第24話 はーれむ
見慣れない天井がそこにあった。
目に入った木目をなんとなく見入る。視野の端には襖、窓際の障子からは光が差し込んでいる。
ぼーっとしながら、ここが自分の家ではないことを把握する。そう、宿の朝だ。
「梛乃は……」
畳に敷かれた布団の中、右の脇辺りに暖かく柔らかいものが接しているのを感じた。やさしく、そっと右腕で抱き寄せる。弾力のある体が密着する。
外でお泊りするのは、やっぱり特別なもの。しかも、恋人と心地良い朝を贅沢な宿で迎える。なんて、幸せな気分なんだろう……
って……あれ?
おかしい。左の腕にも温もりがあるではないか。しかも、右脇以上のボリューム感。これはいったい……
首を捻ると、そこに梛乃の寝顔があった。頬に掛かる栗毛色の髪が色っぽい。俺の左腕にしがみ付くようにして、むにゃむにゃと可愛く口を動かしている。
昨夜は幾度もその唇の柔らかさを確かめたはずなのに、既に恋しい気持ちに苛まれています。君はどこまで俺を夢中にさせる気なのですか……
などと、至福の余韻に浸りたいところではあるが、右脇のなにかと左腕の梛乃。それに加えて、もう一つの存在を感じていた。
それは、梛乃との隙間。俺の腰辺りから左脚に掛けて絡みついているなにか。布団も盛り上がっている。やはり、これも暖かく柔らかい。
俺は可愛い彼女を起こさぬよう、右手でゆっくり布団を持ち上げた。
まず、右脇越しに見えたのは柔らかな琥珀色の髪。その奥には、
「これは……」
そして、左の腰辺りには艶のある黒髪が。浴衣の袖口とはだけた裾から伸びた、お餅のような白い腕と脚が、俺の太腿をしっかり抱え込んでいた。
「これはこれは……」
抱き付いている美人三人のうち、二人は神使である。とはいっても健全な男子であれば、この状況に不満を漏らす奴など、この世に存在しないと思われる。
しかしそれも、このあとの展開次第では天国から地獄。俺はたまらず唸りながら、もう一度天井を見上げた。
だが、考えている時間は無かった。
「――おはよう」
梛乃の穏やかな声。気を使ったつもりだが、既にお目覚めのご様子。視線を移すと、彼女は、そのぱっちりした瞳を開けて微笑んでいた。
「お、おはよう……」
できればそんな顔は、何事もない時に見せて欲しいものだ。ともかく、これはまたしても冤罪であると立証せねばならない。
「いつもこうなのよね……治人の家にお泊りした時、最近はこの子たちとよく一緒に寝てたでしょ。そうすると、こんな風にくっ付いてくるの。可愛いでしょ」
いや、梛乃さん。正直なところ、俺と一緒に寝て欲しいのですけど……
すると、彼女は布団の中から、俺の太腿に張り付いたすのりを引き剥がすと、ずりずりと抱き寄せる。そして、寝ぼけ眼のすのりの顔を自分の胸に埋めると、俺を見て再びニコリと笑う。
しかし、あれ? 予想した展開と違うが……でも、とりあえず話を合わせる。
「ああ……たまらなく可愛いのは確かだけど……」
「けど……なに?」
俺の焦りは分かっているくせに、彼女は微笑み続ける……これは新手のいじりなのか。
「えっと、この状況は許容してくれるのかな?」
梛乃は少し考える素振り。勿体ぶる感じが透けて見える。やはり、これは面白がっているに違いない。
「そうね……このとんでもないハーレム状態で、治人が妙な気持ちになってないなら、問題ないんじゃない?」
「なってませんよ」
俺は間髪入れず、大きくかぶりを振った。だって、その通りなのだから。
もちろん、うちの神使たちを超可愛いと思っているのは確か。だけど、すのりのすべすべした手足が絡まっていても、かおれのぽよぽよな胸が密着していても、それ以上の衝動は起こらない。
この子たちが柴犬の化身だからということではない。たとえ人間の女の子であったとしても、やっぱりなにかが違うのだ。男として、想いと欲望を叶えたいと望む相手は梛乃ただ一人なのである。
目を大きく開いて訴える俺を見て、彼女は「くすっ」と笑った。
「そうよね……なんていうか。この子たちは、家族のような存在よね。子供、じゃなくて……妹かな。私の妹であり、治人の妹みたいな……でしょ?」
そうか。俺の気持ちを理解しての悪戯なのね。でも、そんなキュートな微笑みが付いてくるのなら大歓迎である。
「妹ねぇ……」
確かに関係性を問われれば、そんな感じになるのかもしれない。しかしそう仮定したとして、この状態というのは逆にイケナイ要素を多く含んでしまうのではないだろうか。などと、軽い疑念は残る。
「……でも、なんで今日は、俺にくっ付いてきてるんだ?」
すると梛乃は、顎を引いて目を逸らし、ボソボソと呟く。
「それは……多分……その……治人が男の子だからだよ……なんていうか……ゆうべはすごく愛してくれたから……その余韻が……」
上目遣いで頬を紅色に発色させた彼女。俺は目を瞠る。
はあっ!? ……え? そういうこと? なに、それ。つまり、この子たちもやっぱりメスであり、昨夜頑張った俺の男性ホルモン的なものに惹かれてくっ付いてきたってこと? いや、それはないだろう……いや、あるのか。
おいおい。そんなこと赤裸々に言われたら照れるし、急に意識してしまうではないか。どうしてくれるの、梛乃さん。家族みたいな存在って言っといて、そんなの困りますよ。
途端に心拍数が跳ね上がる。触れているすのりとかおれから伝わる体温が、急に生々しく感じた。「
ん? でもこれ、本当に熱いぞ? ちょっと異常なくらいだ。
「……すのりとかおれ、なんだか熱過ぎじゃない?」
ふと、表情を変えた梛乃。
「そうなのよ。この子たち、暖かいでしょ。なぜだか分かる?」
彼女はすのりを抱きしめたまま、その頭に頬を当てた。いきなりの質問である。動揺治まらない俺を置き去りにして、切り替えの早さはさすがです。
確かに、まるで湯たんぽを抱いているみたいだが、病気の発熱ではないようだし……
小首を傾げる俺を見て、梛乃は得意げな顔になる。
「私も測ってみて分かったんだけど、この子たち人より体温が少し高いのよ。要は犬の体温と同じなの」
そういうことか。
「……なるほど。柴犬の名残は、犬歯だけではなかったってことだね」
確かにこの体温を維持しようとしたら、相当なエネルギー量を必要とするはずで、あの旺盛な食欲も理解できる部分がある。そして、身体能力の高さの源でもあるわけだ。
梛乃は目を細めると、すのりの頭の匂いをくんくんとかいで、悦に入った表情になった。彼女はすのりとかおれのことが本当に好きなんだと思う。
その幸せそうな顔を見ていたら、なんだか力が湧いてくる。昨夜は琴音女将の話に当てられて熱くなり過ぎた感もあったけど、今なら冷静に言うことができる。いつまでも変わることなく、このままでいたいと。
微妙なハーレム状態を維持する精神力もさすがに尽きてきたので、俺は後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、一人風呂へと向かった。
朝も露天風呂からの眺めは素晴らしかった。放射冷却による濃い霧が山々にかかっている。それは、今日も天気が良い証し。やっぱ、露天風呂は最高だ。
昨晩は琴音女将が帰ったあと、梛乃と一緒に湯に浸かり満点の星空を眺めることができた。神さまに願いが届いたというわけだが、三度目の湯はまた独りになってしまった。でも、幸せな気分であることは間違いない。
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