第9話 しんし その1

 梛乃が大量の荷物を抱えて帰ってきた。

「買って来たよ~」

「お、お帰り。ご苦労さま」

 居間に入って来た彼女だが、労をねぎらった俺に対して心外な態度。

「ただいま。すのりちゃん、かおれちゃん。留守の間、治人に変なことされなかった?」

「おい……」

 少女に興味は無い。こんな子たちを放っておけないから、俺が見守っていたというのに。なかなか梛乃の機嫌は改善されない。

 Tシャツ一枚のあられもない格好の少女たち。過剰ともいえる反応を示した梛乃は、二人に俺の部屋着にしているスウェットジャージを与えた。まあ、当然である。

 サイズが大きいので、袖と裾を幾重にも折り返している。ダボダボのジャージ姿の美少女というのも悪くはない……

 と、そんなことより、少女たちを観察していて思った事がある。

 普段、俺が仕事の時は、柴犬たちをこの家の中に放して出掛けていた。いつもそうしているだけあって、人間になってもお留守番は苦にならないようだ。すのりとかおれは、それぞれ適当な場所でゴロゴロしたり、窓から外を眺めて過ごしていた。

 ただ、かおれがあまり動かないのに対し、すのりは頻繁に家の中を歩き回っていた。その度に後をついて行くと、「なにもしないから、大丈夫よ」と言いながらも、いろんなところを触ろうとする。俺が注意すると鼻を鳴らし、また別のところへ。

 好奇心が旺盛なのだろう、確かに柴犬の時もすのりの方が躾に時間を掛けていたのは確かだ。なるほど人間になっても、二匹、いや二人の性格は変わらないということらしい。

「こっちに、おいで~」

 梛乃に手招きされて、集まるすのりとかおれ。意外と素直に従ってしまうのは犬の習性なのだろうか。うむ、犬か人間かの違いだけで、いつもと変わらない風景のように思えてきた。

「さあ、着替えるわよ」

 そう言って、彼女は半眼で冷ややかな視線を俺に向ける。

「あ、そこの鬼畜の人。寝室にこもってちょうだい」

「鬼畜って……」

 今回の件に関して、俺に非が無いことを一応は理解してくれた。だが、半裸の少女とリードでつながりながらも、その状況を放置して佇んでいたことは許せないらしい。ご立腹中なのである。

「柴犬の時も可愛かったけど、人になったらなったで、こんなにも可愛いのね……もう、抱きしめちゃう!」

 すのりとかおれのことを受け入れた途端、なにかしらツボにはまったらしく、ずっとテンションが高い梛乃。

 向かい合う二人の首に両腕をまわしてぎゅっと抱擁しながら、二つの頭をすりすりと撫でる。すのりとかおれも、まんざらではない様子で梛乃の両肩にそれぞれ顎をのせた。

 二人とも、凄く嬉しそうな表情になっている。こういうところも本能が露呈するのだろう、されるがままになっている。

 おっ、すのりのデレを確認。

 梛乃が美少女二人をすのりとかおれとして容認するのに、さして時間は掛からなかった。割り切りが良いというのか、未だに半信半疑の俺より先行してしまった感じさえする。その懐の深さは大したものだ。

「ん? ……二人とも、ちょっと匂うわね」

 彼女はすのりとかおれを見遣ってから、パチンと手を叩いた。

「そうだ、お風呂に入ろう!」

 キョトンとするすのりとかおれ。

「お風呂ですか? 少し前に治人さんに入れてもらって、体の隅々までキレイに洗ってもらいましたよ」

 かおれの冷静かつ詳細な報告。梛乃はより鋭い半眼を俺に放って呟く。

「それって、なにか、わね」

 いや、想像が間違っていますよ、梛乃さん。柴犬の時の話ですから。それから、かおれさん。ボリューミーなあなたが言うと、一際イケナイ感じになるからダメですよ。

「お風呂って、私あんまり好きじゃないのよね~」

 すのりの反応はイマイチ。その通りで、柴犬の時も風呂に入れられて、ジタバタするのはお約束。人間になっても抵抗するのだろうか。

「ダメダメ。その体になったからには、毎日入らなきゃ。さあ、いくわよ!」

 既に梛乃のペースだった。すのりは渋い顔のままだが、押し切られている感じ。対照的にかおれは嬉しそう。なんだか、一気にこの家がにぎやかになった感じだ。


 その後、俺は寝室に閉じ込められ、三人が楽しそうにお風呂で騒ぐ声を聞いていた。

 許可が下りたので居間に戻ると、梛乃が使うボディソープの良い香りが漂っていた。それぞれ買ったばかりの服に着替えた模様。なぜだか、梛乃もお召し替えしている。

「二人に似合う可愛い服を選んでたら、私も欲しくなっちゃったのよね」

「よね……って」

 まあ、女子あるあるですね。

「どうかな? すのりちゃん、かおれちゃん」

 姿見の前に二人を引っ張る梛乃。

 少女のファッションショーに興味は無いが、まあ、梛乃が選んだものだし、俺もついでに見てやることにするか……あくまでも、ついでである。

 すのりのコーデは、ブーツに黒タイツ。デニムのショートパンツ、タイトなハイネックセーター。そして、ミリタリージャケット風のアウター。

 全体的に幼さが残る容姿だが、黒髪に品のある顔立ちと妖艶ようえんな目元。立ち姿を見ているだけで、ちょっと痺れる格好良さがある。これぞ、クールビューティー。

「どう? すのりちゃん。似合ってると思うんだけど」

「そうね。良く分かんないけど……まあ、いいんじゃない」

 自己満足的な仕上がりに盛り上がる梛乃に対して、素っ気ない反応のすのり。だが、鏡に映る自分の姿をなに気なく確認している。まんざらでもないらしい。そんなもどかしい感じ、嫌いではないぞ、すのり。

