第10話 しんし その2
「なんだかね……」
梛乃がぽつりと発していた。
居間の座卓に並んだ五目煮とお味噌汁。梛乃があり合わせて作ったものだが、それをご飯と一緒に口へと運ぶすのりとかおれ。美味しそうに頬張っている。食事に夢中になるのは柴犬の時と同じ。
それを眺めながら、梛乃は不思議そうに小首を傾げる。
「ちゃんと、お箸は使えるのね。二人とも」
「うん、そうだな」
「二人のことは、なんとなくでも納得したから、今更どうこう言うつもりはないけど。やっぱり、なんかこう……しっくりこないというか、ねえ?」
「確かにな」
共感しているのに、あえて彼女は俺を見遣る。
「Tシャツだけで散歩に行こうとしたりして、右も左もわからない感じなのに、ちゃんと会話もできてお箸も器用に使えるなんて……しかも、お行儀よく正座しているし……なにかしら、これ?」
「いや、なにって……俺に訊かれもなあ」
梛乃は腕を組んで詰め寄る。
「なんだか、あまりにも適当じゃない? 二人の性格だって、作られ過ぎだし? これって、あれかな……治人の思考に合わせた設定とか?」
「おいおい、なんの設定だよ。しかも、俺? 言っておくが、こんな少女趣味は持ち合わせていない」
「ふーん。じゃあ、どんなのが趣味なのよ」
「……いや、今それ関係ないよね」
だが、梛乃は含みをもたせて目を細める。いやいや、俺はなにも悪いことしてないでしょう。と、心の中で訴える。
まあ、確かに言っていることはもっともだ。だが、そもそも柴犬が人間になるなんてところでぶっ飛んでいるわけだし、自然の摂理の根幹と物理的なすべての法則を無視しているのだから、深く考えることに意味は無いと思われる。
それより今、重きを置くべきなのは、この現象が意味するところであり、これからどうするかということだ。
黙々と食事を続けるすのりとかおれ。梛乃の言う通り、お行儀は非常によろしい。柴犬が人間になったということなのだが、どことなくお人形さんのようでもある。
そして、やはり外見はとても可愛い。見ているだけで、なんとなく癒される感じもする。
なんというか、人間とは違う惹きつけるものを持っているような……もちろん、俺の趣味を具現化したものではない。
俺は座卓に頬杖をつきながら、ため息を吐いた。
「しかし、すのりとかおれは、なんで人間になっちゃったのかな……」
「きっと、治人がなにかやらかした、その罰なのよ」
梛乃は安穏とした口調で答えた。同情を含んだ軽いからかい。
「ああ、それな……」
同じく軽いノリで返すつもりだったが、俺の言葉はそこで途絶えた。
梛乃の発言は偶然か、それとも心のどこかに引っ掛かっていたからなのか。俺と彼女は同時に目を瞠った。朝からの大混乱が、二人の頭から昨日の出来事を忘却の彼方へと追いやっていた。
俺は喉を鳴らした。梛乃も頬を微かに引きつらせている。
「まさかな……」
「まさかね……」
誰かにその先の言葉を委ねたかった。そこが結びついたとは考えたくなかった。梛乃も同じらしい。そのまま、無言で見つめ合う二人。
「――あっ!」
突然の声に、俺はのけ反った。声の主はかおれだった。優等生キャラに似つかわしくない頓狂な声。
虚を突く絶妙のタイミング。皆の注目が、そんなに欲しかったのだろうか。
「どうした? かおれ」
なにごとか分からんが、俺はかおれに訊く。
すると、静かに箸を置くかおれ。お上品に口に手を当て、もぐもぐと残った五目煮をゆっくりと飲み込む。
そのへんのブレはないらしい。いたってマイペース。
「申しわけありません。言い忘れていたことがありました」
俺と梛乃はまたしても目を瞠った。
「……ああ、そうだったわね」
なんと、すのりまで。しかも、まるで他人事のような口ぶりで加わってきた。
「えっ? どういうこと?」
今度は梛乃が訊き返す。
すると、かおれは背筋を伸ばして俺と梛乃を見据えた。先ほどまでとは違う、かしこまった表情。すのりも同じようにこちらに体を向ける。
突如、食卓が緊張した空気に包まれる。更に喉を鳴らす俺。そんな視線を送られたら、身構えてしまうではないか。梛乃も固唾を飲んでいるぞ。
かおれが口を開く。
「私たちは
「……は?」
俺は目をしばたたかせたが、梛乃は口をつぐみ固まった。俺には分からない、なにかを理解した感じだ。
水神さまという言葉が意味するところは俺にも分かる。だが、「しんし」は聞き慣れない言葉だ。どんな漢字で書くのだろう。
それにしても、梛乃を押し黙らせるとはたいしたことのようだ。なんだろう、予期したわけではないが、まるで予想通りの展開。
とはいえ、そんなに悲観することでもないと思えた。すのりとかおれは、得体の知れないものから、正体を明らかにした不思議なものになったのだ。両者にどれほどの違いがあるのかは別として、この子たちの情報が少しだが得らたのでよしとしておこう。
ただ、すのりとかおれに、これだけは言っておく。
「そんな大事なこと、今まで忘れていたらダメだよね」
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