査定2 惨殺アイちゃん参上【プロローグ】1
認めよう。自分はビビリであると。認めよう。自分は怖がりであることを。ならば、どうしてこんな職についたのか。それは、ネットなどで実働時間が少なく、比較的楽な仕事だ――なんてことが書かれていたからだ。ただ、拘束時間は馬鹿みたいに長いし、昼と夜の感覚だっておかしくなる。それに加えて、誰もいなくなった校内を定期的に見回りしなければならないのだから、学校警備員なんて仕事はちっとも楽ではなかった。
まだこの仕事を始めて数週間の#河合圭太__かわいけいた__#は、ゆっくりと夜に移り変わりつつある校内の見回りをしていた。女子校で警備の仕事をするんだから、もしかすると女子高生とお近づきになれるかもしれない――なんて抱いていた幻想は、早々に打ち砕かれた。そもそも、本格的に働かなくてはならないのは放課後からであり、生徒が帰ってからである。日勤の時は朝の鍵開けが主な仕事みたいなもので、基本的に何かが起きなければ詰所で待機。もちろん、むやみに学校内をうろつくわけにもいかず、ただただ有事の際に備えるだけ。そして、夕方から翌朝にかけては数時間おきの見回りに電話番。まるで意地悪をされているかのごとく、女子高生との接点がなかった。
「さ、さっさと終わらせて、詰所でゲームでもしようぜ。俺」
暗くなってきた廊下を懐中電灯で照らしつつ、河合は自分を奮い立たせる。この数時間おきの地獄の時間さえ終われば、次の見回りまで詰所で自由にできる。今日はベテランの先輩が、指導との名目で一緒に夜勤をしてくれることになっている。それだったら、定時の見回りに同行してくれよ――と思うのは、河合のわがままであろうか。
校内を全て見回ると、勝手口の扉を開けて外に出る。しっかりと施錠を確認すると、今度は校庭へと出た。グラウンドのほうを見て回り、そして校舎の周りをぐるりと一周すれば見回りは終わりだ。女子校であるがゆえに、たまに不審者が出るということもあり、ここでの警備は校内にくわえて外も見回って、ようやく定時見回り完了になるとのこと。ここまで徹底するのは珍しい――とは先輩の言葉だ。これが初めての警備の仕事である河合からすれば、ここでのやり方が当たり前になりつつあるが。
グラウンドには異常なし。部活動も終わっている時間であるし、当たり前だが生徒も全員帰っている。校内にも異常はなかったし、後は校舎に沿ってぐるりと一周すれば、詰所へと戻ることができる。河合は小さく溜め息を漏らし、小さく「よし」と呟くと、校舎に沿って歩き始めた。
このような夕方から夜にかけて訪れる時間を、人は
しかしながら、ひっそりとしていて、閉塞感のある校舎の中に比べたら、外は幾分か開放感があるし、何よりも人の気配が強く感じられる。遠目に見える住宅街には明かりが
季節もようやく春らしくなり、夜でも過ごしやすくなった。桜も散り、地面は桜の花びらで覆われているが、このような夜の散歩も悪くない。校舎の中に比べて、いつの間にか緊張感が緩んでしまったのは、きっと周囲に人々の生活の気配が見えたからだろう。独りぼっちで校舎の中を回るより、誰かの気配がする外を巡回するほうが、遥かに気が楽になるのは当然のことである。
――ただ、得てしてこのような時こそ、逢魔時に潜んでいた魔が姿を現すものである。
校舎の周りを一周し、後は正面玄関の施錠を改めて外から確認すれば定期巡回は終了。シチューの良い匂いのせいで、お腹も空いてきた。
正面玄関は異常なし。いくつもあるガラス扉の施錠を確かめて回り、念のために辺りを懐中電灯で照らす。正面玄関脇にある倉庫――用務員などが外仕事をする際に使う道具を収納してある木造の小屋の壁を照らした時、奇妙なものが目に入った。
今、何かおかしなものが見えた。寝耳に水というか、完全に気を緩ませてしまっていた河合にとって、それは気づいてしまってはいけないものだったのかもしれない。警備員としては間違っていないのかもしれないが、油断していた彼はそれに気づいてしまったことを後悔した。
このまま何も見なかったことにして詰所に戻ることはできる。だが、どうしても気になった。それは警備員としての責務というより、単純に好奇心だったのかもしれない。怖いもの見たさというやつなのだろう。見なければいいのに、見ないなら見ないで気なる――自称ビビりである河合は、はたから見ても典型的なそれだった。
これまでなぞってきた
一瞬、それがなんだか分からなかった。漠然とした黒い塊にしか見えなかった。しかし、それにようやく輪郭が出てきた。最初から輪郭はあるはずなのに、そこにあるものが想定外のものだから脳が輪郭を把握できていなかった――そんな感覚。
カラスだった。まるで小屋の壁に
やや下からの角度で突き刺さったボウガンの矢尻からは血がしたたり、地面には血だまりを作っていた。
何よりも河合が寒気を感じたのは、木造の壁に直接マジックか何かで書き殴られたメッセージだった。暖かみのあるはずの木の茶色の上に、場違いなピンクのマジックで書き殴られたらしきそれは、カラスの異様な姿とギャップがあり、より一層不気味に見えた。
――惨殺アイちゃん参上。
メッセージそのものは、実に可愛らしい丸文字で書かれており、また句点の代わりにハートマークがメッセージの最後に描かれていた。
ずっと息を止めていたことに、ようやく気づいた河合は、慌てて息を吸い込み、そして盛大に咳き込む。
ここ
シチューの匂い、それがなぜか生臭く感じたのは、目の前に見える血染めのカラスのせいか。遠くで往来する車の音、鳴らされるクラクション。まるで河合のいる空間だけが現実と悪夢の狭間にいるようで、本当ならば心強いはずの日常の気配さえ嘘っぽく思えて――なんだかとても怖くなった。生き絶えているはずのカラスの目が、何かを訴えるかのごとく、じっと河合のことを見つめていた。
人間というものは、真に恐怖を感じた時、叫び声など出ないものだと知った。声にもならない掠れた呼吸音を喉から出すと、河合は一目散に詰所へと向かって駆け出す。
まさかこれが、後にこの高校で連続的に発生する事件の発端であったなど、ただの発見者にすぎない河合には、とうてい知る由もなかったのであった。
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