第20話 ほしふるやど

 女将のいうところの、宿とやらに案内されて驚いた。

 それは、白鳥から弓糸呂ゆしろへ来る時に通った峠の頂上付近にあった。国道から外れて、林道を少し入った場所。ごく普通の旅館を想像していた俺たちの前に現れたのは、雪の中に佇む予想外の光景だった。

 山間やまあいに開けた鉢状の広い敷地。中央に池があり、それを囲む形で階段状に小ぶりな建築物がいくつも点在している。

 建物のデザインは先鋭的で、三角形や四角形で構成されているが、木材が多用されていて和風のテイストが残る。それらは離れとなっていて、屋根付きの渡り廊下でつながっていた。

 見るからに洗練されている。お洒落に言えば、ビィラリゾートというやつだろう。

「なんだか……凄いところね」

 遠巻きに眺めた感想を梛乃が呟いた。確かに、俺もそれ以上に驚いている。これは間違いなく、SNS映えする最新型の温泉リゾートである。

 思い返せば、なにかのメディアで取り上げられているのを見た覚えがある。確か有名なリゾート開発企業が手掛けたとかなんとか。よく来ている所なのに全然知らなかった。まあ、ここに来ても川にしか関心がないのだから、当然といえば当然だ。


 女将に導かれるまま、駐車場正面のセンターハウスと呼ばれる建物に入り、ロビーのフロントでチェックインを済ませる。

 ホールの脇のラウンジには、薪がくべられた大きな暖炉が壁際に鎮座し、それを囲むようにソファーとテーブルが配置されていた。奥にはバーカウンターもあるみたいだ。ここは、お洒落な大人のための空間。

 それを横目にガラス張りの渡り廊下を進む。そして離れの一つに通された。嘘だろと思いながら、女将の言葉にやっぱり慄く。

「今日は他が一杯なので、ここを使ってね。特別室だから部屋も幾つかあるし、四人でも大丈夫でしょ?」

「特別室って……」

 俺の戸惑いが思わず口からこぼれる。人数的には大丈夫ですけど、違うところがそうではないかも。ここは離れの中でも、一際大きくて豪華に見えるのですが。

 女将に促され部屋に入ると、そこは想像以上に素敵な空間だった。

 大きな無垢天板の掘りコタツがある広いリビングは壁と天井が板張り。外に面した吐き出し窓の向こうにはウッドデッキのテラス。畳の布団とベッドが選べる二つの寝室。そしてパウダールームを備えた内風呂の他に専用露天風呂もあるという。

 至れり尽くせりの部屋なのだが、俺と梛乃は青ざめた。さすがに、この部屋は上等過ぎる。庶民にとって、当然のごとく気になるのは料金である。

 こちらの顔色を察したのか、女将は軽く高笑い。

「ああ。心配しないで、お代はいらないわ。その替わりと言ってはなんだけど、今晩は私に付き合って話し相手になってくれないかな」

 それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした俺と梛乃。しかし、少なからず料金の交渉はできるだろうと期待はしていたが、まったく払わないというのも気が引ける。

「あの。ありがとうございます。ですけど、さすがにタダというのは……もちろん、話の相手はさせてもらいます」

 強気で苦笑い。俺にも少なからずプライドはある。

 女将は鼻息を一つ。

「……まあ、そうね。その方が、気兼ねなく泊まってもらえるかもね……じゃあ、コミコミで、これでどうかしら?」

 そう言って、左の手のひらに右の指を三本のせて見せた。

 う~ん、三万円とは破格の値段。多分、この部屋は一人で三万は下らないだろう。いや、もっとするかも。

 無遠慮な感じもするが、女将の誘いあっての話だし。ここは甘えることにした。俺が頷くと、交渉成立とばかりに説明が始まった。

「お風呂は、もう入れるわよ。露天風呂のお勧めは暗くなってから。この宿の売りは、満天の星空だからね。今夜は晴れの予報よ。

 それから、お食事は六時からでいいかしら。このお部屋で召し上がって頂きますね。アレルギーとか食べられない物があったら言ってね。お品書きが、そこの案内に載っているわ。なにかあったら、フロントまで連絡してね。

