第7話 へんしん その1
『どうしよう……』
『どうしようって言っても、どうにもならないんじゃないの』
『でも、なにか身に着けないと、このままでは……』
『まずいの?』
『うん。なにか着ないと……』
『着る? ああ、確かそっちにあったような。服っていうの?』
『行きましょう』
『こうやって歩くと、変な感じがするわね』
『ちょっと、声が大きいよ。静かに』
『……はいはい』
ん?
なにか聞こえた気がする。人の声のような……
ゆっくり目を開けると、カーテンの隙間から陽ざしが差し込んでいた。見慣れた天井。ベッドの上だ。壁の時計を一瞥する。
「朝か……」
いつもと変わらない寝室。そして、静寂……なんだ、さっきのは夢だったのか。えっと、梛乃は? ぼんやりしながら思考を巡らす。
昨日は……えっと、
「……なんてね」
俺は呟いて、ゆっくり起き上がる。体を慣らすためにベッドの端に腰掛けた。床暖房の温もりが足の裏に伝わる。ボーッとしている頭に、徐々に血流がまわり始める。
「……ん?」
やはり、なにか聞こえる。襖の向こう、居間の辺り。すのりとかおれか……そう、毎日俺が起きる頃には、朝の散歩をせがんで襖をガリガリするのだが。
あれ? 違う人の声だ……ああ、もう梛乃が来ているのかと、すぐに腑に落ちた。すると、襖がノックされた。俺は声のトーンを上げて話し掛ける。
「あ。今、起きたところ……早いね、今日は朝から用事があるって言ってなかった? ……すのりとかおれ、静かだけど、散歩行ってくれたの? ……梛乃?」
返事が無いまま一拍置いて、襖がすーっと開いた。
「!?」
ほっそりとした素足が四脚、そこに並んでいた。日常ではありえない光景に目を奪われる。大き目のTシャツをワンピースのように着た二人の少女が、手を取り合って立っていた。
「……これは……まだ、夢の中ってことだな」
何分経ったのだろうか。テレビを見ているような不思議な感覚が続いている。目を擦ってみたが、変化はなかった。「いや、これはない」と何度も呟いてみたりもした。
しかし、目の前には二人の少女が存在し続けている。幻ではない。う~ん。やはり、これは現実なのだろうか。
寝起きにこの無茶な状況だ。俺の思考レンジはあっという間に振り切れ状態で、次に打つべき手段が思い付かない。
まあ、普通はそうだ。誰だってこうなる。騒いだところで解決するとも思えないし、ここはひとまず受け入れるしかないだろう。諦めも必要だ。少し冷静になろう。
「うむ」
意味不明に頷き、納得できないが納得する。そして、俺って結構メンタル強いのかもと思いながら、とりあえず少女たちの観察を始めてみることにした。
しかしながら、やや未成熟と思われる女子のデータなど、持ち合わせていない。独断と偏見で見定めるしかないようだ。
まずは年齢から考察。見た目でいったら二人とも十六、七歳くらいだろうか。どこか大人に成り切れていない幼い雰囲気がある。身長は揃って160センチは無い感じ。顔はすっぴんだろう。タイプは違えど、両方とも整った顔立ちをしている。
では、右の少女から。
艶のある黒髪、ストレートの先端内巻きショートボブ。顔は色白で、すっとした鼻筋の下には薄い唇。まろみたいな短めの眉が目を引く。どことなく清楚な佇まいがあり、黒髪も相まって大和撫子感が漂っている。
一番の印象は黒目がちな瞳。吸い込まれるような眼差しに少しドキッとする。もしかして、ツンデレか? デレは分からないが、ツンは確実に持っているだろう。そして、着ているTシャツが大きいので正確ではないが、体形はスレンダーと想像する。
次に左の少女。
髪は……変わった色だ。茶髪なのだが、説明するならば深みのある琥珀色か。ふんわりしたセミロングで、こちらは先端にゆる巻きが入っている。日に焼けたような健康美を感じさせる、やや褐色の肌。
つぶらで淡い色の瞳に厚い唇。ふくよかな顔立ちだが、尖った顎がキュートさを醸し出している。ギャルっぽいと言ってしまえば、そんな雰囲気。そして、大き目のTシャツを着ていても隠し切れない胸元のボリューム……
まあ、ともかく総合的な見解として、両者とも驚くほどの美少女だということだ。
それにしても、先ほどから少女たちは動かない。彫像になってしまったわけではないのだろうが……まるで、こちらからのなにかを期待しているみたいだ。
「どうしたものかな……」
今度は、先ほどとは違う見地で少女たちに視点を置いてみる。
二人が着ているのは、どう見ても俺のTシャツだ。それに、二人とも首にチョーカーを付けている……ん!?
いや違う、あれは首輪だ……しかも、間違いなく見覚えがあるではないか!
