20年前に起きた殺人事件であるが、とりあえず目についたファイルを開いただけであり、まだまだほかにファイルデータがある。とりあえず事件の全景を知る必要があると考えた千早は【事件の概要】という名前のファイルを開いた。ファイルをいちいち開く度に、フロッピーディスクが苦しそうな音を出すのが、どうにも慣れなかった。


 ファイルが開くと、そこには事件のあらましがざっと書かれていた。


 ――発生時刻、平成11年7月14日未明。被害者、広田康隆ひろたやすたか27歳。下宿人を住まわせていた離れの所有者である広田康政ひろたやすまさの長男。主に下宿の管理を任されていた。


 黒字の背景に白地という読みにくい環境ではあるが、旧式のパソコンはこういうものだと割り切り、千早は事件の概要に目を走らせる。当時の様子を頭の中で思い描き、そこに登場人物を想像上で作り上げる。後は勝手に当時の様子が脳内で再生される。


 ――平成11年7月15日の朝、いつもならば食堂にやってくる時間になっても広田が姿を見せなかったため、下宿人である飯山真琴と田戸優作の2人で部屋まで呼びに行き、そこで倒れている広田を発見。広田は救急車で搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は電気コードで咽頭部を締め上げられたことによる窒息死。被害者の首には跡が残っており、また現場に残されていた電気コードからは、抵抗した際に付着したであろう、被害者の皮膚片が検出された。被害者の死亡推定時刻は7月14日の夜から7月15日の朝までの間。なお、被害者は7月14日の午後9時過ぎに、小遣いをせびるため母屋へと姿を見せている。両親がそれを追い返したのが皮肉にも最期となってしまった。


 7月14日といえば、飯山がものの見事に新人賞を取れずに撃沈した日である。酒を飲んだ飯山は眠ってしまったようだが、事件が起きたのはその後ということになるのだろうか。途中で意識がパソコンの前に座る自分へと戻ってくるのは、想像の深淵まで引き込まれるのを防ぐ自己防衛本能なのだろう。


 ――現場には少なからずとも争った痕跡あり。また、部屋を物色された形跡も残されていた。足跡の乾き具合から、犯人は被害者を殺害した後に物色をしたようだ。元は離れだったところを改修しただけのため、下宿人の部屋も含めて、全ての部屋に鍵はついていおらず、誰でも自由に出入りすることが可能だった。しかし、犯人の侵入経路は、被害者の部屋にある外に面した窓であるものと警察は判断した。窓枠に付着した泥と、部屋の中に残されていた泥にまみれた靴跡から断定されたものだった。


 被害者と犯人が争った形跡あり。部屋に残された泥まみれの靴跡というのも、争った際に残されたものなのかもしれない。この時点ですでに疑問がいくつか浮かび上がってきた。被害者と犯人が争ったとして、下宿人は物音に気づかなかったのだろうか。そして、外から犯人が部屋に侵入したとして、どうして靴跡が泥まみれなのか。それらの疑問は次の情報で双方とも解決した。


 ――事件当日は台風の接近に伴い、夕方から翌日の朝にかけて土砂降りの雨となっていた。また、被害者の部屋の窓の外はぬかるみになっており、それゆえに部屋に侵入した犯人の靴には大量の泥が付着していたと思われる。被害者の部屋の外に残されていた足跡をたどると、そのまま離れの壁沿いに足跡が伸びる形になっており、その足跡はまるで痕跡をごまかすかのように、それぞれの下宿人の部屋の外一帯まで踏み荒らされていた。警察は犯人の偽装工作であると判断しつつ、しかし他に足跡は見当たらないとして、3人の下宿人を容疑者として捜査を続けた。なお、事件当日、被害者と下宿人の3人以外、誰も離れにいなかったことは、下宿人達の証言からも裏付けされている。


 事件当日は土砂降りの雨だった。だからこそ、多少争ったところで、その音が下宿人達まで届かなかったのかもしれない。また、泥にまみれた靴跡が残ったのは、土砂降りのせいで窓の下がぬかるんでいたから。――千早はようやく柔らかくなった小豆のアイスをかじると、新たに浮かんだ疑問に首を傾げる。


 雨のおかげで外に残っていた足跡。犯人は自分の痕跡を消すため、下宿人達の窓の外を踏み荒らして偽装工作をした。それ以外の足跡がないということは、外部の人間による犯行の可能性は低いということになる。しかしだ。根本的な疑問がある。


 なぜ犯人は、わざわざ外に出て、被害者の部屋に向かわねばならなかったのか。


 事件概要をここまで読んだ時点で、それぞれの部屋は鍵をかけることができなかったことが明らかになっている。もし犯人が下宿人のいずれかならば、わざわざ土砂降りの雨の中、外に出る必要などない。単純に廊下を通って被害者の部屋に向かえばいいだけなのだから。今のところまだ何とも言えないが、どうやら少しばかり妙な事件のようだ。


 ほぼ無意識のうちに、例のケースを取り出し、モノクルを片目にはめていた。古物商の血が騒いだのか、それとも、この事件に秘められた強烈ないわくを嗅ぎつけたのか。


 千早はスマートフォンを取り出すと、依頼主に向けてメールを作成。それを送信すると、改めてパソコンと向き合ったのであった。


 ――竹藤様。ご依頼された査定の件、早速取りかかることにいたします。ご協力をお願いすることがあるかもしれませんが、その際はよろしくお願いいたします。では、このいわく、しかと値踏みさせていただきます。

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