 そして、ここからが本題。私は仕事を片付けて、八時過ぎにお邪魔させてもらうわ。それからゆっくりお話をしましょう」

 怒涛の如く話したあと、女将は微笑んだ。

「よろしいかしら?」

「ああ、はい」

 俺は押し切られるように返事をした。

 すると女将は、すのりとかおれに笑みを送って手を振り、部屋をあとにした。見届けた俺と梛乃は、顔を合わせると同時に口から吐息を漏らした。

 まあ、なるようになるだろう。女将は悪い人ではないみたいだし。考えてみれば、向うは身分を明かしているが、こちらの素性はまだ伝えていない。その上で、このもてなし。

 性格もあるのだろうが、きっと器の大きい人なのだろう。梛乃からも懐疑的な反応は無かった。とりあえず、判断は間違っていなかったと思っておこう。

「あれ? 二人は?」

 ふと、俺はすのりとかおれの姿が無いことに気付く。

「どこかしら? ……早速、お風呂でも見に行ったのかな?」

 梛乃が部屋の奥へと向かったので俺も続く。

 しかし、彼女はパウダールームを通り過ぎ、風呂の入口と思われる木製の引き戸を開けた途端に踵を返す。俺を押し戻し、後ろ手で引き戸をぴしゃりと閉める。

「あー、ダメダメ。来ちゃダメよ」

「……ああ」

 なんとなく想像はついた。梛乃は苦笑いしている。

「既にすっぽんぽんで、露天風呂へ直行するところでございます」

 梛乃の説明に俺も苦笑する。でも、違和感が残った。

「あれ。すのりって、お風呂あまり好きじゃないよね?」

「そうね……多分、露天風呂だから、水遊びと同じなんじゃない」

「……なるほどね」

 まあ。せっかくだし、二人も楽しんでくれた方が、泊りがいもあるというものだ。

「私も一緒に入るとしますか……」

 梛乃は呟きながらリビングに戻ると、大きなダッフルバッグを開けた。

 キャンプや釣りに出掛ける時は、日帰りでも必ず着替えを用意するのが習慣となっている。それは今回も同じ。よって、突然のお泊りでも困ることはない。

 神使たちの着替えも準備して、彼女が立ち上がる。

「じゃあ、お先にね……それから、覗いちゃダメよ」

 ペロッと舌を出した梛乃。そう言い残すと、風呂へと消えて行った。半眼で見送る俺。

 なに? それは、覗いていいってことなのか……でも、まあ……うん。やめておく。


 一人残された俺は、リビングの掘りコタツに用意されていたお茶を入れる。菓子器の中から地元の銘菓とおぼしき饅頭を一つ掴む。ついでのようにリモコンを取り、壁にある大きなテレビの電源を入れた。夕方の情報番組が、今日のニュースを伝えていた。

 そして、俺は長いため息。言うまでもないが、これは萎える。

 成り行きの展開だし、神使たちあっての状況ではあるが、このシチュエーションで梛乃と二人きりであったならばと考えるのは至極当然である。

 こんな贅沢な宿の貸し切り露天風呂。恋人といちゃつくには最高のはずなのに。なにが悲しくて、一人リビングで茶を啜らなければならないのだろう。俺は神さまを恨んだ。


「いいお湯だったよ」

 長い髪をタオルで拭き上げながら、梛乃が風呂から上がって来た。すのりとかおれも同様にしてご登場。それを見て、下降気味であった俺のテンションは上がった。

 なんと、皆さん浴衣に着替えているではないですか。たまらず頬の筋肉を緩ませてしまった俺。

 梛乃の襟元から覗くうなじに興奮しただけではない。艶やかな浴衣美人が並んだ姿に、心を奪われてしまったからだ。それは、素晴らしいの一言に尽きた。

 なんといっても、三人を麗人れいじんたらしめている浴衣が抜群にいいのである。俗にいう寝巻浴衣だが、旅館によくある白地に幾何学模様の味気無いものではない。紅葉の葉を柄としてあしらった可愛らしいものだ。