刹那、思春期の少年にしか許されない禁断の発想が、俺の脳内を駆け巡った。少女たちの髪色は黒と茶。それでもって、すのりとかおれの姿がずっと見えない。普段から縄張り意識が強く、知らない人間が家に入ってきたら大騒ぎする連中のはず。
これって……
「いやいや、まさかね」
否定して、ギリギリ踏み止まる。それは想像力の無駄遣い。自嘲すると変な笑いが込み上げた。頭を振ってリセットを掛ける。
世の中すべての現象を人間が解き明かしているとは思わないが、これは自然の摂理から途方もなく逸脱している。もちろん物理的にもありえない。
冷静になるために深呼吸する。拙速なのは良くない。まずは揃っている要素から、幾つか仮説を立てることが必要。特に首輪の存在を肯定できる内容でなければならない。
で、とりあえず、三つ考えた。
一つ目。やはり、これは夢だ。なんでもありえる。だから、このまま放って置いても問題は無い。気にするな。でも、覚めない夢だったらどうする? でも、夢だからなんとかなる。
二つ目。そう、これはなにかのドッキリだ。どこかにカメラがあって、目の前の二人はモデルさん。突然、飼い犬が美少女になっちゃったら飼い主はどうする!? みたいなTV企画……これはあり得る。協力者は梛乃だな。悪戯にもほどがあるぜ。
「――ねえ」
その言葉を発したのは、黒髪のツンデレちゃんだった。突然のコンタクトに驚いた俺は、ベッドの上に飛び上がって正座した。
「うわっ! しゃ、喋った!」
驚きとともに、大人げない反応をしてしまった自分にも動揺する。
そんな俺をツンデレちゃんは腕を組みながら見遣った。そうして、ちょっと怪訝そうに口を尖らせる。
「だから、早く連れて行きなさいよ」
「……え? なに? どこへ?」
意味が分からず唖然とした俺だったが、ツンデレちゃんの高圧的な口調が予想通りのツンな感じなので、妙な満足感。
すると、今度は茶髪のボリューミーちゃんが動いた。後ろ手に持っていた、なにかを俺に渡してきたのだ。身構えながら受け取ったそれはリードだった。
そう、すのりとかおれの散歩用の持ち手が付いた巻取り式リード。
ボリューミーちゃんは、その二つのリードの先端に付いた金具を持ち、スルスルと二本のロープを同時に伸ばす。そして、自分の首輪とツンデレちゃんの首輪にカチンと取り付けた。
「その……私たちを散歩に連れて行って頂けませんか?」
「……はい?」
こっちの予想は外れました。ボリューミーちゃんの口調はギャルっぽいかと思いきや、意外にも礼儀正しい優等生路線。これは、意外なギャップ萌えだ。
って、そうじゃない。なんだ、この構図は。いい年の男がTシャツ姿の少女二人に首輪を付け、リードをつなげて散歩にGOだと? 夢だとしても俺の趣味とはまったく違うし、そんなことしたら社会的に抹殺されるだろうしで、リアルに引く。
TVのドッキリにしても、これは絶対に違う。さっき、ボリューミーちゃんが動いた時に、後ろ姿のチラッで分かってしまったのだが、完全に下を履いていない。それに上もTシャツだけのよう。放送コードで完全NGだろう。
アダルト的な企画だったら……いや、それはそれで未成年者なんたらの法に触れる。そして、ドッキリじゃなかったら拉致監禁容疑も加わってしまう。
これは、完全に行き詰っている。覚悟を決めるしかないようだ。俺が逃げ出しても結局終了になる……つまり、抗うのは諦めて、最後の三つ目の仮説が正しいと信じるしかない。
そう、これは本当に起こってしまった現象。原因は分からないが、すのりとかおれが人間の女の子になったのだ。そして、日課の散歩をせがみつつ、俺の様子を見ているわけだ。これなら筋が通る。
再び、少女たちを交互に見遣る。確かに、すのりとかおれの歳は一才ちょっと。一概に比較できないが、人間の年齢に置き換えたら、これくらいの女の子となるはずだ。
ふふ。冷や汗が出てきたが、めげることなく自分を鼓舞する。
「……大丈夫だ。なんとかなる」
まずは、現状把握が大切だ。訊くまでもないのかもしれないが、反応が見たい。では、ツンデレちゃんから。
「す、すのり、なのか?」
「そうよ、治人。どうしたの? なにかおかしい?」
いや、相当おかしいと思うのだが……今は気持ちを抑える。
「……あ、いや」
やはり威圧的な返答だ。片眉を少し上げたツンデレちゃん。不満を露わにした態度なのだが、微かな照れがみられる。
なるほど、了解。ツンデレちゃんはすのりに間違いなし。
じゃあ、次はボリューミーちゃん。
「かおれ……だな?」
「はいっ。治人さん」
気持ちの良い返事だ。ツンデレちゃんとは対照的。しかも、愛想良い笑顔のおまけ付き。やはり優等生キャラなのだろうか。少し癒され、この場の空気が和む。
了解。ボリューミーちゃんはかおれ。
さあ、これで一つ確認できた。俺の名前が出てきたところは驚きだが、この現象を裏付ける証拠でもある。ともかく、現実的な問題からクリアしていくとにしよう。
だが、この現場を梛乃に見られたら、即終了となるのは必然。想像しただけで吐きそうだ。まあ、終了というより現行犯逮捕というのが正しいのかもしれない。
「うむ……それだけは、避けねばならない」
独り呟いた俺だが、悲劇の幕は心の準備がまったくないままに訪れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます