第16話 はくさんさま その1
「結構残っているな、雪」
独り言の俺。つづら折りの林道を登って行くと、アスファルトの所々が青白くなっていた。硬く踏み固められた雪は、スタットレスを履いていても滑りやすい。
乾いたアスファルトの部分を辿りながら慎重に進む。相変わらず、きつい峠道だ。
周りの樹木は深い雪に覆われ、遠くの山脈は白銀に輝いている。すのりとかおれは真っ白な世界に、キョロキョロして落ち着かない。そんな反応を微笑ましく思う。
道の駅で出会った猫娘の穂香に比べると、二人とも常に口数は少ない。それは、猫と犬の違いではないと思う。
多分、柴犬が持つ本来の資質。人見知りで社交性が低く、気まぐれで自由奔放。だけど先ほどのように、いざという時は勇敢に飼い主を守る従順さと、自分の意志で行動できる賢さを持っている。
柴犬は最も狼に近い遺伝子を持つといわれる犬種でもある。称してウルフライクと呼ばれるらしいが、時折見せる野生的な表情はその表れなのかもしれない。
途中にあるゴルフ場の入口を通り過ぎて峠を下ると、
こんな冬場に、ここを訪れたことはない。よく知っている場所が雪に埋もれている光景は、ちょっと寂しい感じもするが、とても新鮮な感覚だ。
民宿が点在する集落を抜けて高原の農地に出る。一面に広がる雪景色を見ながら進むと、一台の軽トラとすれ違った。
ひとけは殆ど無い。夏場に釣りに来てもこんなもので、本当に静かな農村である。ここに来ると、時間がゆっくり流れている錯覚にいつも陥る。
暫く走ると、道路の上を渡すように張った長いしめ縄が現れる。その下をくぐる。ここから先は白山水迎神社の神域となる。緊張する気持ちを抑えながらハンドルを握る。
大きな鳥居とその前に鎮座する狛犬が視界に入る。俺はその横にある参拝者用の駐車場に車を停めた。
いつもは、この先に続く道を下って弓糸呂川の本流へと向かうのだが、今日は違う。もっとも、今は川も雪に閉ざされているし、ここはまだ禁漁期間中なのである。
周囲を一瞥してからエンジンを切る。他に車は無かった。
「うわ、寒い……」
助手席から降り立った梛乃が、デジャブのように呟く。それを横目に後部座席のスライドドアを開けた。
てっきり、すのりとかおれは踏み跡の無い雪面めがけて飛び出すと思いきや、ゆっくり足元の雪を踏みしめて立ち止まった。
「……治人。ここは、妙な感じがするわ。ゾクゾクする、みたいな」
すのりはそう言って、周囲に視線を走らせる。
気になる反応。しかし、俺は森を抜けてくる冷気にゾクゾクするだけ。ただ、周囲が異常に静かで、少し気味が悪い。積もった雪のせいだと分かってはいるのだが。
「……まずい、感じか?」
「そこまでじゃないけど、なんとなくね」
やはり、すのりはなにかを感じ取っている。
梛乃が不安げに眉根を寄せる。すると、かおれが彼女の傍に歩み寄って、その手を握った。
「大丈夫よ、梛乃さん」
おお。頼りになるね、かおれさん。それは、俺の台詞だったのに。
今更ながら、うちの神使たちが居ることの心強さを噛み締めていた。最初は、こんなことに巻き込まれて迷惑千万と思っていたが、自分でも理解できない使命感じみたものが沸き起こっていることに気付く。
なんだか変な気分だ。すのりとかおれに関わることだから、ここまで来たということに変わりはないのだが。
「行こうか」
俺は駐車場から鳥居を見遣った。
さて、鬼が出るか蛇が出るか……なんてね。そうはなって欲しくないけど、こんな時は悪い考えが頭に浮かぶものだ。
一礼をして、鳥居の端をくぐる。
犬を連れて神社の境内に入ることは、神に遣える狛犬などの
立ち並ぶ杉の大木を縫うように、石で作られた細い階段を下ると橋に辿り着いた。両手を広げたくらいの幅しかない、
「これ、なんて言うのかな」
「……
