第12話 ねこ その1

 天気は予報通りの青天。岐阜県に入っても路面に雪は無かった。こんな日は高速道路を使わず、長良川沿いの国道を走ると気持ちがいい。

 木曽川だ、長良川だと言っているが、東海圏では誰もが聞き慣れた川の名である。揖斐いび川を加えると木曽三川と呼ばれ、濃尾平野を流れ太平洋に注ぎ込む国内有数の大河川。愛知に住む渓流釣り師としては、最もポピュラーな釣行先でもある。

 俺がこよなく愛するフライフィッシングも同様で、「今日は木曽川水系を攻めてみるか!」といった具合に、上流域を目指して毎度車を走らせるのである。


 後部座席のすのりが、先ほどからそわそわしていた。どうも、窓越しに見える長良川の流れが気になるらしい。

「……ねえ、今日は川遊びできないの?」

 ぽつりと言う。なるほど、そうきたか。

 すのりは川と見ればすぐに飛び込みたがる。もちろん柴犬の時の話だが、その嗜好は人間になっても変わらないようだ。自然にテンションが上がっている。それなのに、風呂嫌いとはおかしなものだ。

 助手席で梛乃が眉根を寄せる。

「凍えて死んじゃうわよ。もう柴犬の時のもふもふした毛も無いんだから……それに、こんな季節に川に入る人は、ただの変態よね」

 そう言って、俺の顔を見遣る。

 いやいや、確かに凍えるような冷たい水かもしれませんが、ほら川沿いには普通に釣りをされている方々がいらっしゃいますよ。梛乃さん、俺はともかく彼らに謝りなさい。

 なんだろう。すのりとかおれが神使になってから、彼女の釣り師への、もとい、俺に対する風当たりが強い気がする。いや、それはいつも通りで、ご褒美のはずなのだが……最近、ただの悪口に聞こえるのはなぜだろう。

 考えるに、本来は梛乃とのイチャイチャがあってこそ、成立しているやり取りなのである。それがこのところ、神使たちに掛かり切りで彼女との時間が減っているのだ。ツンに対してデレが不足し、バランスが崩れている。

 初めての子供に妻を取られてねている夫に近い心理かもしれない。いや、神使は子供ではない……どうにかして、以前のような状況を取り戻さなければ。これは大変由々しき事態である。

「……どうしたの? 難しい顔して」

 俺の顔色から悟ったのか、梛乃が長い髪を揺らして小首を傾げる。見透かされたか。いやいや、そんな手のひら返しの可愛い顔をしても、俺の不満は解消されないぞ。

 しかし、助手席からセンターコンソールを越えて身を乗り出す彼女。俺の左腕を捕まえて、自分の腕を絡める。じわりと伝わる温もり。それに、ちょっと不安そうな顔で見つめてくる。それは反則だ。

「いや、なんでもない……」

「そう、よかった」

 梛乃は目尻に皺をつくって笑う。なし崩し的に、モヤモヤが解消されていくのが分かる。うーん、惚れている女には勝てないってことか。俺ってちょろい。


 四人を乗せた車は順調に岐阜を北上していた。

 俺はバックミラー越しに後部座席へ視線を移す。ずっと川にご執心のすのり。そして隣には、ぐっすりおやすみ中のかおれの姿があった。二人の首にはチョーカーが巻かれている。

 なんでも、首輪を付けてくれと梛乃にせがんできたそうだ。それは心情的、倫理的にできないと説明したが、首輪が無いと心もとない感じがするのだそうだ。

 確かに、ずっと馴染んできた着衣みたいなものだから、そう感じるのかもしれない。人間で言えばパンツを履かないようなもの……ではないのかもしれないが、代わりにということでチョーカーとなった。二人はそれで満足している様子だ。

 すのりは黒のリボン、かおれはピンクのリボン。それぞれ中央に小さな金細工の飾りがぶら下がっている。すのりは黒のスペード、かおれはピンクのハート。良く似合っている。可愛さ倍増といったところだ。繰り返すが、俺の趣味ではない。梛乃が選んだのだ。

 ちなみにスペードは剣、ハートは愛の意味を持つ。なるほど、二人の性格を的確に表すデザインのような気がする。無頓着には選んでいないはずで、梛乃のセンスに感心する。

「そろそろ、休憩しない?」

 道の駅を案内する道路標識が目に入ったのと同時に、梛乃から声が掛かる。

「……了解」

 俺はリクエストに応えてハンドルを切る。

 水の都と呼ばれる郡上八幡ぐじょうはちまんの街並みを通り過ぎ、白鳥町まで来ていた。標高も随分と高い。途中、道路の端に残る雪が目に付くようになっている。弓糸呂町はこの先の峠を越えた向うにあるので、休憩には良いタイミングだった。

