一里之は、パッと聞いただけの警備員の名前で五十音順を作り出していた。タイムカードのホルダーの一番上に【今井】で、そこから二人の【河合】と続いて、最後に【万丈目】となる。ほら、しっかり五十音順になっているではないか。一里之はそう思ったのであるが、愛の見解は違うらしい。


「一見して五十音順になっているように思えるけど、もしそうなら【河合健太】と【河合圭太】の順番が逆じゃない? 苗字が同じなわけだから、五十音順に並べるには名前を基準にしなければならないでしょ? となると【けんた】より【けいた】のほうが五十音順的には先になる。だから、タイムカードは【今井芳樹】【河合圭太】【河合健太】【万丈目鯖虎】の順番で並べられていなければならない。でも、実際の並びは【今井芳樹】【河合健太】【河合圭太】【万丈目鯖虎】だったわけでしょ? ほら、厳密には五十音順になっていないわ」


 一里之は伝聞だけで推測したがゆえに気づかなかったが、実際に現場で色々と見聞きしてきた愛は、その違いに気づくことができたのだろう。確かに、言われてみれば、一見して五十音順に並んでいるようになっているが【河合健太】と【河合圭太】の並び順が逆だ。本来ならば【河合圭太】が先に来てこそ、五十音順になる。


「いいえ、五十音順になっているんですよ。ただ、先ほども言いましたけど、私達が勝手に思い込み、そして勘違いしていただけ――。事実、もう一人の河合さんに聞いたところ、あっさりと私達のしていた勘違いが判明しました」


 千早達がしていた勘違い。正確に並んでいないはずなのに、しっかりと五十音順に並んでいるという警備員の名前。一体、千早達は何を勘違いしていたのか。学校に同行できなかった一里之は、どうしても蚊帳の外みたいになってしまう。


「時に日本の苗字というのは面白い決まりがあったりします。例えば五十嵐と書いて【いがらし】と読む時もあれば【いからし】と読む場合もあります。桑原と書いて【くわばら】や【くわはら】と、同じ漢字を使った苗字であっても、その家ごとに読み方が異なっていたりするんです。それと同じことが、警備員の詰所という狭いコミュニティーで起きてしまっていたんです」


 千早はそこで言葉を区切ると、視線の向こうの男を睨みつけるように目を細める。教室の隅で静かにしている彼女がやるような仕草ではない。それだけ、今回の事件に関して千早個人で怒りを感じているのだろうか。


「あなたと同じ警備員に河合さんという方がいて、彼が【かわい】さんだからこそ、同じ漢字のあなたのことも【かわい】さんだと思っていました。一見して順番通りになっているように見えない五十音順の謎。そして名前には【アイ】の二文字が含まれているという条件。これらを解決するのは簡単。つまり、あなたは元々【かわい】さんではないということです。そうですよね――【】さん」


 蓋を開けてみれば、実に簡単な結末だったのである。それこそ、他の警備員に彼の名前を尋ねれば解決してしまうほど簡単なことだったようだ。片方の河合の苗字の読みが【かわい】であるため――というか、一般的な読み方としてまず当てはまるのが【かわい】であるため、千早達は目の前にいる【河合健太】なる人物のことを、素直に【かわいけんた】だと思い込んでいた。しかし、彼の本当の名前は……名前の読みは【かわあいけんた】だったのである。これならば、純正で【アイ】が名前に含まれることになる。千早は全てを分かった上で、彼のことを【かわいけんた】と、あえて致命的な呼び方をしていたのだろう。


「もう一人の河合さんから、こちらの住所を伺う前にしっかりと確認させていただきました。あなたは間違いなく【かわあいけんた】さんであり【かわいけんた】さんではない。ただ、同僚が呼び分けるにしても【かわい】と【かわあい】では紛らわしいため、自然と両名を下の名前で呼ぶようになったそうですね。ということで、あなたが【かわあいけんた】さんであり【惨殺アイちゃん】としての条件を満たしていることが分かりましたね。後、わざわざ言及するつもりはありませんが、タイムカードの序列問題も解決です」


