第18話 さる その1

 境内をあとにした俺たち。駐車場に戻ってくる間も、他の参拝者には会わなかった。

 それでも、ひとけがなくて寂しいというよりは、静かでいい場所だと思った。まあ、冬以外の季節だったら、もっと人は居るのかもしれないが。

 今度から、釣りに来た時は必ず参拝することにしょう。もちろん、祈願するのは「たくさん魚が釣れますように」となる。

 俺は車のリヤゲートを開け、ラゲッジの隅にあるポケットへ、掘り出した瓶子へいじを入れる。移動中の衝撃で割れないように、釣り道具を拭くために常備してあるタオルで包んだ。

「……治人」

 すのりから声が掛かる。振り向くと駐車場に面した道路から、こちらに向かって歩いてくる人影があった。ぱっと見でも分かる背の高い男。

 手を止めて動向を見守る。近付くと、なおさらに身長の高さが目を引いた。190センチはあろうか。しかも、背丈だけでなく体躯も良い感じ。MA1風のジャンパーにカーゴパンツという出で立ち。足元は厳ついブーツを履いている。

 地元の人間だろうか。顔は日に焼けていて短髪。まるで、スポーツ選手にいそうな風体ふうてい。歳は二十代後半くらいと思えた。

 他に人の姿はないので、俺たちに用があるのだろう。なんとなく目も合ってしまったので、向こうからの反応を待とうとしていると、横からすのりが俺の腕をぎゅっと掴んだ。

 おっと。この反応は、もしかして……

「あれ、猿よ」

 すのりが、呟いた。俺はため息をついた。

 やっぱりか……でも、猫の次は猿ときたか。しかも、男。それに、結構なイケメンではないか。

 ここまでの流れから、次は色香を漂わせる妖艶な女狐あたりが現れるのではないかという、微かな期待は微塵に砕かれた。

 かおれは助手席に乗っていた梛乃に一瞥をくれ、俺の傍にすっと歩み寄った。シークレットサービス並みの動き。この立ち回りの良さはなんなのだろう。完璧な状況判断に改めて感心する。

 まっすぐこちらに向かって来た男。すのりとかおれの口角が自ずと上がり、再び可愛い犬歯が鈍く光る。

 男は2メートルほど距離を取って立ち止まった。まるで、間合いを取ったかのよう。先に口を開いたのは男だった。

「こんにちは」

 抑揚がなく、感情が判断できない声色。しかし、続けてニヤリと笑う。猿顔と言えば、そうかもしれない。浅黒い顔の口元に白い歯が見えた。犬歯があったかどうかは分からない。

「……こんにちは」

 俺はぎこちない笑顔を送ってみるが、男は俺を見ていない。黙ったまま小首を傾げて、すのりとかおれを凝視する。まるで、値踏みをするみたいな態度。

 おい。うちの子たちを、そんな目でジロジロ見るでない。

「あの――」

「そんな可愛らしい神使を連れて、一体なにをしに来たのでしょうか?」

 やっぱりそうきたか。俺の言葉に被せつつ、飄々と薄ら笑いを浮かべながら語尾を上げた男。まるでクイズ番組のMC口調。しかも、見透かした風な言い回し。

 挑発しているのだろうが、神使の世界がどうであれ、初対面の相手に対して失礼というものだ。それに可愛らしいなんて、言わずもがなである。うちの子たちは、もとより最高なのだ。

 が、相手の思惑に乗る気はない。ここは素直にこちらの情報を開示して、様子をみることにする。

「ああ、探し物をしていてね」

「なんだよ、探し物って?」

「まあ、ちょっとした器みたいなもの……かな」

「器?」

「そう」

「見つかったのか?」

「ああ、そこの河原でね」

「ほう……」

 河原なら境内といえども河川の一部である。多分、ここの場合でも、神社の敷地ではないはずだ。掘り出した瓶子を拾得物と考えれば、その持ち主は誰ともいえない。

 まあ、拾得物にしてしまうと、落とし物として警察に届けなければならないのかもしれないが。

 この男が、俺たちの行動を見ていたのかどうかは定かではないが、泥棒のように思われても嫌なので、あえて伝えた。

「……それで? なんだ?」

 男は怪訝そうに言い、片眉を吊り上げながら腕を組んだ。回答としては不十分だったらしい。というより、こちらの話を信用していない。もしくは、そんな話に興味はない、のどちらかだ。