 道の駅の駐車場に停めて車を降りると、冷気が体にまとわり付く。太陽の日差しがあっても、やはり愛知とは気候が違っている。

 すのりとかおれにライトダウンジャケットを羽織らせる。すのりは光沢のあるグレー、かおれは淡いピンク。それをセレクトした梛乃も白のダウンパーカーに袖を通す。

 俺はいつものソフトシェルジャケットを着ている。薄手だが、ほどよい保温性がある。着たり脱いだりが面倒な俺にとっては、使い勝手が良いウエアである。

「うわ、寒い……」

 吐く息の白さが長く続くことに目を丸くする梛乃。だが、神使たちは違う反応を示していた。それは、駐車場の隅にある大きな雪山。車の屋根よりも高さがある。除雪によりかき集められたもののようだ。

「雪よ!」「雪ね!」

 声を上げたすのりとかおれが、一目散に走り出す。

「――おい、まっ……」

 俺の制止を求める言葉は間に合わなかった。そもそも、聞く気もないのだろうが。

 雪山に勢いよく駆け上がった二人。笑顔が溢れ出す。そう、柴犬は雪が大好きだ。「犬は喜び、庭かけまわり~」である。童謡「雪やこんこ」の呪縛は人間の姿になっても逃れられないらしい。

 雪を手に取り、暫くはその感触に浸っていたすのりとかおれだが、次にどこで覚えたのか雪合戦を始めた。

「あらら……」

 様子を見ていた梛乃も少し呆れ顔。吐息を交えながら俺を見遣る。

「で? やっぱり、どんな設定なの? これ」

 またそこに戻しますか、梛乃さん。俺は苦笑する。

「いや。設定できるなら、こうはなってないよ」

「……確かに」

 この二週間で、神使たちはかなり成長した。身体的なものではない。足りない習慣を身に付け、それらしい振舞いができるようになったということだ。

 まあ、未だに不安な部分もあるが、一人にしなければ問題無い感じになってきている。

「ねえ、今度は穴を掘り始めたわよ。なんていうか、本領発揮ってところかしら」

 梛乃が俺の腕を掴む。「ご主人、なんとかしたら?」と言いたげな顔。

 小学生のように無邪気に遊ぶ少女たち。すのりはもとより、かおれも意外と子供っぽい部分があるのだなと気付く。

 まあ、普通の人間の少女でも、あのくらいの年齢なら、遊び盛りであるのは同じだろう。いや、遊びが違うか……

 さて、このまま放っておいたら服が濡れてしまう。もう十分だろうと思い声を張る。

「おーい。二人とも、戻っておいで~」

 反応がない。

 聞こえているが、きっと知らんぷりをしているのだ。柴犬あるあるだ。楽しいことをしている時は、なに食わぬ顔で飼い主にそっぽを向く。憎らしくもあり、可愛くもある特性なのである。

 この展開に、梛乃が動いた。

「私に任せて」

 梛乃は二人のもとに歩み寄ると、なにやら話し掛けていた。すると、回れ右をした彼女の後ろに付いて、素直に戻って来るではないか。なにをしたんだ? 犬笛でも吹いたのか。

「……あん?」

 俺の横を素通りする三人。そのまま、道の駅の建物に向かって行った。

 その先にあるのは、駐車場に面したフードスタンドの窓口。横には『みたらし団子』と書かれたのぼり旗。

「なるほど、エサで釣ったか……」


 今はウインタースポーツシーズン真っ盛り。この辺りにも多くのゲレンデがある。朝夕ともなればスキースノボ客で混雑しがちな道の駅だが、日中は意外に閑散としている。三人の買い食いを横目に、俺は道の駅の裏手へと足を向けた。

 すぐ横には長良川が流れている。フライマンとしては、川があったらチェックせずにはいられない。川への執着度合は、すのりの比ではないのだ。

 雪が残る低い土手を滑らないように慎重に登る。微かに聞こえていた川の音が段々大きくなった。視界が開け、川を見下ろす。その瞬間、幾重にも交わる水の音が体を通り抜ける。背筋がゾクゾクっとした。

 分かっちゃいるが、今ロッドを握っていないことが悔やまれて仕方ない。もちろん、梛乃がいう変態の領域に入っていることは自覚している。けれど、これが性というものだ。

「どれどれ、釣り師は居るかな……」

 土手の上から見渡すも、それらしき姿はなかった。手前に開けた河原があり、大きな石が点在する比較的川幅の広い渓相だった。悪い流れではない。まあ、解禁したばかりだし、ここ辺りのハイシーズンはまだまだ先のはずだ。

 とはいえ、流れの中に無意識にライズを探してしまうのは、フライマンの持病である。目を凝らして見るも、ライズは見付けられなかった。

「やっぱり、まだ早いかな――」

 次の一瞬、俺は固まった。

「ひょっ!」

 続いて頓狂な悲鳴も一発。

 川に気を取られていたからだろう。視界の端に存在する人影に、今のいままで気付かなかったのだ。取り乱した恥ずかしさを取り繕いながら、視線を向ける。

 それは女の子だった。ただ、そう認識してからも、視覚に違和感があった。焦った俺の口が小さく呟いていた。

「えっと……なに?」

 よく見れば学生だった。そう判断できたのは、制服を着ていたからだ。

 セーラー服だが、この辺りの学校の制服に詳しいはずもなく……詳しかったら、怖いが……と、それはおいといて、少し大人びた容姿から女子高生であると判断した。

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