第3話 すのりとかおれ

 二匹の柴犬に付けた名前。黒柴は「すのり」、赤柴は「かおれ」である。

 名前の由来は、子供の頃によく遊んだ川の名前。ちょっと変わっているかもしれないが、俺にとって川は特別なもの。故郷である岐阜を離れた今でも、岐阜はもとより長野や福井へと、主に東海圏のいろんな川へ足繁く通っている。

 もっとも、子供の頃のように泳いだり、魚を手掴みしたりするわけではない。今は渓流釣りという専門的な川遊びになっている。されど、清流への想いは変わっていない。故郷から遠く離れた分、それは強くなっているくらいだ。

 すのりとかおれに出会ったのも、岐阜へ釣りに行った帰り道での出来事だった。


 すのりとかおれが俺の家に来てからというもの、生活のリズムが一変した。

 柴犬という生き物は散歩が大好きで、家の敷地では用を足さない。というか、したがらない。台風だろうが雪が降ろうが、どんなに天気が悪くても散歩に出なくてはならない。しつけたわけではないのだが、柴犬とはそういうものらしい。この家の小さな庭では満足してくれないのだ。

 それでも結局のところ、柴犬との散歩は楽しい。勝手気ままな柴犬たちは、散歩コースも気分次第。だけど、普段は車で通り過ぎるだけの近所の道も、自分の足で歩いてみるといろんな発見がある。四季折々を感じるだけでなく、意外な場所で隠れた史跡を発見することもある。梛乃も連れ立って歩けば、これまた幸せな気分になれるのだ。

 それと、柴犬は抜け毛が多い。基本室内で飼っているので、日課としてのブラッシングは欠かせない。ただ、ブラシで毛をといてあげると、とても気持ち良さそうな顔をしてみせるので、なんだかこっちも嬉しくなる。

 つまるところ、すのりとかおれに癒されまくりなのである。一緒に過ごす時間に比例して、愛おしさは増している。もう家族の一員と言っても過言ではない。

 そして、俺以上に夢中になっているのが梛乃だった。以前よりも足繁くこの家に通うようになった。俺としては若干の嫉妬が混じった複雑な気持ちではあるが、二人の時間が増えることは好ましい限りだった。

 それは、その年の夏が終わって秋になり、年を越しても変わらなかった。そして、今週末も彼女はいつものように、この家にやって来ている。


「凄く、いい天気ね」

 縁側の掃き出し窓は全開になっている。庭に向かい縁側の端に座っている梛乃。初夏の日が差し込んできて心地良い。横にはすのりとかおれ。縁側に並んで体を伸ばし、日向ぼっこを楽しんでいる。

 家に来た時よりも、随分大きくなっていた。まだ仔犬の段階らしいが、見た目は成犬に近い。その成長ぶりには驚かされる。

「……そうだね」

 梛乃にゆっくり返事をした俺。居間の畳に寝ころび、中からその様子を眺めていた。

 のんびり昼寝を楽しんでいるかおれに比べ、すのりは時折舌を出しながら庭の一画を見ている。どこか落ち着かない様子。梛乃もそれに気付いたようだ。

「どうしたの、すのり。かおれみたいに、気持ち良くお昼寝したら?」

 梛乃のお誘いも束の間。すのりの耳がピクリと動く。

 途端に起き上がり、猛烈なダッシュに転じた。縁側から大きくジャンプして、一目散に庭の隅へと飛んで行く。俺と梛乃の驚きをよそに、庭木の陰に突入した。

 すのりではない、威嚇を交えた高い鳴き声が上がる。紅葉の根元から飛び出したのは猫だった。真っ黒な猫。不意の襲来だったのか、慌てふためいた様子で疾走する。追い駆けるすのり。

 しかし、黒猫は身体能力を活かした素晴らしい跳躍を見せる。庭を囲んでいるのは人の背丈ほどのブロック塀。その上に軽やかに飛び乗ると、振り向きもせず向う側へ消えていった。

 追撃ならず。塀に向って吠え立てるすのり。

「猫だ」

「猫ね」

 俺は梛乃と視線を合わせた。すのりの興奮とは反対に、二人の間ではゆったりした空気が流れる。午後のひと時、幸せな光景である。

 かおれはすのりの動きに反応したものの、片目を少し開けただけで微動だにしなかった。二匹の性格はやはり対照的だと俺は思う。

「すのりの洞察力と俊敏さは称賛ものだけど、かおれのおっとり屋さん加減も半端ないな」

「うん。でもね、散歩の時に大きな犬に出会ったりすると、かおれが横からにらみを効かせたりするのよ」

 ほう。なかなかの観察力。俺の彼女は美人というだけではないのだ。

「へー、そうなんだ。肝が据わっているのは、かおれの方なのかもしれないね。なんだか面白い」

 それなりに満足したのか、すのりは梛乃の足元に帰って来た。お座りをすると、すました顔で見上げる。どこか誇らしげな表情にも見える。

「なになに、褒めてほしいの? どれ、よしよし」

 撫でられて目を細めるすのりだが、梛乃はやさしくさとす。

「でも、猫ちゃんは危険よ、猫パンチあるからね。気を付けな」

 すると、かおれも体を起こして梛乃にすり寄る。彼女はかおれの頭にも手を伸ばす。

「そうね。かおれもちゃんと見ていたものね。いざとなったら助けにいくのよね。よしよし」

 なんだか、梛乃の方が俺よりすのりとかおれのことを理解しているみたいだ。なんでだろう、女同士の共感なのか。いや、違う。すのりとかおれは姉妹ではないが、そういった兄弟のつながりみたいなものを良く分かっている感じがする。俺は一人っ子だったから、その辺はうといのだろう。