 タイムカードの並びに関しては、確かに解決である。同じ【河合】という漢字であっても【かわあい】と【かわい】では【かわあい】のほうが先にくる。だからこそ、警備員のタイムカードの並びは間違っていなかったことになる。むしろ、千早はタイムカードの並び方をきっかけにして、この事実にたどり着いたのだろうか。だとすれば、掛け値なしで凄いといえよう。しかし、相手も一筋縄ではいかないようだ。


「それで? そうだったとして、どうして【惨殺アイちゃん】の正体を決めつけることができる? これでようやく容疑者の一人になっただけだろう?」


 この程度では相手もビクともしない。確かに彼の言う通り、千早が証明したのは彼が【惨殺アイちゃん】である条件を満たしているということだけ。言わば、元より条件を満たしていた愛達と同じ場所へと引っ張り上げただけなのだ。容疑者の一人としてカウントはできるようになったが、しかし彼が【惨殺アイちゃん】であるという決定打を放ったわけではない。


「なんだか勘違いなさっているみたいですから、この際はっきり言っておきます。あなたが【惨殺アイちゃん】であるという根拠は揃っていると言ったはずです。もちろん、これだけで終わるわけがありません。とりあえず、最後まで黙って聞いていただけませんか?」


 一里之の知っている猫屋敷からは想像できないようなキツイ言葉が連ねられる。彼女と深く関わったことがなく、勝手にイメージだけが先行していたせいか、遠慮なく相手の懐に飛び込もうとする言動には驚かされる。大体、男の一里之でさえ、動物を殺した犯人に多少はビビっているというのに、千早は物怖じせずに前へ出ようとする。きっと、クラスメイトがこの姿を見たら、誰もがギャップを感じることだろう。おしとやかなお嬢様がストーリーファイトで大男にシャイニングウィザードをお見舞いするような感じ――とはまた違うか。


「査定ポイントのふたつめ。実は今回の事件で特筆すべきポイントというのはふたつしかありません。そして、なによりもこのふたつめのポイントが重要になってきます。それは――風紀委員会です」


 おそらく、この場にいる誰もが、風紀委員会と犯人を結びつけられずにいるのだろう。学校に同行していない一里之であるが、風紀委員会が事件の決定打になるとは思えない。


「風紀委員会は今回の事件のことを解決しようと躍起になっていました。そのやり方は感心できませんが、学校の風紀を守らねばならないという想いが暴走してしまったのでしょうね。その結果、風紀委員会はある意味、学校内でも有名になりました」


 千早がどこから真相へたどり着こうとしているのか。愛も分からないようで、一里之のほうに意見を求めるかのごとく視線をやってくる。一里之は首を大きく横に振った。同行していた愛が分からないのに、ずっと外で待っていた一里之が分かるはずがない。


「――ちょっと待て。そう言えば風紀委員会が総出で探し回っていた生徒がいたじゃないか。ほら、バスケットボール部の人間で、ゴールデンウイーク中も毎日のように学校に来ていた生徒が」


 風紀委員会というワードから何かを連想したのか、話を急に切り替えてくる【惨殺アイちゃん】こと河合健太――面倒なので、おっさんという呼び方で固定させていただくことにする。


「長谷川愛美さんのことですね? 確かに、彼女の行動には奇妙な点がありました。ゴールデンウィーク中、部活動がない時でも学校に来ていたし、ウサギ小屋での事件が発生した途端、ぱったりと学校に来なくなってしまった。本当ならば、ご本人に会って確認をしたかったのですが、ここは私の推測で補わせていただきます」


 そこで浅く呼吸を繰り返すと、改めておっさんのほうを向く千早。


「もしかすると彼女は――ウサギ達を守るためにゴールデンウィーク中も毎日学校に通っていたのではないでしょうか?」

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