【2】


 こんなおっさんが【惨殺アイちゃん】だったとは――。玄関の扉が開け放たれ、黒いスウェットに身を包んだ人物の姿が部屋の明かりに浮かび上がった瞬間に抱いた印象だった。もちろん、千早の言うことを信じたいが、あまりのギャップに一里之はある意味で拍子抜けした。


 そもそもの名前、現場に残された丸文字のメッセージ。それらの犯行はまるで女子によって行われたような印象が強かった。それゆえに、勝手に犯人像を女性で想像していたからこそ、そのギャップも大きいのだろうが、目の前にいる中年のおっさんが自らを【惨殺アイちゃん】と名乗っていた時点で気持ち悪い。動物を殺害するという悪行を抜きにしても気持ち悪かった。


「今回の査定において重要なポイントがいくつかございます。それをひとつずつご説明します」


 物怖じしないというか、度胸があるというか――相手が動物を容赦なく殺していた相手だというのに、千早は怖気付く様子もなく、一歩前に踏み出す。それでは自分の立場がないと、一里之はそのさらに一歩前へと踏み出し、千早を制止する。


「猫屋敷、危ねぇからあんまり近づくな……」


 あぁ、こういうポジション。もしかして格好いいかもしれない。内心ではビビリまくりだし、膝が笑いそうになるのを必死に堪えなければならないが、やはり女子を守ろうとする男子というのは中々に格好がいいのではないだろうか。俺に惚れるなよ、猫屋敷。俺には愛という恋人がいるんだ――。そんなことを考える一里之のことなど眼中に入っておらず、彼女の意識は玄関先の相手に集中しているのであろう。一里之に返事もせず、ただ立ち止まっただけで話を続ける千早。


「ひとつめのポイント。それは、犯人の名前には【アイ】が含まれているということ。私の推測上の【惨殺アイちゃん】は、とにかく自己顕示欲が強く、自分のやったことにより学校が大騒ぎになり、またネットにまで飛び火したことを楽しんでいた傾向にあります。ここまでの舞台が整っていながら、自己顕示欲の強い【惨殺アイちゃん】が嘘をついたりはしない。よって必ず犯人の名前には【アイ】が含まれていると判断しました。そして、それは間違っていませんでした」


 確かに、千早の言う通り――ん、待てよ。そこで一里之の致命的なことに気づいてしまった。もちろん、猫屋敷のことだから分かっているのだろうが、でも分かっていれば、そもそも見当違いの人間を犯人だと言っていることにならないだろうか。


「な、なぁ……猫屋敷。さっきさ、そいつのことを【かわいけんた】って呼んだろ? その中に【アイ】って含まれてなくね?」


 一里之の疑問は、きっとごく当たり前のことだったであろう。先ほど、千早は男のことを【かわいけんた】と呼んだが、その名前の中に【アイ】が含まれていないのだ。そのやり取りを眺めていた男――【かわいけんた】と呼ばれた奴が口を開く。


「これはとんだ濡れ衣じゃないかな? 噂だと【アイ】という名前が犯人の名前にも含まれているはずだよね? でも、残念なことに君が【惨殺アイちゃん】だと指摘した相手の名前には【アイ】が含まれていな――」


「含まれているんです。ただ、私達が思い込みと勘違いをしているだけで……心配せずとも、あなたの名前にも【アイ】が含まれているんですよ」


 男の言葉を遮った千早は、一里之が制止したにもかかわらず、また一歩前へと足を踏み出した。


「ポイントとなったのは――警備員の詰所にあったタイムカードです」


 千早が言うと、相変わらず部屋の明かりに対して逆光気味の男が鼻で笑ったように見えた。警備員の詰所とやらにタイムカードがあるらしい。千早に同行していない一里之は、分からない点を想像で埋めなければならないから大変だ。


「タイムカード? あれに書いてあったかい? 【惨殺アイちゃん】の正体が――」


「正体は書いてありませんでしたが、あなたの名前に【アイ】が含まれていることは、しっかりと示唆されていましたよ」


 まるで男がどのように返してくるのか、あらかじて知っているかのごとく言葉を並べていく千早。反論意見が出る前に、それに対する見解をぶつけるような早足の展開だ。


「詰所のタイムカードはホルダーに4枚ありました。これは、その時に話を伺った河合圭太さんから丁寧に教えていただいたのですが、上から順番に【今井芳樹】さん、その次に【河合健太】さん、続いて【河合圭太】さん、最後に【万丈目鯖虎】さんと続きます」


 タイムカードがポイントらしいが、何がどのような形で事件に関与するのだろうか。それにしても万丈目鯖虎とは凄い名前である。


「さて、この4枚のタイムカード。実はある序列に従って上から順番に並べられています。では、果たして何の序列に従って並べられているでしょうか? あなたなら答えられますよね?」


 問題形式で犯人へと問いを投げかける千早。さっきまでは勝ち誇ったような態度を見せていた男だが、その質問には表情を強張らせたかのように見えた。男は答えない。千早の問いかけには答えない。妙な沈黙に耐えられなくなったのか、愛が首を傾げつつ口を開いた。


「入社順とか――偉い順番じゃないよね? 新人だって言ってた河合秋人さんのタイムカードは、一番下じゃないし。で、万丈目って人はかなりのベテランだって話だったし」


「はい、そのような序列で並んでいるわけではありません。もっと一般的で単純な序列で並んでいます」


 一般的で単純……真っ先に思いつくのは、これしかなかった。パッと警備員の名前を聞いた時点で、むしろこれしかないように思えた。


「いや、あれじゃね? あいうえお順っていうか、五十音順なんじゃね?」


「その通りです。一里之君」


 千早がこくりと頷くが、しかし愛が即座に割り込んでくる。なんというか、犯人はまるで置いてきぼりである。


「待って。確かにそれっぽい並びになってるけど、正確には五十音になってなくない?」

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