上はやや露出の高いキャミソール。下はデニムのショートパンツという格好。それに合わせてヒールの高いミュールを買ってはみたものの――やはり愛に見繕ってもらったのが失敗だったろうか。いささか派手というか、自分には合わないような気がする。しかしながら、暑さを回避するという意味合いでの機能性は高く、そもそも来店する客が少ないこともあって、気が向いた時に愛の選んだコーディネイトを着てみたりする。今日がたまたまその日だった。


 カウンターに戻り、改めてパソコンに向き合おうとした時のことだった。ガラガラと引き戸が音を立てて開き、聞き慣れた声が飛んできた。


「おーい、猫屋敷。いるか?」


 Tシャツにハーフパンツという浮かれた格好の一里之と、膝上丈のチューブトップワンピースの愛。そしてもう1人――クラスメイトの相模大地の姿があった。大海と同じく、いつも一里之と一緒にいる印象が強い。ガッチリとした体格を見せつけるかのごとく黒のタンクトップに、下はデニムのジーンズ。丸坊主に加えて目つきが悪いこともあり、実に近寄りがたい雰囲気がある。


「ど、どうしたんですか? お揃いで――」


 千早としては完全に不意打ちというか、どうせ誰も来ないであろうと愛にコーディネイトしてもらった服装をしていたうえに、小豆のアイスバーをくわえたままという無防備な姿を晒してしまったのだ。なんだか急に恥ずかしくなる。


「あー、やっぱり似合ってんじゃん! ちょー可愛いって!」


 もちろん、プロデューサーである愛が千早の格好に反応しないわけがない。カウンターに駆け寄ってくると「もっと良くみせてよ!」と立ち上がるように促してくる。見繕ってくれと頼んだ手前、断ることもできずに、苦笑いを浮かべながら立ち上がる千早。片手には小豆のアイスバー。ちょっとした罰ゲームである。


「純平、俺――もう死んでもいい」


 そのやり取りを眺めていた相模がぽつりと呟く。


「あぁ、猫屋敷って……意外と着痩せするタイプだったんだなぁ」


 その言葉に慌てて胸元へと手をやる。すかさず愛が「そこっ! いやらしい目で見ないっ!」と怒号を飛ばした。


「あ、あのそれで……。今日はどんなご用で?」


 収集がつかなくなってしまう前に話題を本題のほうへと無理矢理に切り替える千早。


「あ、いや――もし暇だったら一緒に海にでも行かねぇかなぁと思ってよ。ほら、前の事件の時、大海に声はかかったけど、こいつには声がかからなかったろ? こいつ、それを妙に根に持っていてよ」


 千早の住んでいる妻有郷は、山々に囲まれた土地であるが、しかし車で30分も走れば日本海に出るという立地になっている。暇を持て余し、またバイクという足がある高校生にとって、夏の海ほど好都合なものはなかった。


「わざわざ誘っていただいて申しわけないのですが、ちょっと仕事が立て込んでまして――」


 誘ってもらえるのは嬉しいのであるが、そのシチュエーションがよろしくない。浜辺で遊ぶ分には問題ないのであるが、いざ泳ぐとなったら問題だ。なぜなら、千早は少しだけ――ほんの少しだけ泳ぐということが苦手だからだ。決してカナヅチではない。蹴伸びとだるま浮きならできる。


「仕事か……。仕事なら仕方ねぇか。な、相模。猫屋敷は仕事で忙しいらしい。今日のところは諦めよう」


 そう言って相模の肩を叩く一里之。相模本人はやや遠い目をしながら呆然とした様子で口を開く。


「いや、今日はこれでもう腹一杯だぁ。むしろ、海に行くのはまた今度にしようぜぇ」


 宙を泳いでいる相模の視線が不気味であるが、どうやらあっさりと引き下がってくれたらしい。行き先が海でなければ、気分転換の意味合いも込めて考えたのであろうが、海は駄目である。あの大海原に対して、蹴伸びとだるま浮きは無力に等しい。


