下り坂。すれ違う車は少ない。前後に車の姿もない。
小太郎の話では、神使が乗って走り去った車は白い大型の四輪駆動車だったが、ナンバーまでは確認できなかったという。坊主頭の犬の神使に運転手……
そんな思考を巡らせながら、俺は車を注意深く走らせた。後部座席にいるすのりとかおれに変化はない。なにかあれば挙動に現れるだろう。
ちょっと緊張する状況だ。スパイ映画みたくなってきている。まあ、定番の流れとしては、突然行く手を塞がれるとか、尾行する車が現れるとかだ。峠を降りれば交通量の多い幹線道路に出る。狙ってくるとするならば、それまでの間ということになる……
なんてね。いかんいかん。想像も度を過ぎると不安を招くだけだ。ここは、少々安気に構えた方がよいのかもしれない。
自分に言い聞かせ、深呼吸をしつつ助手席をチラ見する。俺の精神安定剤でもある梛乃は相変わらず可愛い横顔をしている。すると彼女は、キョロキョロと目を泳がせ始めた。耳を澄ますと、電子音が鳴っていた。
梛乃は膝に乗せたバッグに視線を落とす。
「……電話みたい」
止まないコールに、そう呟いた彼女。バッグに手を入れ携帯を取り出した。通話をタップする。
「もしもし……あっ……うん。大丈夫、話せるよ……どうしたの?」
続く会話に聞き耳を立てながら、俺はくねくねと曲がった下り道に合わせハンドルを切り続けた。
梛乃は暫くして通話を終えた。内容から相手が誰であるか見当は付いたが、要件まではさすがに分からない。彼女の言葉を待った。
「
案の定、猫娘。というか、ちゃん付けですか……まあ、それはいいとして、このタイミング。昨日の今日で、連絡を取ってきた理由が気になった。
「なんだって?」
「うん。そのね、あのあと私たちとのことを一緒に暮らしているご夫婦に話したらしいのよ」
「えっ? なんでまた、そんな……他から干渉されることを嫌がっているように思えたけど……」
俺は驚いて梛乃を一瞥した。
「そうよね……その辺の経緯は判らないけど、すのりとかおれが神使になって間もないなら、いろいろと困っていることもあるだろうって。それで、すぐにでも相談にのってあげたいからと、ご夫婦が言い出したらしくて……顔を見せに来られないかって……もしかして、まだこっちの方にいるのかって……」
「……」
困惑している俺に、梛乃は落ち着き払って言った。
「大丈夫よ……すぐには行けないって答えたから。嘘をつくのは気が引けたら、今どこに居るのかは言わなかったけど……とにかく、お礼だけは伝えて、また連絡しますってことにしたから」
いい判断だ。梛乃は賢い。俺は肯定して頷く。
「そうだね。先を急いでいるのは確かだし、気にすることはないよ」
疑うつもりはないけど、正体不明の犬の神使とその仲間。猫娘がそいつらと関係があるとは思わないが、このタイミングはやっぱりおかしい。
「でも、気になるわ……」
訝しんだ表情で梛乃がぽつりと呟く。確かに言う通り。俺も同感だ。
「だよな……あの子のお役目はご夫婦に寄り添うことだろ? それ以外に目的は無いはずだよな。本当に親切心からのことなら、折を見てご夫婦のところに顔を見せに伺えばいいだけなんだけど……もしも、そうでないとすると……」
「そうよね……」
二人の予感が的外れでないなら、猫娘が面倒なことに巻き込まれている可能性はある。その場合、多分もう一度連絡をとってくるだろう。俺たちにとっても、そうならないことを祈ったが、その願いは届かなかった。
再びコールが鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます