第11話 おつかい
「
俺は眉間に皺を寄せた。衝撃の告白に続いて、かおれの口から出てきたのは、どこかの神社の名前だった。
「そうです。そこへ、私たちと一緒に行って下さい」
「行く? ……それで?」
「それだけです」
「へっ? ……それだけ?」
俺は目が点になった。梛乃も同じ顔をしている。
「それだけなの、私たちに託されたことは。行けば分かるわ、多分。まあ、お使いみたいなものよ……きっと」
すのりがさもありなんとした顔で補足するが、適当な感じが拭えない。俺は当然の疑問を返す。
「お使いって……ちょっと待て、託されたって……誰から?」
「水神さまよ」
確かに。でも、そうじゃないし、こちらの疑問も合わせてすのりに訊き返す。
「水神さまって? ……もしかして、オオサンショウウオのこと?」
小首を傾げるすのり。
「なにそれ? 水神さまは、水神さまに決まってるじゃない」
「……」
いや、人間界でそれは通用しないのですよ。あれ、オオサンショウウオは関係ないのか。
「私たちを遣わしたのは、
と、横からかおれ。そう、それが聞きたかった。でも、その木曽って、あのきそだよな。
「つまり、木曽川の水神ってことか?」
「はい」
「それで、木曽川の水神さまって? ……どういうものなんだ?」
小首を傾げるかおれ。
「木曽の水神さまは、木曽の水神さまですよ」
「……」
いやいや。半眼になる俺。なるほど、二人揃ってそうなるのか。だが、この子たちの存在を構成しているロジックが、少しだが見えてきた気がする。
「よし、面倒なので、まとめるぞ。今話したこと以外に、君たちが知っていることがあったら教えてくれ!」
「ないわよ」「ないです」
「……」
俺は咳払いを一つ。
つまり、そうなのだ。この子たちは多くのことを知らない。最低限の情報だけで、人間界に放たれたということらしい。木曽の水神さまとやらが、どんな神さまかは知らないが、相当な無責任さを感じるのは俺だけだろうか。
「神使っていうのは、神さまから遣わされたもののこと。要は
口をつぐんでいた梛乃が、この時に合わせたかのように口を開いた。
「この子たちを遣わしたのが木曽の水神なら、川に宿る八百万の神の一つってところかな。やっぱり、神道の話になってきてるわね……」
彼女の親類は神社の神職を代々継いでいる。その本家とやらは、社家とかなんとか言うらしい。それもあって、神だのなんだのについての知識は少なからず持っている。ここからは梛乃の出番ということだ。
「神道は日本人が心の拠り所として、長い歴史の中で築き上げてきたもの。それは全国に根付き、現代においても変わらず生活の一部としている土地もあるわ」
俺は神妙な面持ちで聞き入る。
「それこそ、各地には様々な神話が残っていて、動物が人間の姿になって現れるなんてのもあるの」
なるほど。ここから彼女の謎解きが始まって、この不可解な現象の解明に向かって進むのだな。俺は期待を込めながら、相槌を打つ。
「まさに、これがそうね。だけど……」
「……だけど?」
「それは、神話というか、昔話なわけで……」
「……わけで?」
「現実になるなんてことは……」
「ことは?」
「ありえない」
「……ありえない?」
「つまり、お手上げってことですね」
声のトーンを下げ、首をすぼめる梛乃。軽い吐息も一つ。
「……」
それなりに引っ張っておいて、大したものですよ梛乃さん。可愛く苦笑して見せた顔は最高だが、唯一の望みを失ってしまった瞬間でもあった。
さて、このまま奇々怪々な世界に突入してしまうのだろうか。たまらず唸る俺。
前にも言ったが、俺は意外と信心深い。だから、この手の内容はどちらかというと苦手だ。万物に対して畏敬の念を持っているからこそ、その領域に普通の人間が立ち入ってはいけないと思っているからだ……いや、もう遅いのかもしれないが。
「――食べてもいい?」
振り向くと。すのりが茶碗と箸を持ち上げていた。かおれも俺を凝視している。不意に言われ、少し戸惑いながら返す。
「え? あ、いいよ。食べて……」
再びお箸を動かし始めるすのりとかおれ。それを見ながら考えた。
二人に箸を止めろとは言ってない。そう指示したつもりもない。だが、すのりとかおれなりに判断し、待機状態となっていたわけだ。最初に散歩をせがんだ時もそうだった。
柴犬から神使とやらになってしまってはいるが、結局のところ俺や梛乃を飼い主として認識しているということだ。そこには忠誠心みたいなものを感じる。見た目は変わっても、つながりは変わらないということか。
食事は再開したが、俺はそれ以上なにも喉を通らなかった。梛乃も同じだった。まあ、そういう気分だ。
しかし、すのりとかおれは違った。あれよあれよという間に、大皿の五目煮をきれいに平らげて、ごちそうさまとなった。育ち盛りの少女、いや、神使の食欲恐るべし……本当、どういう設定なんだよこれ。
「梛乃。二人に歯磨きを教えてやってくれないか。替えの新しい歯ブラシあったよね」
俺の思い付きに、梛乃が立ち上がる。
「まあ、それもしとかないとね……了解」
