班目が注目したのは【家族記念日 第3回】の記述だ。この時点でキンモクセイの花は、その前年の秋には花を開花させている。とどのつまり、日記帳の中では、植えた翌年の秋には花が咲いていたことになるのだ。ともすれば、千早のしたキンモクセイの説明に間違いがあるとしか思えない。挿し木とやらで育てたキンモクセイが、最低でも5年も花を咲かせないという情報が間違っていることになるだろう。


「そうですね。私もこの日記を手に取った時は勘違いしていました。しかしながら、私の言っていることに間違いはないのです。もし、そう聞こえるのであれば、勘違いしているのは班目様のほう――ということになるかと。いえ、この日記を手に取った誰もが、ごくごく当たり前のように勘違いしてしまったせいで、日記帳の中身がちぐはぐになってしまったのだと思います」


 勘違い。一体なにを勘違いしているのだというのだろうか。日記に書いてあることがちぐはぐになっていることは分かっているが、勘違いによってそれが引き起こされているとはどういうことなのか。


「その――なにを勘違いしているんですかね?」


 皆目見当もつかない班目は、早々に千早へと白旗をあげることにした。勘違いだと指摘されて気づけない部分なのだ。きっと自分であれこれ考えたって、凝り固まった頭では勘違いに気づけないだろう。こういう潔さも刑事には必要だ――と自分を正当化する。


「日記が書かれていた頻度ですよ。もっとも、こんな書きかたをされては勘違いしても仕方がないと思います。まず、この日記を読んだ誰もが、日記は毎年書かれているものである――と、勝手に思い込んだはずですから」


 班目はその言葉に警察手帳を凝視する。家族日記を書き写したそれは、毎年書かれているものだと思い込んでいた。


「えっ? 毎年書かれているものじゃなかったんですか?」


 その言葉を待っていたと言わんばかりに力強く頷いた千早は、しかし表情をひとつも変えずに言い放った。


「はい。そもそも、この日記のどこにもそんな記述はありません。日記が第1回から第8回まで順番に書かれているせいで、勝手に毎年書かれているものであると思い込んでしまっただけなんです」


 日記は毎年書かれていたわけではない。となると、全8回に渡って書かれている日記は、8年分というわけではないことになる。家族記念日自体は毎年行われていたようだが――。


「ならば、この日記は何年毎に書かれていたんでしょうか?」


 班目の質問は想定内だったのであろう。あらかじめ答えを用意していたかのごとく、やや早口になる千早。表情は変わらないが、少しばかり興奮しているように見えた。自然と上半身がカウンターから前のめりになっているのも良い証拠だろう。


「そこで振り返るべきは、ひとつめのポイントです。日記が始まったのは最愛の娘が16歳の誕生日を迎えた時です。つまり、家族記念日は最愛の娘の誕生日ということになります。ここで改めて考えてみます。どうして被害者は最愛の娘が16歳の誕生日を迎えた際に、キリが良いと記述したのでしょうか?」


 店の前を一台の車が通り過ぎる音が聞こえる。春先の夜冷えは真冬の真夜中のような寂しさを伴っているように思える。彼女のプライベートは良く知らないが、この店舗兼住宅らしき場所で一人暮らしなのだろうか。少なくとも家族の存在を見たことはない。改めて彼女という存在自体がミステリアスであることを認識しつつ、班目は口を開く。


「――さて、どうしてなんでしょうねぇ?」


 事件を持ち込んでおきながら、もっとも美味しいところを持っていくほど班目も馬鹿ではない。ここはあくまでもワトスン役に徹して、是非とも査定を終えた彼女にお任せしたいところだ。


「誕生日は毎年必ずやってきます。しかしながら、世の中には毎年同じ日に誕生日を祝えない方がごく少数ながらいます。こう言えばお分かりですか?」


 こちらはワトスン役に徹し、彼女に華を持たせようとしているのであるが、空気を読んでくれず班目に答えさせようとする千早。班目は少しばかり間を置いてから、さも今になって答えにたどり着いたかのような振りをした。


「――そうか、最愛の娘の誕生日であり、また家族記念日でもあったのは、4年に一度しかない2月29日だったってことですか」


 家族記念日は2月の29日。4年に一度しか訪れない特殊な1日だったのだ。


「はい。最愛の娘にとって16歳の誕生日は、4度目の2月29日だったんです。それ以外の年は、誕生日をするにしても2月28日か3月1日に行っていたのでしょう。純粋に2月29日に誕生日を祝える年だったからこそ、被害者はキリが良いと表現したんです。そして、被害者は正真正銘の2月29日に行った家族記念日のみをカウントして、日記に残していたんです。そう考えればキンモクセイのことも解決です」


 キンモクセイは挿し木という手法で育てた場合、最低でも5年は花をつけない。しかし、日記の中では第3回の家族記念日の段階で、その前年に花が咲いていたことになる。これも日記が4年周期で書かれていたことが判明すれば、あっさりと謎が解決する。


「第3回の日記が書かれた前年にキンモクセイの花が咲いている。最初に書かれた日記から数えると第3回は8年後――その前年ということは、実際はキンモクセイを挿し木で植えてから7年後に花が咲いていたということになる。なるほど、それなら筋が通りますねぇ」


 ひとつの綻びがほどけると、それらが連鎖するように一度に弾ける。この感覚を心地よく思えるのは、刑事としてのさがなのかもしれない。いいや、誰だって同じようなカタルシスを感じるであろう。


「ふたつめのポイントとなる、日取りがどうやら悪い年があるというのも、日記が4年周期で書かれていたものだと考えれば解決します。家族記念日の次の年は、当たり前ですけど2月29日がありません。だからこそ、被害者にとって必ず日取りが悪いことになり、家族記念日も前後してしまうのです」


 家族記念日は毎年行われていたようだが、しかし2月29日は4年に一度しかない。だから、他の年に家族記念日をやるのであれば、必ず家族記念日はその前後に動いてしまうのだ。日記は4年周期でしか書かれていないのに、その記述の中に前後の年のことが書かれてしまっているからこそ、混乱と矛盾を招いてしまったのだろう。


「ここまでくれば、みっつめのポイントとよっつめのポイントも解決します。第7回の日記で赤いチャンチャンコをプレゼントされているということは、その年に被害者は60歳だったことになります。そこから逆算します。第6回が56歳の時、第5回が52歳の時、第4回が48歳、第3回が44歳、第2回が40歳、そして最初に日記が書かれたのが36歳。ちなみに第8回が64歳の年に書かれたものということになりますから、この日記は被害者が36歳の頃から64歳にいたるまで――実に28年という歳月をまたいで書かれていたことになります」


 日記は28年に渡り書かれていたものだった。それを彼女はキンモクセイだけで見抜いたのだ。その洞察力には恐れ入る。いいや、彼女の場合は鑑識眼といったほうが名誉になるのかもしれない。

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