呟きのつもりだったが、梛乃が律儀に答えてくれた。こんなものまで知っているとは、博学過ぎて怖いくらいだ。
「先生。次のテストに出ますか~?」
「なによ、それ」
彼女は半眼でぶーっと口を尖らせた。うん、それ可愛い。ごちそうさまです。
この川は
境内を流れている区間は、年間を通して禁漁となっている。そう思うと、手付かずの渓魚が泳ぎ回っているはず……姫神の御前ではあるが、不心得を承知で川の流れに視線を落としてしまうのは、釣り師の性である。
橋を渡ると、お社が見えてきた。
ここまでの参道は丁寧に雪かきがされていて、歩くのに不都合は無かった。すのりが先頭で、梛乃の手を引いた俺が続く。そして、最後にかおれ。つゆはらいのすのりに、しんがりのかおれ。なにも教えていないのに、基礎的なポジションを取っている。
うすうす感じてはいたが、この二人の行動には戦術じみたものがある。それは柴犬としての資質からくるものではなく、人間の知恵から生み出されたものに近い。
境内の一番奥。急な長い石段を上がった、見晴らしの良い場所に本殿はあった。俺たちは、その前で足を止める。
やはりというか、他に参拝者は見当たらなかった。ひとけが無いのは、冬だからの事情だろう。さしあたり、なんの変化もない。神使たちも、この場の空気に慣れたようで、顔の緊張は無くなっていた。
青い空は峠を越えても変わらず続いていた。大きな杉の間から、こぼれた日差しが足元で揺らぐ。寒いことに変わりはないが、空気が澄んでいるのが分かる。
なんだか清々しくて心地良い。ちょっと、警戒し過ぎだったかなと思う。
「さて。まずは、参拝しますか。なにも起こらなそうだし」
白い吐息を吐いた俺。気が抜けた感じになってしまったが、とりあえず神さまにご挨拶。
「そうね」
梛乃は顔をほころばせて、持っていたバッグから財布を取り出した。すのりとかおれに小銭を渡し、拝礼の作法を教える。興味津々の表情で、二人揃って頷く動きはとても愛らしい。
しかし、神使たちの知識がどのように構成されているのかが、いまいち分からない。きっと、神さまも把握していないと俺は思っている。
賽銭箱に硬貨を入れて拝礼を始める。二礼、二拍手、一礼……俺と梛乃を真似て、頭を垂れるすのりとかおれ。
と、二人の体がそこで一瞬固まった。そして、弾かれた挙動で振り返る。神使たちになにかが伝わっていた。
「さっきの川!」「川になにかあります!」
いつものシンクロ発言。様子の変化は傍から見ても明らか。
「なに? どうしたの?」
梛乃は戸惑った表情で二人を見遣る。
だが、俺は状況を理解した。なるほど、そういう仕掛け……いや、趣向か。お使いの手掛かりは、断片的にしかもたらされないということだ。まったくもって、気まぐれな神さまの遊びに付き合わされているとしか思えない。
おっと。すのりとかおれが俺を見てなにかを求めている。なるほど、衝動の抑制がちゃんとできている。指示待ちの状態になっているのだ。ほんと、いい子たちだ。
「よし、いいぞ!」
俺が口を開くや否や、神使たちは登ってきた石段へ勢い良く走り出す。おい、そんな危ないって……
「わおっ!」
梛乃が
すのりとかおれの豪快な跳躍。ほんの数歩で長い石段を駆け下り、軽やかに地面へ着地した。アクロバティックに街を駆け抜けるパルクールみたいだった。
雪面であることを考えると、物理法則を無視しているとしか思えない動き。神使の能力を垣間見た気がした。あの可愛さに、この身体能力。はっきり言って、格好良過ぎです。
「俺たちも、行こう」
梛乃の手を取って、俺は階段を降りた。
「どういうこと?」
「二人のあとを追えば、自ずと分かると思うよ」
彼女の疑問は当然だ。ともかく簡潔に答え、すのりとかおれの背中を追った。
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