「そう考えると被害者が61歳で社長の椅子を譲らなかったことにも納得できますねぇ。つまり、第8回の日記を書いたのは今年の家族記念日である2月29日だった。今年で被害者は社長のポジョンから退くつもりだったということですか」


 班目の言葉に無言で頷く千早。第7回の日記が書かれた時点で被害者が60歳だとすると、第8回を書いたのは64歳の家族記念日――ほんの数ヶ月前だったということになる。すなわち、この一年をもってして被害者は社長という立場を退くはずだったのであろう。


「そして、この日記が4年周期で書かれていたことになれば、もう答えも明白です。まず【家族記念日 第3回】の日記の時点で3人の娘がいるとのことで、班目様は長女を容疑者から除外しました。しかし、あれは実際のところ被害者が44歳の時に書かれた日記ですから、今から20年前に書かれた日記ということになります。今から20年前というと、長女が24歳、次女が12歳、三女が2歳だったことになります。よって、長女は容疑者に逆戻りです」


 全8回の日記が毎年書かれていたのであれば、班目の推測通りに長女は容疑者から外されていた。しかし、そうではなかったため、除外されたはずの長女が再び容疑者となってしまった。


「その代わりに、家族記念日と最愛の娘の誕生日が2月29日だとすると、真っ先に容疑が外れる方が出てきます。それは――次女の夏美さんです」


 その名前を聞いた瞬間にピンときた。確かに彼女は容疑者から外れることになるだろう。


「2月29日といえば、季節はまだ冬ですからねぇ。少なくとも2月29日に生まれた娘に夏美という名前はつけないでしょうし、次女は最愛の娘ではないと断定できますね」


 名付けの親がよほどの変わり者でもない限り、冬に生まれた娘に夏美という名前はつけないだろう。


「えぇ、最愛の娘は長女の柊子さんか、三女の美雪さんのどちらかです。名前にこだわらずとも、もう答えはでていますけど」


 千早はそこで言葉を区切ると、日記帳をそっとかたわらへと置いた。


「では、その答えをお聞かせ願えますか?」


 日記帳ひとつから、ここまでの答えを導き出してしまった彼女には、つくづく驚くしかない。頭の固い大人より、彼女のような若い柔軟な発想のほうが、案外事件をあっさりと解決してしまうものだ。しかも、彼女の場合は、いわくの査定をするために、その背景を紐解いているだけなのだから、刑事として立つ瀬がない。


「被害者が日記を書き始めた時に16歳の誕生日を迎えた最愛の娘は、現在44歳になっているはずです。そして、3人の娘の中で44歳なのはたった1人だけ――」


 全ての整合性を保ちつつ導き出される答えはひとつだけ。小柄な女子高生の言葉ひとつひとつが妙な説得力に満ちていた。


「最愛の娘でありながら被害者を殺害したのは……長女である柊子さんです」


 これが家族記念日に関する日記の答え。彼女が査定した、いわくの答えなのだ。最初から答えはしっかりと目の前にあって、日記が4年周期で書かれていたことを見抜くことができれば、簡単に解決した問題だった。


「これは私の勝手な想像ですが、きっと被害者は柊子さんに前妻の面影を見て、愛してしまったのだ思われます。それは実に歪んだ愛情であり、被害者が気づかないうちに最愛の娘の憎しみを増幅させたのではないでしょうか? 娘の縁談を駄目にしたのも、きっと被害者が最愛の娘に対して、本来ならば抱いてはならない愛情を抱いてしまったからなのだと思います」


 長女の柊子は縁談を破談に持ち込まれており、それが動機として挙げられていた。けれども、どうやらその根底には闇がもっと根深く張り巡らされていたようだ。


「歪んだ愛情は時として憎悪を生む。その憎悪に被害者は殺されてしまった――ということですか」


 こちらから品物を持ち込んでおいといて申しわけないが、彼女の仕事はここまでだ。後は警察の仕事になるだろう。また彼女の鑑識眼のおかげで、ひとつの難事件が解決に向かおうとしていた。


