査定1 家族記念日と歪 歪んだ愛憎【エピローグ】1

 雨の降る峠を越えて、いつもの道の駅に寄ってニコチンを補充する。煙草の臭いが車につくのは嫌だから消臭剤を満足するまで振りまいて車に乗り込んだ。売店のおばさん――いいや、マダムに顔を覚えられてしまったらしく、顔を見るなり焙煎が始まったコーヒーをドリンクホルダーに収めると車を走らせた。


 集落へと入り、郵便局を過ぎた辺りで大きく溜め息をひとつ。実際に現地に行ってみなければ営業しているか否かが分からないため、店から漏れる明かりに安堵の溜め息が出たのだ。いつも通り集会所の前に車を停めさせていただいて店へと向かう。今回も手ぶらではないが、決していわくつきの品を持ってきたわけではない。この妻有郷つあまりごうでは割りかし有名どころの菓子店である木村屋のシュークリームを買ってきたのである。ビジネスライクな関係でありながらも、彼女にはいつも世話になっているし、この前の事件の顛末てんまつの報告もかねて、班目は【猫屋敷古物商店】に顔を出すことにしたのだ。


「ごめんくださーい」


 カウンターの奥にセーラー服姿が見えたが、あえて勝手に中には入らず、ガラス戸を開けて声をかける班目。


「いらっしゃいませ。今回は随分とスパンが短いですね」


 また読書をしていたのであろうか。本を閉じると、透き通った声が飛んでくる。それは蚊の鳴くような声でありながらも、耳の奥まで浸透するような不思議な声だ。声が綺麗というか美しいというか。いかにもミステリアスな美少女にぴったりの声である。


「や、今日は違うんです。この前の事件の報告をと思ってお邪魔したんです。後、これ――いつもお世話になっていますから」


 班目はそう言うと【木村屋】と力強い筆文字で書かれた箱を見せる。すると、千早は体の動きを止め、班目が持ち上げた箱を凝視する。


「それはもしや――木村屋さんの」


「え、えぇ……。シュークリームですけど。いつもお世話になっているので、差し入れのつもりなんですが。良かったら一緒に食べましょう」


 やや食い気味の千早の様子に気圧されつつ答えると、千早はすっと立ち上がって班目に背を向ける。


「濃いめのお茶を淹れて参ります。班目様はそちらにかけてお待ちください」


 千早はそう言うとカウンター前に置いてあるアンティークな雰囲気の椅子を指差し、店の奥へと消えて行った。彼女にしては随分と慌てていたように思える。


「これは――」


 どうやら慌てていたのは間違いないようで、いつも読んでいる本もカウンターの上に置きっぱなしだった。聡明そうな彼女のことだから、小難しい文学やら、教科書も裸足で逃げ出すような哲学書辺りを読んでいるのだろうと思っていたのだが、実際にそれを手に取って、班目は勝手にそのギャップに笑みを浮かべた。


 ――世界のニャンコ大全集。パラパラとめくってみると、なるほど猫の写真集のようだ。文庫本サイズだったから、まさかそんな内容の本だとは思いも寄らなかったが、名前が名前なだけに猫好きなのかもしれない。


「猫屋敷なだけに――ですか」


 本をそっとカウンターに戻すと、何事もなかったかのように店内を見て回る班目。陳列された商品は、どれを見てもガラクタのようにしか見えないのであるが、これら全てがいわくつきのものなのだろうか。この商品の数だけ、何かしらの良からぬことがあったと思うと、なんだか背筋がゾッとする。


 店内を見て回ることしばらく。使い込まれた様子の保温ポットと茶道具をのせた盆を持って千早が戻ってきた。班目がカウンターのほうへと戻ると「何かお気に召したものはございましたか? 売りませんけど」と、手際よくお茶を淹れながら問うてくる千早。


「あー、そうですねぇ。そこの古びたぬいぐるみなんて悪くないです」


 別に気になるものなどなかったのであるが、社交辞令でそう答える班目。たまたま目に入ったうさぎのぬいぐるみのことを口にした。


「それ、持ち主の女の子が立て続けに何人も亡くなったぬいぐるみなんです。14代目――私のおばあちゃんが店主の時に買い取ったそうです。売ってしまうとまた犠牲者が出てしまうので、残念ですけど売り物じゃないんです」


 世間話のひとつとして本人は話しているのだろうが、そのあまりにも物騒ないわくに息が一瞬だけ止まる班目。


「そ、そうですか……。そういうことなら仕方ありませんねぇ。え、遠慮しておきます」


 2人分のお茶を用意した千早は、そっと茶碗を班目のほうへと差し出し「粗茶ですが――」と一言。班目は礼を言うと、買ってきたシュークリームの箱を開けた。その瞬間、千早の目が輝いたように見えたのは気のせいだったのか。


「私はひとつで結構。残りはあなたとご家族の方で食べてください」


 シュークリームのひとつやふたつでは格好がつかないから、一応半ダース分のシュークリームを買ってきたのだった。彼女の家族構成は知らないが、ここで一人暮らしということは考えられないだろう。これまでビジネスライクな付き合いだけだったから、初めて彼女のことについて踏み込んだ瞬間だったのかもしれない。


「家族は――私とおばあちゃんしかいません。きっと食べきれませんし、せっかくのご厚意を無駄にしたくありませんので、班目様が半分くらい召し上がったらいかがでしょうか?」


