第26話 へいじ

 琴音女将はすぐに戻って来たのだが、途端にすのりとかおれに変化が起こっていた。

 僅かに上がった口角、奥に見え隠れする可愛い犬歯。二人揃ってなんとも露骨なこの反応は……と、入り口から部屋に通じる廊下の陰に人影を確認する。

 やはり。ひよっこりと顔を出しているのは猿男、神使の小太郎だった。だが俺は、そこではなく琴音女将の浮かない表情が気になった。

「……ちょっと、いいかしら」

 なにか異変が起きたようだ。

「なんでしょう?」

 俺が神妙に答えると。琴音女将は眉間に皺を寄せた。

「今、小太郎から聞いたのだけど、宿の駐車場をうろついている神使がいたらしいの」

 その言葉にドキリとする。

「神使……ですか?」

「そう。見たことのない顔で、すぐに神使だと分かったっていうの」

 先ほどと同じ場所から、遠慮がちにこちらを覗いている小太郎。琴音女将の話に頷きながらも、すのりとかおれの様子を窺っている。昨日の敗北が相当効いているのだろう。

 ちなみにうちの神使たちは、冷ややかな視線をずっと小太郎に浴びせ続けている。ねえ、お嬢さん方。既に決着はついているのだから、もうやめてあげて。と、少なからず小太郎に同情する。

「その神使。あなた方の車を覗いていたみたい。でも、小太郎が近付いたら、慌てて駐車場から飛び出して、道路に停めてあった白い車に乗って去って行ったらしいわ」

 俺は前のめりになった。

「どんな神使だったのですか?」

「若い男よ。年齢は二十歳くらい……よね?」

 琴音女将が肩越しに振り向くと、小太郎は小刻みに首を縦に振った。

「小柄だったけど、体格はガッチリした感じだったらしいわ……それと坊主頭……よね?」

 小太郎は続けて同じように首を動かす。

 坊主頭の男。結局、またしてもこの展開になるのか……新手の神使が登場するのは避けられないとしても、このアプローチは歓迎できないな。

瓶子へいじかな……」

 梛乃が呟く。俺もそう思っていた。

「やはり、そうなのね……その瓶子っていうの、車にあったのかしら?」

 琴音女将が俺と彼女を交互に見遣る。

「ええ、車のラゲッジに」

 そう答えた俺だが、梛乃は浮かない表情。

「ねえ、治人。ここに持ってきておいた方が良かったかな?」

 俺はすかさず、かぶりを振った。

「車のセキュリティーは反応していないから、なにかされたわけではないよ、大丈夫」

 車に異常があったら、アラームが携帯に飛んできているはずだ。高級車ではないのだが、高価な釣具、というか二度と手に入らない希少なロッドやリールを積む場合もあるので、車上狙い対策は必須としているのだ。

「宿の中とはいっても、こっちに来られたりしたら、そのほうが厄介だよ。小太郎さんやうちの神使たちも居るから、無茶なことはしないと思うけど……」

 俺は不愉快な気持ちで言葉をつなぐ。

「それにさ。実際は瓶子なんてどうでもいいんだよ。だいたい、そんな物のために……」

 少々熱くなったところで、琴音女将が視界に入った。そう、梛乃と二人きりではないのだ。急に、ばつが悪くなる。

「……いや、その……なんだ……」

 言葉足らずに、梛乃は小首を傾げる。

「なに?」

 すると、「うふふ」と悟った表情で琴音女将が微笑む。嫌な予感。

「そんな物のために、君を危険に晒すわけにはいかない! ……とかかしら?」

「……」

 まんま言い当てられ、俺は口を噤んで赤面する。強調してまで言わないでください。そこは流すところですよ、琴音さん。

 続けて、梛乃に向かってやさしく笑う。

「よかったわね。あなた、随分と愛されているのね」

 目を瞠り頬をピンク色に染めた梛乃。視線と落とし俯いてしまう。理解が良過ぎる大人の女性も困ったものだ。


 そんな俺たちを横目に、琴音女将はすっと立ち上がった。

 背筋を伸ばし、鋭い視線を遠くに向ける。若者二人をからかうのは、ここまでということらしい。既に、なにかしらのモードに切り替わっている。

「それにしても、私の土地に神使を入れてくるなんて、誰だか知らないけどいい度胸をしているわね。しかも、大事なお客を不安にさせて……」

 誰に言うわけでもなく呟いた琴音女将。冷静な物言いだが、その顔付きは厳しい。その憤りを感じるとともに、まとった空気に気圧される。これが神使と数百年もの歴史を紡いだ一族の気概なのだろうか。頼もしくて、素直にカッコいいと思った。

 神使同士は相容れない部分があって、それを縄張りのようなかたちで距離を保っている。一緒に暮らしている人間も、そこは重視するべきなのかもしれない。なぜなら、自分の神使を守るためにも必要だから。

