第13話 ねこ その2
俺はこの状況に少々困惑していた。
制服姿の女子が、雪の残る河原の土手に独りで立っている理由が分からない。視覚の違和感は、そこに起因するものだ。
なぜなら、土手といっても歩きやすい道があるわけではない。目的無しに来る所ではないはずだ。
いや、待てよ。俺と同じで、川を見てライズを探している? ……もしかして、女子高生フライマン? いや、フライガール?(それは違う感じがする)……だったら嬉しいが、その可能性は無いと知っている。
無理に言葉を交わす必要もないと考え、意識的にやり過ごす間を置いたのだが、女子高生は立ち尽くしたままだ。それどころか、ずっとこちらを見ている。
冬服と思われるセーラー服。羽織ったグレーのカーディガンの胸元にかかる
定番の黒タイツにかかるスカートは、少し長めでひざ下くらい。そのほどよい裾丈と、ストレートロングの黒髪は清楚な感じを受ける。。
顔立ちは鼻も高く美人といえよう。目尻のほくろが印象的で、口元にも品がある。地域性から、この辺りでは名の知れた豪農のお嬢様かも、などと連想してしまう。
とにかく、気まずいことこの上ないので、俺からこの場を離れることにした。
しかし、踵を返した途端、女子高生が口を開く。
「あの……」
「――はい!?」
不意を突かれて声が裏返っていた。慌てて振り返る。またしても恥ずかしい反応を見せてしまったが、ここは大人の男として冷静を装う。
咳払いを一つ。
「えっと……なにか?」
「はい。あの、釣りをされるのですか?」
ゆっくりとした口調。温和な性格とみた。
とはいえ、釣り師ですかと訊かれているのか、はたまたこれから釣りをするのですかと訊かれているのか。
「いや……あ、はい」
明確ではない質問に、思わず曖昧な返答をしてしまった。普通の会話であったことに、なぜかほっとする。
「――あ、すみません。私の父が、この辺りに釣りに来ているはずで……それで、もうすぐお昼になるので、呼びに来たのですが……いえ、その。父が携帯を家に置き忘れて出て行ってしまって……私の家は、すぐそこで……ここに居ないかなと思って……」
俺は訝しむような表情をしたつもりはないが、女子高生は必死に説明した。
その言葉はたどたどしく取り留めもない。美人なのにどこか天然っぽくって、人柄がにじみ出ている感じがした。ローカル娘独特の素朴な佇まいと相まって、手助けをしたい衝動に駆られる。
まずは、理解できたことを要約して返答する。
「えっと。釣りに出掛けたお父さんを探しているのですね?」
「あ、はい! そうです」
意図を理解してもらえたことが嬉しかったのだろう。その顔が、ぱあっと明るくなった。当然、俺の表情も緩む。数歩近付いて会話を続けた。
「ごめん。えっと、釣りはするんだけど、今は川の様子を見ていただけなんだ。でも、それらしい人は見なかったよ」
「そうですか……突然、声を掛けてしまって、ごめんなさい」
「あ。いや、いいよ……でも、どこだろうね、お父さん……」
俺はもう一度、キョロキョロと視線を川沿いに走らせてから、女子高生を見遣った。
「やっぱり、この辺りではないみたいだね」
「う~ん、そうですね」
人差し指を唇に当てた女子高性。僅かに考える仕草をして顔を上げた。
「多分、もう暫くしたら帰って来ると思うので、家で待つことにします」
俺は笑顔で返した。
「そうだね。それじゃ――」
「今日は、釣りをされないのですか?」
会話を終わらせるつもりが、向こうから話をつながれる。
予想外だったが悪い気はしなかった。思ったより人懐っこい子なのかもしれない。世間話なら多少付き合うか、と踏み出しそうになった足を止める。
「……うん。移動の途中で、道の駅に寄っただけだから」
「そうなのですね、どこへ行かれるのですか? ……あ、すみません。余計なこと訊いてしまって……」
言葉遣いも丁寧だし気配りもできて、なんだか凄く印象がいい子だ。どこぞの黒髪神使に見習わせたいものだ。
「いいよ、別に。弓糸呂にちょっと用事があってね」
「ああ、弓糸呂ですか……でも、向うはここより雪深いですよ。今年の積雪も多いと聞いています」
「そうですか……」
「ええ。父が仕事でよく行くので」
「へえ、お仕事で」
「あ、でも。どこだか通行止めになっているとも、言っていましたよ」
「えっ? 本当ですか……まいったな、通行止めか……それって、どこだろう」
これは、偶然にしては良い情報が得られたかも。
「そうですよね……その……弓糸呂のどこへ行かれるのですか?」
「えっとね――」
突如、視界に飛び込んだ黒い影。
なんだ!?