 千早の言葉に胃液が込み上げてきた。実は何度か手土産を持って訪ねたが営業しておらず、その度に半ダース分のシュークリームを食べる羽目になっていた――なんて彼女の前では言えない。


 班目はあえて家族のことにはそれ以上触れないことにした。なんとなく触れてはならない――そんな気がした。


「もしよかったらご近所の方にでも。いつも集会所の駐車場を使わせてもらってますし。私の気持ちということで受け取っていただければ――」


 実を言うとシュークリームを見るのさえしんどい。自分が食べないと千早が気を遣うだろうから、決死の覚悟でひとつは食べるつもりだが、すでにシュークリームを見るだけで口の中が甘ったるくなっていた。


「そういうことならば、いただきます。確か区長さん、甘いものお好きだったはずですから」


 こちらの取り決めはよく知らないが、おそらく自治会の会長のようなポジションの人を、地区ごとに定めているのだろう。班目の地域には町内会長がいるものの、区長なんてのはいないわけであるし。場所によって呼び名が異なるだけだと思われる。


「それで、話は変わりますけど、例の事件についての後日談といいますか、報告です。あの後、長女に日記のことを突きつけてみたところ――あっさりと犯行を認めました」


 班目が持ち込んだ日記帳。それが4年周期で書かれていることが判明した途端、捜査は大きく進展を見せた。警察が日記帳の内容を勘違いして解釈したこともあって、長女も犯行を認めなかったのであろう。しかしながら、日記帳の謎が明らかになったことで、きっと長女の心が折れてしまったのだ。


「動機もほとんど正解でしたよ。被害者は長女に異常な恋愛感情を抱き、自らの娘を我が物とした。結婚の話が破断したのも、色々と被害者が裏で手を回し、あちらから断るように仕向けたそうです。その事実を知ったのが最近のことであり、これまでの性的虐待の件もあって犯行に及んだとのことです」


 動機は千早の推測通りだった。全ては被害者の異常すぎる愛情が招いてしまったこと。他者に愛情を注ぐことが必ずしも善いことではないと――時として薬は毒になると主張するかのような結末である。


「とにかく、おかげさまで事件は解決に向かって進み始めました。日記帳の謎が暴かれることさえなければ、長女はいまでもシラを切り通していたことでしょう。いち警察の人間として礼を申し上げます」


 盆に乗せてきた小皿にシュークリームを移しつつ「私は自分の仕事をしただけですから」と千早。班目は「またまた、ご謙遜を」と返しつつ、小皿に乗ったシュークリームを目の前にして、やや尻込みした。どうにもイメージだけで口の中が甘ったるくなって仕方がない。


「あぁ、それではいただきましょうか」


 シュークリームが乗せられた小皿と茶碗に注がれたお茶。ここまでお膳立てをしてもらっておきながら、いただかないのは失礼である。きっと、こちらが口をつけなければ、あちらも口をつけにくいだろうし――と、意を決してシュークリームに伸ばそうとした手は、残念ながら茶碗のほうへと向かった。しかし、班目がお茶に手をつけたことで、ようやく千早もシュークリームへと手を伸ばす。


 シュークリームの底を包んでいる銀紙を掴むと、千早は控えめに口を開けてシュークリームを一口。目を閉じて口を動かし、ぱっと目を開けると、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で「おいしい……」と呟き落とす。その際に見せた笑顔は、なんだかんだで女子高生であると思わせるほど可愛らしいものだった。その表情が見れただけでも、差し入れをした甲斐があるというものだ。


「な、なんですか。私の顔に何かついていますか?」


 その笑顔に、ほんの少しだけ見惚みとれてしまっていたらしい。班目の視線に気づいた千早に指摘されて我に返ると、班目はちょっとだけ千早のことをからかってみた。


「いや、ちゃんと可愛らしい顔ができるじゃないですか。そっちのほうがいいと思いますよ」


 からかったと言うか、率直な意見を言っただけだったのであるが、千早はややうつむくと頬を真っ赤に染め、明らかに動揺した様子を見せる。


「なっ、なななななっ、何言ってるんですか! そんなこと言っても何も出てきませんよ!」


 こんなことなら、もっと早く彼女に差し入れのひとつでも持って来てやるべきだった。つい先日まで人形のように見えていた彼女にだって、人間らしいところがしっかりあるではないか。普段は仕事としてのスイッチを入れてお客である班目に接しているのかもしれない。思わず班目は笑ってしまった。


「なっ、何がおかしいんですか!」


「いやいや、すいません。何でもないんです――」


 班目はそう言うとなかば無意識にシュークリームへと手を伸ばし、それを何も考えずにかじった。口の中にクリームが広がり、深夜に悩まされた胸焼けを思い出す。体がシュークリームを受け付けないことを一時的に忘れてしまうほど、千早の意外な一面が可愛らしかったのだ。


 班目は大きく咳き込み、そしてお茶に手を伸ばすと一気に飲み干した……が、変なところに入ったのか盛大にむせてしまう。


 ――普段はきっと静かな【猫屋敷古物商店】の夕暮れ時が、今日という日だけは間違いなく騒がしかったに違いない。



【査定1 家族記念日と歪んだ愛情 ―完―】

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