この流れからして、すぐに二人が柴犬に戻る感じはしない。日常生活において、必要な習慣を学ばせなければならない……なにが足りないかも、分かっていないのだが……じっと俺を見つめる神使たち。
「うん。歯磨きは、知らないみたいだな」
梛乃先生による歯磨き指導の間、俺は食事の後片付けをしながら思考を巡らす。
途中、軽く「白山水迎神社」をネット検索してもみた。岐阜県の
その川は東海圏のフライマンなら、誰もがよく知る川と言っていい。愛知からは長良川沿いに北上し、
もちろん、釣り場としても魅力がある。豊な川の流れと、そこに棲む美しい渓魚たち。ホームリバーとして通い詰めているフライマンも少なくない。
日本三霊山の一つである白山を望める場所にあり、弓糸呂川自体も白山を水源としている。古くから白山信仰と関わりが深く、霊験あらたかな土地柄でもある。
その神社は釣行の際に寄ってみたことがある。周囲に広がる森は深く、
一層、宗教色が濃くなってきた感じだ。畏れ多いことに関わることが避けられない様相となってきている。できれば、
「――治人! 来て、来て!」
梛乃の高揚した呼び声。なにごとかと、洗面所に駆け付けた。すると、すのりとかおれが俺に向かって口を大きく開けていた。梛乃にそうしろと言われたのだろう。
「……おお!」
それを見て、俺は感嘆した。八重歯……いや違う。犬歯と呼ぶには可愛過ぎるが、いっちょまえに主張している犬歯が生えていた。二人顔を並べて歯を見せる仕草は、かなり愛らしい。
「犬っぽいよね?」
梛乃が嬉しそうに言った。
「そうだね……なるほど、微かに残る身体的特徴ってやつだな」
口には出さなかったが、これは琴線に触れた。世間では萌えると言うやつかも。ついでに、すのりとかおれのお尻の辺りを確認する。
「なあ、やっぱりシッポは無いよな? 風呂で見たよね?」
「なに想像してるのよ、無いわよ。けもの耳も無いでしょ」
梛乃は半眼になりながらも、自分の頭の上に両手を置いてけもの耳を模して見せた。うん、その反応は高評価。ごちそうさまです。
「はは、そうだね……でも、噛まれたら、ちょっと痛そう」
「……確かに、そうね」
梛乃は、少し渋い顔で顎を引いた。
「噛まないわよ」「噛みません」
間髪入れず、すのりとかおれが鼻息荒く言う。二人の息はピッタリ。そして、とても人間になったばかりとは思えない機敏な返し。
すると、梛乃がニヤリと笑う。
「よし! じゃあ、私が噛んじゃう、ガオー!」
突如として盛り上がってしまった様子。梛乃がすのりとかおれの首に腕を回し、じゃれて抱き付く。
「ちょっと、やめてよ梛乃」
顔を背けるすのり。
「やめない。その綺麗な首を噛んじゃろか――がぷっ!」
「きゃっ!」
次の獲物はかおれ。
「くすぐったいです。やめてっ……梛乃さん」
「イヤだ。そのカワイイ耳も噛んじゃる――はむっ! 」
「あんっ!」
続く梛乃のお戯れを前に、俺は鼻から息を吐き苦笑する。
魑魅魍魎。すのりとかおれが、まさにそうなのだろう。できれば避けたいと言ったが、この光景には不安要素がまったく無い。はっきりって、幸せそのものではないか。どんな姿になっても、すのりとかおれに変わりはないのだ。
そう考えると、この先なんとでもなるように思えてきた。人間前向きであることが大切だ。鼓舞する気持ちが高まり、俺は鼻息を荒くした。
「よし。じゃあ、弓糸呂までお使いに行くとするか!」
驚いたのは梛乃。すのりとかおれを抱えたまま、小首を傾げる。
「……なに? 急にどうしたの?」
おれは三人に胸を張ってみせた。決意の表れである。
無論、この意気込みの発端が、女子の絡み合う姿に興奮し、後押しされたものではないと断言しておく。
とまあ、宣言してはみたものの、明日は月曜日である。映画やドラマなら、すぐに行動に移す場面ではあるが、そうはならない。
なぜなら、俺は会社員だからである。サラリーマンの平日は会社で務めに励むのが基本。給料をもらっているプロなのだ。ちっぽけではあるが、仕事に対する誇りもある。梛乃も同じた。
そのお使いとやらが、世界の運命を握っているのならともかく、意味不明なミッションである。しかも、期限は定められていない。
仕事に例えるならば、時間的制約の無い業務である。この場合、現状に実害がなければ、スケージュールは自ら決めてもよいのが常だ。至って本気である。
それに、厄介事の匂いがプンプンするのに、なんの準備もしないまま飛び込むのは愚かである。すのりとかおれだって、人間になったばかり。もう少し社会というものを学ばせてからの方が、いざという時の立ち回りもよくなるはずだ。
そんな、考えもあり。二週間ほど待ってから、お使いとやらに出掛けることになった。日にちを置いたのは、弓糸呂が雪深いところでもあるからだ。天気の様子を窺っていたこともある。現地で吹雪にでも見舞われたら、なにかと面倒な気がしたからだ。
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