「そういえば、珠乃たまのちゃんは元気なの? 地元で働いてるとか言っていたよね?」

「えっ!? ……あ、そうよ。なんていうか、ツアーコーディネーター……みたいな感じの仕事。世界遺産の名所とかできて、最近は海外からの観光客が増えてるじゃない……凄く忙しいみたいよ」

 突然の問いに、梛乃は戸惑った様子だった。少々唐突な振りだったか。

「へー。活発だった印象があるから、きっとバリバリ仕事しているんだろうね」

「多分ね。連絡もたまにしかしないから……そういえば。今更だけど、おじさんの葬儀に行けなくて、ごめんなさいって言ってたわ」

「あ、いや。そんなことは気にしてないよ。ただ、どうしているのかなと。ふと、思っただけ」

「元気にしてるわよ……これも、多分だけど」

 ちょっと前から思っていたことだが、二人の関係が意外と淡泊になっていることに驚いていた。

「なにか、あれだね」

「うん?」

「姉妹って、もっとベタベタするものだと思っていたから。特に梛乃と珠乃ちゃんて、いつも一緒に居たから……」

「そう? まあ、今はそれぞれの生活があるしね……それに、世間一般で見たらこんなものよ、きっと」

「……そうなんだ」

 確かに。俺は苦笑しながら納得した。


 珠乃は梛乃の妹だ。幸島家と鷹宮家は古くからつながりがある。幸島家の子供は俺一人で、鷹宮家は二人姉妹。両家は交流も多かったから、子供同士が顔を合わせる機会も頻繁にあった。

 よく三人で遊んだ記憶がある。小中学の間は学区が違ったので、男女で一緒にいることへの抵抗も少なかったのだろう。三人は兄弟のように仲が良かった。

 梛乃と珠乃は一卵性双生児だから、整った顔立ちは似ていたが性格は対照的。大人しい梛乃に比べ、珠乃はちょっとやんちゃだった。

 自然豊かな街だったから、近郊の山には多くのキャンプ場があった。夏なると両家揃って出掛けるのだが、川遊びになると決まって珠乃は誰よりも先に淵の深みへ飛び込んでいたのを覚えている。

 ただ、三人が同じ高校に通うようになると、その関係に変化が生じた。それは、俺と梛乃が付き合いだしたことが大きな要因だった。必然の流れである。珠乃は明るく元気な性格だったから、表立ってみせることはなかったが、俺と梛乃に遠慮しているのは確かだった。

 それでも、仲良し三人組の関係は続き。高校生になってからも、恒例となっていたキャンプにはちゃんと参加していた。もちろん川遊びも。さすがに高校生ともなると、美人姉妹の水着姿には意識しまくりだった。

 シチュエーションだけ見れば、男子高校生にとって最高の瞬間。だが、幼馴染であり、彼女とその妹という関係性が、俺の視線のやり場に相当な迷いを生じさせた。但し、妹の発育が先行している事実だけは、罪悪感を伴いつつも確認したことを覚えている。

 しかし、当の姉妹はまったく気にするところではなかったらしく、珠乃は相変わらずの凄い飛び込みをみせていた。

 結局、振り回されるのは男の役目であると、その時悟った……そういえば、珠乃はやんちゃが過ぎて溺れかけた、なんてこともあったよな。


「――今週は釣りに行かないの?」

「えっ!? ……なに?」

 甘酸っぱい思い出のアルバムから引き戻されたことに焦り、取り繕いながら梛乃を見遣る。

 すのりとかおれのお腹を撫でながら、小首を傾げている彼女。仰向けで無抵抗な体勢の二匹は、天国に登るような表情になっていた。気持ち良過ぎるのだろう、後ろ足を揃ってピクピクさせている。

「だから……釣り、行かないの?」

「あ……いや、明日は行こうと思っている」

「ふーん。そうなると、すのりとかおれの世話を私がしてあげたら、感謝されますか?」

 俺はおでこが畳みに着くくらい、深々と頭を垂れた。

「もちろんです。度々お願いしておりますが、とてもとても感謝しています」

「それって、どのくらいの感謝?」

「どのくらい? ……このくらい?」

 俺は大きく手を広げて見せた。

「へー、そんなものなのかぁ」

 ちょっと意地悪な眼差しを向けてくる梛乃。可愛い。そんなぱっちり二重なら、どんな顔でも俺にとってはご褒美でしかない。だが、ここは真面目に考えないと。

「えーと……じゃあ、今度キャンプにいこう!」

「キャンプ!?」

 分かり易く表情を明るくした彼女。お、良い反応。

「そう。子供の時みたいに、山でバーベキューしたいって言ってたよね」

「……それって、釣りのじゃないよね?」

 まずい、疑念は取り払わねば。

「もちろんです。に釣りはするかもしれないけど――」

「するんだ」

 うっ。フォローが単なる失言となっていた。

「いやいや、キャンプがメインですよ。すのりとかおれを連れて、テントに泊まって夜は満点の星空を見よう。帰りは温泉に入って、地元のグルメを堪能……そんなプランを感謝の気持ちとして……どう?」

「……」

「まだ足りない?」

「約束」

「え?」

「だから、ちゃんと約束して」

 梛乃は手伸ばして小指を突き出した。なるほど、指切りの要求だ。俺のいい加減さに釘を刺すためなのだろうが、まあ、そんなところも可愛いと思ってしまう。

「いいよ。約束します」

 俺は彼女の傍にい寄って小指を絡ませた。

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