第15話 おんがえし その2

「まあ……それだけの話よ」

 はにかんだあと、猫娘はそっぽを向いた。

 でも、それは誰かに聞いてもらいたい話だったのかもしれない。ずっと心に秘めていた想いであり、ちょっと切ない物語。

 横から腕をぎゅっと掴まれる。

「――梛乃?」

 隣のベンチからスライドして来ていた。彼女は口を噤み、潤んだ瞳で俺を見ている。案の定、涙腺崩壊寸前。若干、鼻もすすっている。

 そうなるわな。こういう話には、人一倍敏感なんだよね。

 すると、猫娘が気恥ずかしそうな一瞥を俺たちに向ける。少しばつが悪そうでもある。

「あ、あのさ。お涙ちょうだいで、話したわけじゃないんだから……その辺のとこ、勘違いしないでよね」

 おっと、大変だすのり。君の大事なアイデンティティであるツンデレが、ぽっと出の女子高生に奪われそうになっているぞ。

 などと考え、揺さぶられた心を誤魔化しつつ、俺はなんとか平常心を取り戻した。

「分かっている……話してくれて、ありがとう。それが、お役目ってことだな」

「……まあね……あたしは、そう理解している」

 視線を泳がせた猫娘。ちょっと照れているみたい。

「――それって」

 唐突に言葉を発したのは梛乃だった。更に俺の腕を強く掴む。微妙に痛い。

「……とても素敵なお役目だと思うの……その……私の勝手な考えかもしれないけど……きっと、ご夫婦もね……あなたの幸せを願っているはずよ……決して、一方的なものではなくって……」

 自分の気持ちを上手く言い表せない様子の梛乃。なにかを人に伝えるのは難しいものだ。

 猫娘は静かに吐息を吐く。

「……だったら、嬉しいかな……ありがとう」

 そう言って微笑んだ。

 同時に梛乃の顔にも喜色きしょくが広がる。よかったね。そう、俺の彼女は優しい人なのです。

 しかし、なんだ。しおらしくすると、普通の可愛い女の子だ。妙に粋がっていたのは、神使として外向きの顔を作っていただけなのかもしれない。この田舎で浮きそうな喋り方はお勧めしないけど……そのご夫婦の前ではどうなのだろうか。気になるところではある。


 それからの猫娘は、俺の質問に次々と答えてくれた。神使について、疑問に思っていることは幾つかある。

 まずは、時間軸のこと。

 神使としての年齢は、見た目から判断するしかないという前提での話だ。

 猫娘は人間になってから約三年が経過しているという。猫の寿命に置き換えると十五年か、それ以上の年数が過ぎたことに等しい。もちろん、単純な比較での話。

 しかし、猫娘は身体的にそんな変化はなく、人間のスピードくらいで成長していると言う。見た目もその通りだ。

 だとすれば、神使になった時点で、生体としての時間軸も人間と同じになると仮定できる。すのりとかおれもそうだとすれば、あっという間に歳を越されることはなさそうだ。可愛い少女が、そのうち熟女に。なんてことは考えなくていいらしい。少し安心した。

 次に、感情や記憶のこと。

 猫娘は神使になる前の出来事として、事故にまつわる話やご婦に対しての想いを口にしていた。生物の本能的な衝動ではなく、ご夫婦を癒してあげたいとか、神さまに願ったとかの人間的な思考のことだ。

 もしかすると、動物にも本来そういった感情があるのかと思ったが、それについては分からないという。猫娘はそのような記憶が残っているだけで、他の猫たちや動物がどうなのかは知らないと。

 すのりとかおれも同じで、曖昧なことを言っていた。確かに、動物は言葉を使って高度な意思疎通をしているわけではないので当然といえよう。

 まあ、別の考え方として、人間的な感情の要素を持っていたから神使になった、とうことはありえる。とはいえ、神使という特異な存在である時点で、あまり意味がないことなのかもしれない。

 とまあ。ここまでいろいろ訊いたが、最後にしっかり確認しておきたいことがあった。それは……

「その……制服着てるのってさ……」

「えっ? ああ、休日なのにってこと? 今日、部活動の午前練習があったからだけど」

「あ、いや。部活動か……」

「……そうよ」

 俺はその顔をまじまじと見た。

「やっぱり、学校に通っているんだよね?」

「……」

 猫娘は沈黙のあと、呆れた顔で目を丸くした。

「はあ? ……えっ、なに? これ、コスプレだとでも思った? バカなの。こんな顔見知りしか居ない田舎で、学生じゃないのに高校の制服着て出歩いてたら、完全に変人扱いよ。すぐに役場の人が心配して、家に飛んでくるわ!」