 梛乃は牡丹ぼたん色。すのりは薄いあい色。かおれは山吹やまぶき色。こんなところにも宿のこだわりが感じられた。

 ふむふむ。それぞれ、とてもいい色だ。良く似合っている。もちろん梛乃が一番だが、すのりとかおれも引けを取らない。そして、三人からほのかに漂ってくる石鹸の香り。

 思わず感慨に耽る。この光景を独り占めできる優越感。「世の中の男たちよ、羨ましいだろう」と叫びたくなってしまった。

 俺のよこしまな心を感知したのか、梛乃がすり寄って来た。

「なあに? 浴衣の私たちに、見惚れちゃってるの? ……なんてね」

「まあね。凄く綺麗だなと思って……」

 俺は彼女に顔を寄せる。

「特に、梛乃がね」

「……あ、うん……ありがと」

 顔を伏せる梛乃。そんな俺の定番返しは承知のはずなのだが、結局照れてしまうところがたまらなく愛しい。湯上りだからかもしれないが、彼女の頬が紅色に染まった。

「治人もお風呂、入って来なよ。露天風呂、凄く気持ちいいから」

 照れ隠しで、話を逸らした梛乃。横に居る神使たちも、それには同意見らしい。

「私、お風呂はあんまりだけど……露天風呂は好きかも……」

 ちょっとモジモジしながら、そんなことを言うすのり。楽しかったなら、そう言えばいいのに。素直じゃないけど、そこがいじらしいではないか。

「治人さん。また入りたいです。とても気持ちよかった」

 かおれは上目遣いで、こくこくと首を縦に振る。気持ちを包み隠さないところは幼い感じもするが、そんなストレートな感情表現は嫌いではない、というか好きだ。きっと、同年代の男子にしたら毒でしかないと思われる。

 梛乃もそうだが、この二人が喜んでくれると、なおさらこちらも嬉しくなる。

「そうだな、夕食のあとに入るか、明日の朝にでも、また入ればいいよ」

「そうね、そうするわ」「はーい、そうします」

 声を合わせて返す、すのりとかおれ。

「治人。目尻が下がっているわよ」

 そう言って釘を刺した梛乃だが、彼女の顔もほころんでいた。

 すのりとかおれは俺たちにとって、既に特別な存在ではなくなっているのだと気付いた。つまり、日常においてなくてはならない存在。

 まあ、柴犬の時と同じといえばそうなのだが。ともかく神使がなんであれ、この子たちとずっと一緒に居るという未来は変わらないのだ。


 確かに、いい露天風呂だった。

 岩風呂だと勝手に想像していたが、二畳はありそうなサイズのひのき風呂だった。木の香りがリラックス効果を促進させる。全体の造りはシンプルだが、間接照明が高級感を演出し気分を盛り上げてくれた。

 日が山脈に隠れて間もなくだったので、満天の星空ではなかったが、夕日で赤く染まった雪山の上に星が輝き出していた。そんな、幻想的な光景を眺めながらの温泉は格別だ……

 ではあるが、やっぱり梛乃と入りたい。今夜、そのチャンスはあるだろうか。

 などと考えながら風呂から上がると、食事の準備が始まっていた。中居さん二人掛かりで、掘りごたつの大きなテーブルに料理が並んでいく。

 定番のご当地メニューである飛騨牛のほう葉焼に、今が旬である寒ブリのお造りなど。山の幸、海の幸が所狭しとテーブルを陣取る。料理の知識は浅いので、それくらいしか分からないが、要は豪華な会席料理のコースとうことだ。

 今更ながらに、四人で三万円という値段が申し訳なくなるほどである。

 ちなみに、山の幸は当然なのだが、海の幸も盛り沢山なのは理由がある。ご存知、岐阜県には海が無い。しかしながら、美濃地方や飛騨地方は福井県や富山県のすぐ隣に位置していて、実はそれほど海から遠い場所ではない。

 太平洋からは山奥なのだが、日本海からは意外と近いのだ。それゆえ、鮮魚の流通も古くから確立されていて、交通網が整備された現代ならなおさらという訳。

 大喜びなのは神使たちだった。宴が始まると、すのりとかおれはいつも以上の食欲を発揮した。

 二人に好き嫌いはまったく無い。多分、食べ物ならなんでも平らげるだろう。ご飯をおひつごとお代わりし、「その体のどこに消えて行くの?」と、仲居さんの舌を巻かせた。

 俺と梛乃も少々お酒が入ったりもして、良い気分で食事を終えた。

 そして、食べたら寝る、は柴犬の習慣。満腹になった、すのりとかおれ。露天風呂への再突入は明朝ということにして、歯を磨くと早々に寝室のベッドに潜り込んで行ったのである。

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