俺と女子高生の間で黒髪が揺れていた。すぐに、それがよく知るショートボブの後姿であることに気付く。俺は目をしばたたかせた。
「す、すのり!?」
音も無く一瞬にして現れたみたいだった。
すのりが俺に背を向けて女子高生と対峙している。腰に両手を置き、やや小首を傾げて相手を見据えている様子。
「……どうした?」
動揺する俺。その行動を理解できるはずもなく、ふと見れば、傍らにかおれの姿もあるではないか……お前もいつの間に……しかも、女子高生に向かって半眼で睨みを利かせている。
二人とも、いつもと様子が違う。なにが起こった?
すのりが振り向く。その鋭い眼差しに、俺は固唾を飲む。今まで見せたことのない野性味溢れる表情。そして、顎をしゃくってみせる。
「治人、気を付けて……こいつ、人じゃないわよ」
「えっ!?」
すのりとかおれの乱入に、二三歩たじろいだ女子高生。あんなに和んでいた顔付きに変化が生じていた。片眉を吊り上げ、一拍置いて鼻を鳴らした。
「えー。こいつ呼ばわりは酷くない。人じゃないのは、お互い様よね……あんたたちは、犬でしょ?」
「そういうあなたは、猫よね」
女子高生とすのり冷淡なやり取りを前に、俺は愕然とした。
……ねこ? 猫なの? いや、それ以上にショックなのはその口調ですよ、女子高生。先ほどとは、別人になってますよ。
素朴で清楚な少女が、いきなり都会のJK感出したらダメでしょう。勝手に妄想していたのは俺なのだけど。
すのりは完全に臨戦態勢となっている。言葉を失っていた俺だが、遅ればせながらこの状況を理解した。
「……この子は、神使なのか?」
「そうよ」
すのりは頷く。そして、一歩前へ出ながら相手に訪ねる。
「それで……なんの用かしら?」
猫の神使だと思われる女子高生は、すのりに合わせるようにして、更に一歩下がった。そして身構える。
すのりとかおれもそうだが、どう見ても人間だよな……ふと、合点する。じゃあ、リアル猫娘ということじゃないか。これは、なかなかどうして凄いキャラの登場じゃないか……いやいや、今そこに感心している場合じゃない。
「それは、こっちの台詞。あんたたちこそ、なにしに来たの? 二人も神使を連れて弓糸呂に行こうだなんて……この辺りをウロウロされるのは嫌なんだけど」
そうか。類は友を呼んで、鴨じゃなく猫がネギを背負ってやって来たということなのだ。聞きたかったのは、そういう会話だ。
ならば、ここは冷静に対処することにしよう。神使の情報は喉から手が出るほど欲しいのだ。俺たちよりはいろいろ知っている様子だ。神使間の争いがどんなものなのか知らないが、ここは穏便にいきたい。
俺は問答無用で飛び掛かりそうな、すのりの肩に手を置いた。傍らのかおれにも手をかざす。二人はその意味を理解したようだ。もちろん、「待て」だ。
それで、梛乃は……肩越しに振り向くと、少し離れた土手の下から不安そうにこちらを見ていた。視線を送り、「大丈夫」だと大きく頷く。
さて、この女子高生が猫の神使だとすると、その思惑が気になるところ。察するに、父親捜しは会話の口実か。通行止めの話も嘘っぽい。この状況からみて、単に探りを入れてきたとみるべきか。なんのためかは、分からないが。
実は、この二週間で得た情報は皆無。というのも、すのりとかおれのお世話だけで、手一杯だったというのが正直なところなのだ。
ここは、素直に訊いてみるとするか。
「……えっと。どういうこと?」
「はあ? どういうことって……なにが?」
猫娘は無粋な表情のまま、鼻息を荒くした。
「どうして、俺に接触してきたの?」
「あん? 他の神使がやって来たら、気にするのは当然でしょ……」
当然なのか、なるほど……それにしても、ここに俺たちが来たことがどうして分かったのだろう。神使同士はなにか引き合うものがあるということなのか。