 俺もすのりとかおれに守ってもらうばかりでなく、この子たちを守ることを考えなければと心に留める。

「――あの、そういえば……さっき車に乗って、と言ってましたよね……もしかして、その神使は運転を?」

 俺は話を戻すべく、先ほどの会話で疑問に思ったことを訊いた。琴音女将は、頬の緊張を解いて俺を見遣る。優しい顔に戻っていた。

「……いいえ、運転は別の人がしていたみたい」

「ですよね。神使が運転なんて――」

「するわよ」

「はい?」

 こともなげな返答に、俺の声は裏返っていた。

「運転よ。うちの小太郎は車の運転できるわよ」

「運転……できるのですか?」

 目をしばたたかせて、俺は訊き返す。

「ええ、そう。車の免許、持ってるから」

 淡々とした琴音女将。未だに柱の陰にいる小太郎が、自慢げな顔で顎をしゃくった。猿の神使らしく表情は豊かだ。

「免許って……でも、どうやって――」

 猫娘のことを思い出した。そうか、それくらいは、どうとでもなるのかもしれない。数百年も神使と暮らしてきたのだから、ノウハウはあるのだろう。とはいえ、触れてよい部分なのか。

「……」

「ああ、神使が免許を取れるのかってことね?」

 言葉に詰まった俺を見兼ねて、琴音女将が汲んでくれた。

「……ええ、まあ」

「大丈夫よ。もちろん、偽造とかじゃないから。ちゃんと自動車学校に通って試験に合格しているわよ」

 国家資格を取得している神使とは驚きだ。

「じゃあ、普通の学校も通っていたんですか?」

「まあね、高校までだけど」

 猫娘と同じだ……若干迷ったが、そこは大事なことだから訊いておく。

「その……いろいろな手続きに必要な証明書とかは、どうしたんですか?」

 琴音女将はすのりとかおれを交互に見て、納得した表情で吐息を吐いた。

「そうね……これからを考えると、いろいろ課題はあるわね」

「まあ、そうですね……」

 しかし、琴音女将はずいっと胸を張る。

「大丈夫よ。そんなときは私に頼ってちょうだい。いろいろ手助けできるわよ」

「ほんとですか、ありがとうございます」

 これは願ってもない光明なのだが、琴音女将は怪しく目を細める。

「……おいおいね」

 と、ほのめかす言い回し。

 明言を避けられているところに一抹の不安を覚えるが、神使と暮らすためのノウハウは軽く口にできるものではないのかも。提言の通り、おいおいお願いするとにしよう。

「話を戻すけど。もう一つ大事なことがあるの。その神使ってのは、お嬢さんたちと同じ、わんこみたいよ。犬種までは判らないけどね」

「……犬ですか」

 俺の呟きに、梛乃が憂い顔になった。

 オス犬の神使となると、それなりに強そうだし厄介な感じがするのは確かだ。琴音女将の話にもあったが、どんな神さまから遣わされたのかってところが重要なのだろうけど。

「大丈夫ですよ、梛乃さん。私たちがいますから」

 梛乃の顔色を察したかおれが言った。続けて、すのりも鼻を鳴らす。

「そうそう、問題ないわよ。どんな奴でも、蹴散らすだけだから」

 嬉しい言葉ではあるが、すのりさんの言動はちょっと物騒ですね。

 それを聞いた琴音女将は高笑い。

「さすがね。木曽の水神から遣わされただけあって、頼もしいこと……でも、帰り道は気を付けてね。瓶子のなにが目的か知らないけど、その神使がまた接触して来るかもしれないわ」

「ええ、分かってます」

「私の携帯番号を教えておくから、なにかあったら連絡してね」

「はい。ありがとうございます」

 俺はそう返事してから、続けて訊いた。

「ところで、栗原さん。いろいろな動物の神使がいるみたいですけど、個々の特徴ってあるんですか?」

「あるわよ。多分、その動物のイメージのままでいいと思う」

「イメージ?」

「そう。例えば小太郎だけど、お猿さんは手先が器用ね。うちの仕事も手際よくこなしてくれるわ」

 未だに陰に佇む小太郎。褒め言葉と受け取ったらしく、悦な顔付になる。見慣れると、この猿男も可愛いかもしれない。

「犬は鼻が利いたり、荒事が得意って感じかな……」

 荒事って、そんな。

「猫はかわいがられること? ウサギはぴょんぴょん跳ねること?」

「それって、本当にイメージだけですよね?」

 半眼になった俺に、女将は悪戯っぽい含み笑い。

「バレたか……ま、実際そんなものよ」

 神使を遣わす神さまの適当さは否めないが、琴音女将を見ていると神使に関わる人たちにも同じところがあるような……まあ、常識を超えた存在と生活を共にするとそうなるのかもしれない。

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