 なんとも、不愛想な男である。猫娘のような萌え要素の欠片も無い。猫に続き猿の登場なのだけど、その割にはキャラが中途半端だ。

 まあ、男に求めるつもりもないが。気に入らないので、「猿男」などという愛称では呼んでやらないことにした。

「それで、とは? それだけなんだけど……」

「はあ? なに言ってんだよ?」

「だから――」

「よそ者が神使を連れて、ウロウロされたら目障りだって言ってんだよ!」

 またもやの被せ。そして、いきなりのヒートアップ。すのりとかおれの眉がピクリと動く。

 結局のところ、見知らぬ神使連れに難癖付けたいだけだと理解した。困ったなと思い、開いたリヤゲート越しに車内を見遣る。

 助手席の梛乃が不安げな表情でこちらを見ている。そうだよな。勘弁してくれ、俺の大事な人が怯えているじゃないか。

 そういえば、猫娘も同じようなことを言っていたな。神使はよほど縄張りを気にするのか。それともすのりとかおれが、見逃せないほど特別なのだろうか。

 などと考えていると、すのりが顎を突き出しながら鼻を鳴らした。

「――で、やるの?」

 まんま、売り言葉に買い言葉。

 待て待て、すのりさん。牽制を飛び越えての宣戦布告。チョーカーの中央で輝くスペードの通り、確かに君は剣のようだ。例の血筋というのは、やはり生粋の武闘派なのでしょうね。

「おお、面白いじゃねえか。結構な気を振りまいているが、所詮は街の飼い犬だろ。そんなんに、ビビるかよ。俺たちみないな神使を甘く見てると、痛い目に合うぜ!」

 男、お前も待て。威勢よくお決まりの捨て台詞を吐いて恫喝するな。こんなおチビさん相手に、その気になってどうするの。

「あら。山のお猿さんが、なにをごちゃごちゃ言っているのでしょうか?」

 振り向けばかおれ。先ほどのお返しとばかり、男の言葉をそっくりまねするように語尾を上げて返した。しかも、失笑気味。

 あなたの口もたいがいですよ、かおれさん。なんですか、その一歩も引かない勇ましい態度は。チョーカーに付いたピンクのハートが、赤くたぎって見えますよ。当然、あなたも武闘派なのですよね。

「お前もやるんか? いいぜ、このクソガキどもが。まとめて相手してやる」

 と、男がまたも吐き捨てる。

 神さま。なんで神使たちは、こんなにも血の気が多いのですか。やっぱり野生の本能なのでしょうかね。

 とはいえ、すのりもかおれも、すぐに飛び掛かったりはしないはず。ここは、もう一度冷静になってだね……

「――ちょっと、やめなさいよ!」

 俺は想定外の横槍に目を丸くした。梛乃さん、あなたまで出て来てどうするんですか。

 助手席から飛び出し俺の横に並んだ彼女は、うちの神使たち以上にご立腹だった。

「言い掛かりにもほどがあるわ。猿だか、神使だか、なんだか知らないけど。いい年の大人の男が、こんな女の子相手にマジになるなんて、恥ずかしいと思わないの? ガキはあなたじゃないの。どうかしてるわ、バカなの?」

 ……言ってしまった。いや、梛乃さん。それは火に油もいいとこ、追いガソリンくらいヤバいですよ。

 そして、案の定の展開。

「ほざいてんじゃねえ! このアマが!」

 顔が真っ赤になる。一瞬にして激昂した男。

 そうなるわな。と、天を仰いだ俺だが、すぐに青ざめた。男の動きが予想以上に速かったのだ。

 俺は梛乃に手を伸ばすのが精いっぱい。既に突進した男の腕が、彼女に掴み掛かろうとしていた。「まずい」と刹那の後悔。だが、俺は梛乃を抱きかかえながら、とてつもない光景を目の当たりにした。

 梛乃に向かった男の右腕は、大きく上へ撥ね退けられていた。

 青い空へ向かって、まっすぐ伸びた黒いタイツの脚がそこにあった。ショートボブの黒髪を揺らしながら、大開脚のハイキック。一見して華奢なすのりの脚が、男の太い腕をいとも簡単に蹴り飛ばしていた。

 だが、微かに表情を強張らせた男は、舌打ちしながら反対の左腕を振り上げた。喧嘩馴れしているのか、その動きに迷いは無い。ターゲットが変更され、大開脚で片足立ち状態になっているすのりの顔に、男の拳が向かう。空気を引き裂く鋭い突き。