 次にかおれのコーデは、やはりブーツにクリーム色のタイツ。ショート丈のキュロットパンツ、レース模様のシャツに厚手のカーディガン。

 琥珀色の髪と愛らしい顔。なにより羽織ったカーディアンを押し退ける胸元の膨らみ。まさに、女子の武器をコンプリートしたガーリッシュな小悪魔。う~ん、エクセレント。

「かおれちゃん。これ、いいと思うのだけど。どう、こういうの嫌いかな?」

「いいえ。とても好きです。こういうのをカワイイっていうのですね。ありがとう。梛乃さん」

「はい。どういたしまして」

 すのりの反応に少し臆した梛乃だったが、かおれの百点満点の返答にご満悦となった。かおれ、グッジョブだ。

 さて、セレクトの基本がスカートではなく、タイツとショートパンツなのは理由があるそうだ。なんでも、可愛さを損なわずに、ついついワンちゃんの時のように四つん這いをしてしまうかも、といった事態も想定したコーデだとか。

 男子のよこしまな期待を最初から潰してくるところは、さすが梛乃だ。

「顔がにやけているわよ」

 横から梛乃が俺の脇を突っ付く。

「いや、どっちも可愛いコーディネイトだと思ってさ。センスがいいね」

「あら。お褒めの言葉ありがとう」

 俺は不意に彼女の耳元で囁く。

「……でも、梛乃が一番可愛いかな」

 決まった……と思ったが、いきなりの膨れっ面。

「なにそれ? おばさんに対する嫌味?」

 そうきたか。でも、なにをおっしゃいますやら。ここは畳み掛けます。

「まさか、本当のことだって。可愛い、心の底からそう思うし……」

 ストレートな押しに弱い梛乃。頬がほのかに赤くなった。

「……もう、からかわないで」

 俺の言葉に偽りは無い。今着ているグレーのワンピースなんて、黒のタイツとマッチして、よく似合っているし最高に綺麗だと思う。すのりとかおれも可愛いが、梛乃の魅力にはほど遠い。

 多分、梛乃は知らないと思う。俺がどれほど好きなのかということを。正直、彼女のためならなんだってできる。言い過ぎかもしれないが、命を懸けることすら躊躇ためらわない。

 そう、梛乃のためなら、なんだってできるのだ……なんだって、梛乃のためなら……あれ?

 視界が黒くなっているぞ。

 なに、これ? ブラックアウトってやつ?

 なんだ、この感覚……体が沈んでいくような……意識が遠退いていく……おいおい、なにが起こっている?

 もしかして、過剰な彼女への想いが引き起こす精神疾患? 

 だとしたら、俺の愛は本物だろう……でも、これはヤバイかもしれない――


「……と……ると……はると……治人!」

「――えっ!?」

 深い呼吸を発して、我に返った。

 ゆっくり視線を巡らすと、梛乃が心配そうな顔で下から覗き込んでいた。横では、すのりとかおれも何事かといった表情でこちらを見ている。

 立ち尽くしていたらしい俺の頬に、梛乃が両手を当てている。その温もりが伝わってきた。

「だ、大丈夫!?」

「……なに? 俺、今……どうかしてたの?」

「どうかって……突然、ぼーっとして動かなくなるんだもの。呼んでも、すぐに反応なかったし、驚くよ」

「う、嘘……え? どのくらい?」

「分んない。三十秒くらいかな……」

 梛乃は俯き加減で俺に身を寄せる。肩を抱くと、その身は微かに震えていた。

「はは、大げさだな……大丈夫だって」

「……本当?」

「ああ、大丈夫だよ」

「……うん。なら、よかった。ほんとに」

 今起こった不可解な感覚よりも、半ベソかいている梛乃に驚いた。ちょっとヤバかったのかもしれないが、こんなに取り乱すとは。いつも冷静な彼女にしては珍しい。

 よく考えたら、今日は朝からとんでもないことの連続だった。

 まあ、特段気にするところでもないだろうと勝手に納得する。俺も梛乃も、少し疲れただけだ。

 そう。こういう時は、人間の三大欲求のあれを満たせばいい。

「えーっと、梛乃」

「なに?」

「腹減った」

「え?」

 朝からまともな食事をしていなかった。

 梛乃が買い物に出掛けたあと、すのりとかおれがお腹が空いたと騒ぎ出した。ドッグフードというわけにもいかず、とりあえず食パンをトーストして三人でかじっただけだった。

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