「親の歪んだ愛情に反発した憎悪。娘による親殺し。全てが異母姉妹となる3姉妹と、それを独善的に支配しようとした身勝手な男の哀れな末路。愛情を取り違えてしまったいびつな家族にまつわるいわく――実に貴重なものだと思われます」


 千早はそこで言葉を区切ると、カウンターの下から伝票をつづったものを取り出した。伝票を切り取り、そこに万年筆を走らせると、おそらく複写になっているであろう伝票の1枚目を班目に差し出してきた。


「このお値段で買い取ります。いかがいたしますか?」


 千早の差し出した伝票には、実に達筆で【金捨萬円じゅうまんえん也】と書かれていた。どうやら班目の持ち込んだ日記帳は、そのいわくと一緒に10万円で買い取ってくれるらしい。ただ――これはある種の建前のようなもの。班目は勝手に持ち出した証拠品である日記帳を売るつもりはないし、千早もそれを分かった上で査定をしたのだ。ここからはちょっとばかりビジネスライクな話になる。


「いや、申しわけありませんが、やっぱり売るのはやめておきましょうかねぇ」


 班目が持ち込んだものは、権限とコネを使って持ち出した大事な証拠品だ。当たり前だが、そんな大事なものを売るわけにはいかない。言い方は悪いかもしれないが、最初から売る気などさらさらなかったのである。


 班目は財布を取り出すと、その中身を確認する。


「えっと、その場合の査定手数料は――おいくらでしたっけ?」


 こんな山あいにあって、決して立地が良いというわけでもなければ、客がばんばんと入るような雰囲気でもない。置いてある品物を売る気など最初からないようだが、買い取りだけはしているという古物商店。その店が存続しているのは、彼女なりの割り切ったビジネススタイルがあるからなのだと思う。


 いわくの買い取りを専門で行い、おそらく買い取りの契約が成立すれば、本当に彼女は言い値で買い取るのであろう。しかし、契約が成立しなかった場合は、しっかりと査定手数料を取る。良くも悪くも潔いスタンスで、この【猫屋敷古物商店】は回っているのだ。いつからそのようなことを始めたのかは知らないが、少なくとも班目と千早はれっきとしたビジネスパートナーだった。ただそこには本音と建て前があるわけだが。


「そちらのお気持ちで結構です。しかし、こちらも慈善事業でやっているわけではありませんので――」


 班目は小さく頷くと「では、これで……」と、万札を5枚重ねて差し出した。買い取りの見積もり額が10万円ならば、その半額の5万円くらいが相場であろう。あくまでも班目の中での相場ではあるが。


 班目の差し出したお金を両手で受け取ると、枚数を確認してからカウンターの隅へと向かう千早。カウンターの隅っこには古びたレジスターがあり、受け取ったお金はレジスターの中へとしまわれる。レジスターが開く時の「チン」という音が、古く味のあるような音で、なんだか妙に懐かしい。


「領収書のほうは――」


「や、結構です」


 持ち出してはならない証拠品を持ち出し、一般人である彼女に事件の情報を漏らして、事件を解決に導く答えを買ったようなものなのだ。彼女とのやり取りの証拠になり得るものは必要ない。


「そうですか。では、またなにかお売りいただける品がござまいしたら、当店までお持ちください」


 そう言うと千早は深々と頭を下げる。班目も軽く頭を下げると「その時はまたよろしくお願いします」と言い残し、店を後にしようとする。しかし、店の出入り口はシャッターに閉ざされてしまっていた。


「あ、お帰りの際はそちらの勝手口からお願いします」


 そう言って、カウンターの脇にある古びた扉のほうへと手を差し出す千早。班目は勝手口の前で振り返ると会釈をする。彼女は「またのお越しをお待ちしております」と、班目を見送ってくれた。


 外はすっかりと暗くなっており、春先の夜の空気はひんやりと冷たい。澄み切った空には星空が輝いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る