第8話 へんしん その2
それは予想外の方向から。
縁側に面した引き戸が開いていた。嘘だろ! なぜに今日に限って、そっちから? なんて、お約束な展開なのだ。せめて、ひと言声を掛けて欲しかった……
案の定。梛乃は呆然と立ち尽くしている。
「うぐっ!」
俺の喉が奇怪な音をたてて鳴った。万事休すとはこのこと。
「……やあ、今日は朝から用事があるって言ってなかった?」
続いて出た言葉。それが通用するはずもなく、梛乃は大きな瞳を見開いたまま固まっている。俺が言うと他人事のようだが、その気持ちは良く分かるぞ。
では、彼女の視点から、この構図を再構築してみよう。
カーテンを閉めた寝室のベッドの端に、ロンTと短パンで正座している俺。その手には犬用の巻取り式のリードが二つ。そこから引き出されているロープの先を辿ると、Tシャツをまとっただけ、肌も露わな姿の少女が二人。そして、ロープは少女たちに着けられた首輪へとつながっている。
はい、完全にアウト。終了。
梛乃はゆっくり俺を一瞥する。生気の無い冷たい表情だった。見下げる彼女の背後に黒い霧が漂っている感じさえする。
俺の喉がまた鳴った。そこから悟る。ダメだ、この状況をひっくり返すことは不可能であると。世の中の冤罪ってやつは、こうやって造られるのだと納得した。
梛乃は悲鳴を上げて、家を飛び出すだろう。次に、通報を受けた警察がやって来る。多分、それが当然のシナリオ。
「――えっ!?」
悲観した俺が天を仰ぐのと同時だった。梛乃が俺の胸に飛び込んでいた。
ベッドに押し倒された弾みで、手からリードが床に落ちる。彼女は仰向けになった俺に抱き付き背中に腕を回す。そして、上目遣いで俺の顔を覗き覗き込む。
その瞳は潤んでいた。
「梛乃……?」
まさか。一瞬で、このありえない状況を把握したというのか。
その上で苦悩している俺の気持ちを察し、寄り添おうとしてくれているのか……なんということだ。俺は感動で涙が出そうになった。
「さあ! 二人とも、今のうちに早く逃げて――っ!」
「……あれ?」
「この鬼畜は、私が押さえておくから! 急いで――っ!」
「……あれれ?」
「早く――っ!」
俺に全体重を乗せた梛乃。しがみ付きながら、二人の少女に向かって叫び続ける。こっちは無抵抗なのだから、どうということはない。それでも彼女は精一杯のもがきを繰り返す。
梛乃さん。いつから、そんなにたくましい女性になったのですか。この状況の中でも、俺は期待を裏切られて、ちょっぴり幸せです。そして、パトカーが駆け付ける事態も避けられそうです。
梛乃の奮闘空しく、その場に変化は起こらなかった。
妙な空気が漂い始めたところで、ようやくなにかに気付いたらしい。仰向けになった俺の上、馬乗状態で彼女の動きが止まる。
梛乃は乱れた髪のまま、俺の顔をじっと見つめる。俺は訴えるように大きく頷いた。彼女はゆっくり居間の方に視線を巡らす。
襖の前に立つ二人の少女はまったくの無反応。梛乃は唖然としながら小首を傾げる。
「なんで……逃げないの?」
すると、ボリューミーちゃん。いや、かおれが答えた。
「逃げる? なにから、ですか? ……私たちは、散歩に行きたいだけなのです。梛乃さん」
「そうそう、いつまで待たせるのよ。じゃれ合うのは構わないけど、あとにしてよね。梛乃」
ツンデレちゃんこと、すのりも訴える。
「えっ? ……なんで、私の名前を? あなた達って、誰なの? ……散歩って……はあ!?」
分かりやすく語尾を上げた梛乃。俺は茫然とする彼女の肩を抱いて、その体をゆっくりとベッドの傍らへ促した。
「まあ……そうなるよね。ちゃんと説明するから聞いてくれ」
梛乃は唖然としたまま、俺と少女たちを交互に見遣っている。俺は彼女の手を取った。
「先に言っておきたいのは、これは犯罪とかではない。信じてくれ……いいか?」
「え、あ……うん」
戸惑っている梛乃。それでも、少しは冷静さを取り戻したみたいだった。
こういった場合は、最初に結果を伝え、そのあとに詳しい説明をした方が相手に伝わりやすい。会社で行うプレゼンの要領だ。
俺自身、まだ狐につままれている感じなのだが、緊急事態の回避措置として仕方なし。
「えっと……それでは、改めて紹介します。この二人の超可愛い女の子たちは、今日から人間になった、すのりとかおれです!」
俺は胸を張って宣言した。ここは気持ちで押し切る。
「そうね、よろしく」「よろしくお願いします」
シンクロしたように言って、半分口を開け放っている梛乃の前に歩み寄ったすのりとかおれ。それぞれ自分につながったリードを差し出した。
なるほど。ともかく散歩に連れて行け、ということらしい。だが、まずは服というモノの正しい概念とトイレの使い方を教えるとしよう。
リードを無理やり受け取らされた梛乃は、思考停止したみたいに、そのままの表情で固まった。分かりやすいフリーズだ。
無理もない、俺もこの適当な性格でなかったら、拒絶してもがき苦しんでいただろう。俺は彼女に向かって微笑み、心の中で呟いた。「大丈夫だよ、梛乃。君もこっちに来い。なんとかなるさ……多分」と。
その後、梛乃は俺が今まで聞いたことのない、苦悩した奇声を発し、悶えながら一線を越えて来たのだった。
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