第23話 おかみ その3

 琴音女将の年齢に驚いた矢先、もっと大事なことに気付いてしまった。しかも、これは遥かに重要な懸念である。

「ちょっと待って下さい……ちなみに、先代の神使は何年ぐらいつかえていたのですか?」

「そうね……多分、五十年くらい」

「ご……」

 って、あれ? なにか違うぞ。神使って、遣わされてお役目を果たしている間だけ、人間になるんじゃないのか?

 いや、老いたら代替わりをするって言ったじゃないか。肝心なところを飛ばして聞いていた。俺は固唾を飲んで訊き返す。

「もしかして、神使になると、もう元には戻らない……とか?」

「……さあ、どうなのかしら」

 小首を傾げる琴音女将。なにか問題があるのと言わんばかりの表情に、俺は冷や汗をかいた。

 いやいや。代々神使が仕えるならわしの家系ならそれでよいのかもしれないが、そうはいかんのですよ。ほんの数週間前から神使とお付き合いを始めたこちらとしては、いろいろと課題が発生するんですから。

 猫娘の話を思い浮かべる。神使はお役目のために神さまから遣わされるが、いつまで神使でいられるのかは分からないと不安を口にしていた。当然、お役目をまっとうしたら元に戻る。いや、戻ってしまうものだと勝手に考えていた。

 違うのだろうか。いや、栗原家の神使は一生仕えることがお役目だから、ずっと神使のままだということもありうる。

「えっと。栗原家の神使たちは、人間の姿で一生を終えていくのですか?」

「そこは良く分からないの。老いてきたりすると、ある日突然いなくなるの。そして、次の神使が現れる。その繰り返し」

 今度は小首を反対側に傾げた琴音女将。気に掛けない素振りで、そんなことを平然と口にした。

「……」

 俺は返す言葉に戸惑った。代替わりって、とても重要なことなのじゃないだろうか。それなら――

「それじゃあ、小太郎さんも突然いなくなったりするのですか?」

 突如、口を開いた梛乃。俺は驚いて彼女を見遣る。その顔は曇っていた。同じことを考えたらしい。

 琴音女将は少し困惑した表情を浮かべて目を伏せた。

「……そうね。伝わっている話から、年老いての代替わりだけでないことも知っているわ。病気や怪我で、代替わりが突然起こることもあったみたい。もちろん、なんの前触れもなくね……

 私の母は亡くなっているのだけど、とても芯の強い人だった。それでも、直治がいなくなったときは、随分と落ち込んでいたわ……」

 物憂げな口調。その感情は、言葉にしなくても十分に理解できた。

 梛乃が俺の腕をぎゅっと掴んだ。瞳を潤ませ眉根を寄せている。小太郎は家族同然の存在。訊くまでもないことだった。

「ごめんなさい。私、余計なことを……」

 梛乃はぽつりと言った。しかし、顔を上げた琴音女将の表情に暗い影はない。

「いいのよ、気にしないで。私は栗原家に仕える神使たちの輪廻と宿命を、決して不幸なものだと捉えていないわ。もちろん、小太郎がいなくなったら辛いけどね。

 でも、家長と神使の絆は強いの。一緒に居る時間が長くても短くても、最後の別れがどうであってもそれは変わらない。私は小太郎のことを大事に想っているし、小太郎も私を慕ってくれている」

 琴音女将はグラスをテーブルにそっと置いて微笑んだ。

「だから、私は思うの。それ以上のものが必要なのかなってね。多分、ご先祖もずっとそうやって神使と暮らしてきたはずだから」

 顔には強い意志が感じられた。年百年も続く神使との絆がそこに垣間見える。年の差もあるが、人として格の違いを見せ付けられた気がした。小太郎はこの人に仕えることができて幸せだろう。