 しかし、すのりの涼しい顔は変わらない。そのまま後ろに仰け反ると地面に両手を着いた。まるで体操選手のように、しなやかにくるりと後方回転。男の拳は虚しく空を切る。

 男は更に血を上らせた。凄い形相。全身から殺気をみなぎらせて、すのりに飛び掛かる。次に繰り出したのは右の拳。

「……やっぱり、バカなのね」

 一辺倒の攻撃に、呆れ口調で吐き捨てたすのり。

 今度は迫る拳をギリギリまで待ってから、伸びてきた相手の腕に横から裏拳を叩きつけた。僅かに軌道が変わった拳が、冷笑を浮かべたすのりの頬を掠めた。

 男はそのまま、勢い余ってつんのめる。その空回りっぷりに、自分でも驚いた様子で目を開いて止まった。ようやく遊ばれていることに気付いた男だが、既に手遅れだった。もう一人の存在を忘れていたからだ。

 はっとする男。その頭上には影が。

 高さ2メートルを楽に越えている。その跳躍は人間のものではない。かおれの姿がそこにあった。

 宙に浮いた姿勢のまま、思い切り捻った体を解放する。素早い回転に体重を乗せた右脚。冷徹にして必殺の回し蹴りが、男の延髄を直撃した。

「うぎゅっ!」

 奇怪な嗚咽を漏らし、眼を剥いた男。芯を抜かれた人形みたいに崩れ落ちる。そのまま膝を着くと、雪の積もったアスファルトに顔面から突っ伏した。

 その横に、ひらりと華麗に着地したかおれ。その豊かな胸が弾んでいた。

「……」

「……」

 衝撃の展開。言葉にならず、俺と梛乃は揃って目をぱちくりさせた。

 今見たものを、どう表現したらいいのか分からない。ハリウッド映画の格闘シーンとでもいえば適当なのかもしれない。だけど、それではあまりにも簡潔すぎる。現実とのギャップに、妙な違和感だけが余韻として残った。

 尻を突き出した状態で、ピクリともしない男。それを見下ろす、すのりとかおれ。ドヤ顔で乱れた髪と身なりを整えている。勝者と敗者の構図ができあがっていた。

 実際に目撃してしまうと納得するしかない。確かに二人は特別な神使らしい。というか、むちゃくちゃ強いんですね、と思った。

 他の神使が警戒するのも無理はない。こんなのが二人も凄い気だかオーラだかを漂わせてやって来たら、そりゃ気にするわな、である。

 それにしても、二人の完璧な連携と攻撃のリズム。すのりの俊敏さも凄いが、かおれの一撃には恐れ入った。

 例えるなら、すのりが剣の如く舞い踊り、かおれが愛の力でねじ伏せる……まあ、センス無いけど、そんな印象だ。ともあれ、妙な表現をしてしまうのは、やはり二人が人間離れしているからだろう。

 しかも瞬殺的なところは、実戦に則した戦闘術そのものである。二人は最高であり、最強でもあったということだ。

「し、死んでないわよね……」

 喉を鳴らした梛乃。俺も様子を窺う。普通の人間だったら、ヤバいと思われる。

「大丈夫ですよ、気絶しているだけですから。手加減したので」

「だけですからって……え、あれで、加減したのか……」

 軽く言い放つかおれに、俺は軽い頭痛をおぼえながら答えた。

 しかし、どうしたものかな。この男を放っておいて、このまま逃げるか。いや多分、神使というのは誰か人間と暮らしている可能性が高い。この男の保護者みたいな人が居るはずだ。詫びを入れた方がいいかも。経緯はどうであれ、結果がこれだから。

 とはいっても、仲間みたいのが現れて、これ以上にもめたら厄介だ。

 すると、足元から呻き声が……男がもぞもぞと動いている。まだ、朦朧としているみたいだが、ゆっくりと自ら体を起こした。だが、腰を雪の地面に下ろしたまま、立ち上がろうとはしない。

「気が付いたのね……良かった」

 あんなに罵声を浴びせた梛乃も安心した口ぶり。そうだよな。うちの神使たちの大立ち回りが凄過ぎて、結果的に被害者となってしまっているのだから。

 だが、正気になってまた向かって来たらとも考えた。俺は梛乃を抱いたまま、少し身を引く。すのりとかおれは、男の前に立って冷ややかに、その様子を眺めていた。

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