「他の神使が来たら、なにか困ることでもあるのか?」
と、俺は訊いた。
「それは、場合によるんじゃない」
本当に単なる様子見で来たらしい。
「なるほどな……」
感心している俺の顔を見て、目を細めた猫娘。
「ああ……」
と、なにか納得したように頷く。続けて含み笑い。
「そういうこと……二人はなりたての神使ちゃんか」
「そうだが」
「なにも知らないで、よその土地に来てウロウロしてる」
「……そうなるな」
俺が素直に答えると、猫娘は目を丸くし鼻を鳴らして笑った。
「ほんと、ウケるわ……能天気な御一行様ね……しかも、そんな神使連れて、はた迷惑もいいとこだわ」
おいおい、俺たちはなにかとんでもない間違いを冒しているのか。いや、それにしてもその態度は失礼ってものだろう。もう少し素人には優しくしてほしいものだ。先ほどまでの穏やかな女子は、どこに行ってしまったのですか。
ふと見ると、すのりの肩が微かに震えていた。ストレートに癇に障ったらしい。横顔から見える口角の隙間から、可愛い犬歯が覗いていた。当然、そうなるわな。元々猫との相性は悪いしね。
「なんか、ムカつくわね。治人、この女やっちゃっていいかな?」
「――え?」
いきなりで驚きますよ、すのりさん。いきり立つのは分かりますが、やっちゃうなんて言葉。可愛い女の子が使ってはいけませんよ。
それに、挑発に乗ってきたらどうするんですか。猫パンチとか繰り出してくるかもしれませんよ……って、あれ?
猫娘を見遣ると、その表情が一変していた。急に頬を強張らせている。様子がおかしい。
「……いや、ちょと待ってよ……二対一は卑怯じゃない」
「先にちょっかい掛けてきたのは、そっちよね」
と、すのりが返す。
「な、なによ。こ、こんな地方の氏神の神使を相手に、
理屈をこねているが、完全に腰が引けていた。
「だから?」
すのりの肩がピクピクと脈打つ。体に毛があったなら、逆立っているのだろう。それくらい、お怒りのご様子。
「だから、あんたたちみたいなのを相手に、太刀打ちできるわけないって言ってんじゃん。ちょっと笑っただけじゃない。それくらい、流しなさいよ」
勝手過ぎるロジック。ある意味たいしたものだ。
振り返ったすのりが、ニヤリと笑う。
「治人。やっぱりこいつ、殴っていい?」
いやダメですよ。気持ちは分かるけど、ここは穏便に。
途端に青ざめた猫娘。
「ま、待って、待って……落ち着いて……そういうつもりじゃなかったのよ……ゴメン、ゴメン。笑ったのは謝るから……ね? ね?」
じゃあ、どういうつもりだったのかと訊いてみたい。
しかし、腹の虫がおさまらないすのりが、にじり出そうになると、猫娘は素早く腰を九十度の角度に折った。長い黒髪が地面の雪に向かって垂れ下がる。
「すみませんでした! ゴメンなさい! 許して下さい!」
最後はあっけなく白旗が揚がった。
なんだか分からんが、なにかの決着がついたようだ。
それにしても、猫娘は本気ですのりとかおれを怖がっているみたいだ。見た目はうちの神使たちよりも背が高いし、そこまで怯える必要があるのかと感じる。
神使同士にしか分からない、レベルみたいなものがあるのかもしれない。そういえば、繁殖場のおじさんが、すのりとかおれを由緒ある血筋だとかなんとか言っていたような……なにか関係があるのかも。
とりあえず、猫娘は争うことを望んでいるわけではないようだ。力ずくだがマウントが取れたみたいなので、次は交渉してみることにした。
「分かった。このことは水に流そう……で、その代わりといってはなんだけど、少し話を聞かせてくれないか……神使について」
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