「いや、海に行こうって言い出したのはお前だろ? だから俺と愛も海に行く準備してきたってのによ」


 海に行こうと言い出したのは相模。それに誘われたのが一里之と愛といった感じか。本来ならば千早も一緒に海へ――という流れだったのであろうが、言い出しっぺが海に行くのをやめると言い出した。そうなると、さすがに少し責任を感じ、自然と謝ってしまう千早。


「あ、あの。なんだかすいません……」


「いや、いきなりだったし気にしなくてもいいって! それに、こいつらがわがままを言ったわけだし」


 すかさず愛がフォローに入ってくれるが、しかし一里之は「あ? 大地のわがままだし」と反論。言い争いに発展する直前に「喧嘩はいかんよ。喧嘩はぁ」と相模が割って入る。


「元はと言えばお前が海行きてぇって言い出したんじゃねぇか」


 一里之と愛の言葉がシンクロする。さてさて、どう収拾をつけたら良いものなのか。きっと困ったような表情が出てしまっていたのだろう。気を遣ってくれたのか愛が話を一方的にまとめはじめる。


「はい、じゃあ今日は千早ちゃん抜きで海に行くということで。大地君、君が言い出したんだから、ちゃんと私達に付き合いなさい。いいね?」


 鶴の一声と言うべきか、愛の一言ですんなりと話が決まってしまう辺り、力関係がはっきりとしている。やはり女子というのは彼女くらい強くなければ駄目なのだろうか。とてもではないが真似できそうにはない。


「それじゃ、邪魔したな。今度はちゃんと前もって誘うからよ」


 一里之が言うと、相模がキリリとした表情を見せ、ダンディーな声質を作る。


「猫屋敷さん。今日はとてもいいものを見せてもらったよ。ありがとう」


 その言葉に改めて胸元に手をやってしまう千早。減るもんじゃないんだから――と、確かこの服を選ぶ時に愛も言っていたのだが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。千早のリアクションを見た一里之が、小声で相模に言った。残念ながら、こっちまでしっかりと聞こえてしまったのだが。


「おい、あまり猫屋敷を怒らせないほうがいい――。後悔するぞ」


 それは愛にも聞こえていたようで、慌てた様子で一里之の言葉を遮ろうとする。


「じゃ、じゃあ千早ちゃんまたね! 忙しいところに押しかけちゃってごめんね!」


 一里之と相模を店の外に追いやるように押し出そうとする愛。その光景を見ながら「いえ、また誘ってください」と返す千早。


「猫屋敷さんを怒らせたらどう後悔するんだ?」


 相模の声が店の中から夏の外へと漏れ出す。セミの鳴き声に混じって、一里之の声が辛うじて耳へと入ってきた。


「……一生スキップができなくなる」


 その言葉に、思わず商品棚にある件の筆へと目をやる。あの時は後先考えずにやらかしてしまったが、まさか本当にスキップができなくなる呪いが一里之にかかってしまったのだろうか。いや、それならば班目も同じような呪いがかかっているはずだが、両者からそれらしい申し出はない。だから多分大丈夫だ。千早は自分にそう言い聞かせて小さく頷く。


 引き戸が閉まると、夏の騒がしさが遮断され、いつも通りの静かな店内だけが残った。今日も外は晴天で暑いのであろうが、元より日の入らない設計になっており、またクーラーの効いた店内は、なんだか冷たく寂しいように思えた。少し前までは常にこのような雰囲気だったが、やはり一里之や愛がちょくちょく顔を見せるようになってから、なんだか店も明るくなったような気がする。あえて他人と積極的に関わって来なかった千早自身でさえ、なんだか少し変わったような実感があった。


 一里之達を見送り、いつもの日常へと戻った猫屋敷古物商店。改めて仕事に戻ろうとした千早は、片手に持っていた小豆のアイスが、まさしく今とけ出そうとしていたのを慌ててくわえた。そのまま班目から手配してもらったパソコンの前に座る。

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