 思わず閉口する俺。なるほど、ごもっともです。自分でも女子高生って設定しておいて、だよね。すみません。

 ただね、納得できなかったんですよ。だって、あなたは神使なのですよ。そうなると、避けて通れない問題が発生するでしょう。

「そうだよね。えっと、ゴメン……でも、学校に通っているってことは、その……人間になる前までの経歴とか、今の住民票なんかの証明書とかは……どうしたのかな……ってさ」

 俺の優しく曖昧な問い掛けに、目をしばたたかせた猫娘。一拍置いて、咳ばらいをした。

「……あー、それか……あたしには、良く分かんないなー……その夫婦のこと、おじさんとおばさんって呼んでるんだけど……あたしのことは、身寄のない親戚の子供を引き取ったってことになってるの……証明書? ……いや、どうなんだろうなぁ……はてさて……」

 苦虫を噛み潰した表情で、しどろもどろになった。

 どうやら、触れてはいけない部分らしい。日本といえども、表の世界ばかりではない。証明書の一つや二つ、どうとでもなるのかもしれない。

 今の暮らしを手に入れるまでには、それなりの苦労もあっただろうと想像できる。この娘の生活を壊すつもりなどさらさらない。

「……そうか、分かった。いいよ、なんでもないから」

 なんでもなくはないのだが、言葉を濁してその話は終わらせた。

 もしかしたら、この世の中にはこんな感じで、神使がゴロゴロ居るのではないだろうか……

 すると、猫娘が制服のポケットから携帯を取り出した。

 ホーム画面に目を落す。時間を気にしている。その手慣れた仕草から、本当に女子高生してるんだなと妙に納得した。

「あー、もういいかな?」

「……ああ、うん。いろいろとありがとう」

 これ以上引き留めるのも悪いので、話はそれまでとした。

 まあ、あんな話を聞いてしまったあとだから、どうしたら神使は元に戻るのか、なんてことは言えるはずもなかった。まして、この娘がその答えを知っているとは思えない。


 テーブルのあと片付けは俺の役目。自販機の横にあったダストボックスに空き缶を放ってから、遅れて外に出た。

 駐車場の片隅。梛乃がすのりとかおれを連れて待っていた。猫娘も隣に居て彼女となにか話している。

 近付くと、猫娘は「じゃあね」と言って踵を返した。俺は軽く手を上げながら、梛乃の顔を覗き込んだ。

「なに、話してたの?」

「ん? ああ、これよ」

 と言って、携帯の画面を俺に見せる。連絡先に『穂香』の文字が追加されていた。

「ほのか?」

「……そうよ」

 腑に落ちた。さすが梛乃。

「助かるよ」

「治人も、訊いておきたかったんでしょ? 連絡先」

「まあね……」

 俺は頭を掻いた。

「そうよね。あの子の生活に干渉するのは気が引けるしね……まあ、こんな時こそ、私の出番ですから……なんだか、少し打ち解けた感じだったし、良かったわ」

「そうだね……うん、ありがとう」

 こいうところのフォローは頼りになる。それに連絡先を素直に教えてくれたのは、きっと梛乃の気持ちが伝わったからだと思う。

「そうか、穂香か……呼び捨てにしたら、怒るかな?」

「怒るわね。猫パンチが飛んでくるかもよ」

 彼女はそう言って微笑む。

 結局のところ、白山水迎神社についての情報は得られなかった。猫娘も「弓糸呂の白山さまは、結構偉い神さまだよ」と言うだけ。ちなみに、この土地の氏神さまも、白山さまを祀った神社だそうだ。

 この辺りは、それだけ白山信仰と深いつながりがある土地だと知った。

「まあ、話が訊けて良かったじゃない」

 俺の微妙な表情を察したのか、口角を上げてみせる梛乃。

「そうだね……あっ」

「どうしたの?」

「あの子がすのりとかおれのこと、凄い神使みたいに言っていたけど。それが、どういうことなのか訊きそびれた」

「ああ、それ……別にいいんじゃない、どんな神使であっても。すのりとかおれは、すのりとかおれだよ」

 梛乃はニヤリと笑って続ける。

「なんといっても、こんなに可愛いんだから許す!」

 彼女にとって、すのりとかおれの正体がなんであろうと関係ないようだ。その器の大きさは俺の惚れるところでもある。

 梛乃はついでとばかり、すのりとかおれを捕まえて、これでもかと抱擁する。撫で方の勘所もマスターしたらしく、抵抗しつつも悶える少女が二人……外では遠慮してもらいたい行為である。

 それから、もう一つ訊きそびれたことがある。いや、確認し損なったことがある。

 それは、すのりとかおれの犬歯のような、どこかに残っているかもしれない元来の身体的特徴ってやつだ。猫娘はどうなのか気になる……もちろん、単なる興味本位だ。

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