 途端に胸が熱くなった。腕を通して伝わってくる梛乃の体温も上がったみたい。琴音女将の言葉は、同じく神使を遣わされた俺たちへのメッセージでもあるのだ。

 すのりとかおれ。二人の神使と今後どう向き合うのかと問われているような気がした。


 その後は、すのりとかおれの話を琴音女将に聞いてもらった。

 二人が一晩で変身したことや、お役目のためにここに来たこと。途中、白鳥の道の駅で猫娘に絡まれたことなど、ありのままに伝えた。もちろん瓶子の話も。

 猫娘の件には再び目を輝かせた琴音女将だが、瓶子に関しては関心を示さなかった。河原に埋まっていた物だし、木曽の神使のお役目に口を挟むことではないと。

 なんだか、安心したけど拍子抜けもした。瓶子にちゃんとお役目の価値があるのだろうか。

「あの、栗原さん。小太郎さん以外の神使を知っていますか?」

 こちらの話が一区切りしたところで、俺はまた質問をした。

「それは、私が他の神使の存在をどれくらい把握しているのかってこと?」

「そうです」

「気になるのは当然よね。あなたも驚いたでしょうけど、神使という特異な存在が、人の世に溶け込んで生活しているんですものね」

「ええ」

「そうね。その質問の答えは微妙なものになるわ。つまり、把握しようとすればできるのだけど、あえてしてないってことね。する必要がないと言ったほうがいいのかな……

 まあ、私は興味本位で神使のことを知りたいとは思っているけど、神使の話をするのはこういった特別な機会があった時だけなの。しかも、かなり希なこと」

 俺はすぐにその意味が理解できなかった。すると、琴音女将はこちらの反応を見透かしたように言葉をつなげた。

「他の神使を探そうと思ったら、同じ神使の手を借りればいいだけ、簡単よ。けれど、それをしても誰のためにもならないの。わかるでしょう?

 八百万の神々も適当なところがあるみたいだから、いろいろ知りたいってところは同感するわ。私もそうだし。

 でもね。神使たちはお役目を全うするために、普通はひっそりと暮らしているだけ。それ以上でもそれ以下でもない。人は神使を受け入れてあげるだけでいいの。それが、神使と絆で結ばれた私たちがすべきことよ」

「……」

 なんだか、また痛感させられた。やはり、これが神使と数百年向かい合ってきた一族の言葉なのだろう。他の神使についての詮索はやめておこう。

 それに、八百万の神との付き合い方もなんとなく分かった気がする。多分、曖昧な部分はそのままにして、おおらかにか構えるのが正解なのかもしれない。


 なんとなく話が尽きたところで、引き際とばかりに琴音女将は腰を上げた。

 名残惜しいのは二人のわんこ神使のことのようで、明日朝にはじっくり見させてもらうからと宣言して部屋を出て行った。

 随分と喋ったつもりだったが、意外と時間は過ぎていなかった。終始、琴音女将の話に圧倒されていたからかもしれない。

 部屋に梛乃と二人。暫しの間、沈黙が続いた。俺は余韻に浸りながら、先ほどの話を頭の中で反芻はんすうしていた。

「ねえ。治人……」

 彼女が囁くように言った。

「なに?」

 琴音女将との会話に殆ど入ってこなかった梛乃。よほど無口な女だと思われたに違いない。彼女は人に臆するタイプではないのだが、今夜は物静かだった。特に神使の代替わりの話辺りから不安げな様子だった。

 今もそんな感じた。もう一度訊く。

「……どうした?」

 今度はなにやら神妙な顔をしている。何か言いたそう。しかし、俺はちゃんと分かっている。

「あのね……すのりとかおれの、これからのことだけど――」

「どうしたらいいと思う?」

「えっ?」

 俺の即答に戸惑った梛乃。意地悪じゃないよ。でも、そんな表情も好きだ。

 あの話を聞いたら、もう気負うことなんてないでしょ。俺も覚悟を決めて受け入れるだけだ。不安は無くなった。

「その……お転婆娘でも、入れる学校あるかな。猫娘がうまくやっているんだから、うちの子たちだってできるよね……住民票とかどうしようかな。猫娘や栗原さんにいろいろ教えてもらわないといけないかもね。まあ、学校が絶対じゃないけど……俺は家持ちだし、住むところには金掛からないから、何とかなるよね。あとは――」

 梛乃が俺の背中にぎゅっと腕を回していた。胸元に顔を埋めながら、上ずった声でもごもご言う。

「だから、私は治人が好き」

 俺はきれいな栗毛色の髪に手を置いて胸を張った。

「おう。なにも心配するな。まかしとけ」

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