「次に次女。3人の姉妹の中で唯一、被害者の会社で働いています。しかも、社長秘書をやっているようです。当たり前ですけど2番目の妻との子で名前は新橋夏美しんばしなつみ、年齢は32歳。こちらも親権は被害者のほうにあったみたいです。高校を卒業した後、近隣にあるビジネスの専門学校へ入学。近場だったため、家からの通いで専門学校を卒業。そのまま父親の会社に就職しました。今から3年前に結婚し、姓も外丸から新橋へと変わった。その際に家を出て会社からほど近い場所に家を借り、現在は旦那と暮らしています」


 班目は横道に一切それることなく、ただ淡々と情報を千早へと流す。澄んだ瞳の千早。その瞳で見る景色には、どんなものが映っているのだろうか。


「で、最後は三女。外丸美雪とまるみゆき、年齢は22歳。3番目の妻の娘です。高校を中退した後、アルバイトを転々としているフリーターってやつですね。こちらも親権は被害者。昨年まで被害者と一緒に暮らしていたらしいですが、ある理由で家を追い出されてしまったらしいです。その理由が水商売で働き始めたことだったみたいなんですよ――」


 そこで言葉を区切る班目。千早は商売道具のノートに万年筆を走らせながら、班目の言葉を待っているようだった。


「雇われの家政婦の話だと、被害者は水商売を毛嫌いしていたみたいです。だから、水商売を始めた美雪のことをあまり良く思っていなかったみたいなんです。何度も水商売を辞める辞めないで揉めたらしいけど、結局どちらも折れなくて、最終的に被害者が家から美雪を追い出したとのこと。それ以来、美雪は友人の家を泊まり歩いたり、ネットカフェに泊まったりを繰り返しているらしいです」


 改めて思うが、異母姉妹とはいえ実にバラエティー豊かな面々である。無難に生きてきたとしか思えない長女、結婚してもなお被害者に近しいポジションに居座り続けた次女。そして、3人の中ではもっともできの悪い3女。誰が犯人なのかは特定できないが、この3人の中に犯人がいるのは間違いない。


「その3人の娘のうち、誰かが被害者を殺害したと――。ここで根本的なことをお聞きします。どうして、この3人の方が、容疑者として絞り込まれたのでしょうか?」


 そう言うと、万年筆をカウンターの上に置き、再び日記帳に手を伸ばす千早。ようやく日記帳を開き、見開きに書いてあるタイトルに気づいたのであろう。ぽつりと「家族記念日――」と、おそらく日記帳の持ち主であろう被害者がつけた日記のタイトルを口した。


「それは実際に通報があった際に、被害者が言っていたんです。これは後の捜査で分かったことなんですがね、どうやら被害者はキッチンで襲われ、その後リビングを経由して自分の書斎まで逃げたようなんです。その際に書斎の固定電話から警察への通報をしたわけですね。うーん、論より証拠といいますから、伝聞よりも実際に聞いてもらったほうがいいでしょう」


 班目はそう言うと胸ポケットへと手を突っ込み、小型のレコーダーを取り出した。このレコーダーの中に被害者とオペレーターのやり取りが録音されている。


「実際に通報があった際のオペレーターと被害者のやり取りを録音したものです」


 持ち込んだ日記帳だけではなく、レコーダーにも興味を示したのであろう。両方に視線を往復させつつ、最終的には日記帳のほうへと意識を戻す千早。内容を吟味ぎんみするように日記帳へと視線をやりつつ「再生していただいても?」と漏らす。もはや、どのようにして班目が録音データを持ち出したのかなどは興味ないのであろう。彼女の興味の中心にあるのは、殺害された被害者が遺した日記帳と、それにまつわるいわくの価値なのだ。


「もちろんです。査定のためならば協力を惜しむつもりはありませんから」


 班目はレコーダーに録音しておいた音声を再生する。ただでさえひっそりと静まり返っていた店内は、まだ冷たい春先の空気が漂っており、それに振動するかのごとくレコーダーの音声がやけに響いた。


「はい110番です。事件ですか? 事故ですか?」


 ややノイズの混じった入電音の後に、オペレーターの男性の声が入る。その問いかけに声をかぶせるようにして、切羽詰まった男の声が響いた。混乱しているせいか怒鳴っているかのような音量だ。


『どうして? あれだけ愛していたのに――どうして最愛の娘に殺されなければならない! あぁ、これは悪い夢だ。あの子が私を殺そうとするはずがない!』


 支離滅裂――とまでいかないが、声の調子から随分と混乱していたことが分かる。書斎に逃げ込んだ際にかけた電話だから、冷静でいろというほうが無理なのかもしれない。なんせ、書斎の扉の向こうには、ナイフを持った犯人がいたのだろうから。


「落ち着いてください。今、管轄の警官がそちらに向かってい――」


『あぁ! どうして? 娘に殺されるっ! 手塩にかけて育てたのに。どうして――どうしてっ!』


 オペレーターの声はまるで届いていないといった感じで、わめき散らすかのごとく叫ぶ被害者。ノイズが一層強くなるように感じるのは、班目の気のせいか。


「ま、まずは落ち着きましょう」


 本来ならば取り乱してはならないはずのオペレーターも、被害者の混乱が伝染してしまったのか、冷静さを欠いた対応をする。それほど、被害者は取り乱していたのだ。様々な負の感情だけを寄せ集め、それを電話口に向かって一気に放出しているようなイメージだ。


『――どうして? どうしてなんだ?』


 急に被害者の声が落ち着いた様子になる。いいや、恐怖に満ちた声に変わっただけなのかもしれない。それと同時に最初は遠慮がちに――そして果てには乱暴に扉が開け放たれる音が聞こえた。


『あぁぁぁぁぁぁぁっ! 愛していたのはお前だけなのに、どうして私を殺そうとする? そ、そうか。お前は私の娘の顔をした悪魔なのだな? そうに違いない! わ、私の最愛の娘が私を殺そうとするはずないのだから!』


 落ち着いた口調から一転して、混乱極まりかねない声を上げる被害者。精神的に変調をきたし、とうとう悪魔などという言葉を引っ張り出す。


 何かが倒れる音、揉み合うような音、男の低いうめき声――様々な音がした後、誰かが走り去る足音が徐々に小さくなって行き、そこには静寂だけが残った。


「もしもし――もしもしっ! 大丈夫ですか?」


 受話器の向こうで起きたことに、しばくの間だが固まってしまっていたのだろう。ようやく電話口に向かってオペレーターが問いかけるが、しかし静寂だけがしばらく続いた後、レコーダーは再生を終えた。


「これが容疑者を3人の娘とした根拠です。後の調べでも裏付けが取れているのですが、どうやら被害者は3人の娘のうち1人だけを溺愛していたようです。もちろん、表向きは3人とも同じように接していたようですがねぇ」


 レコーダーをポケットにしまいつつ言うと、千早は日記帳から目を離して顔を上げる。


「被害者は溺愛していた娘に殺害されたと――。では、誰が被害者から溺愛されていたかさえ判明すれば、おおよそのお値段をつけることができそうですね」


 はっきり言って、彼女の査定の基準というものはさっぱり分からない。しかしながら、事件という面で考えれば、彼女の言っていることはおおむね間違いではない。まだ彼女には伝えていないが、3人の娘にはそれぞれ動機がある。うち1人は被害者に溺愛されていたようだが、しかし3人揃って動機が存在する。ゆえに、誰が被害者から溺愛されていたかさえ分かれば、おのずと事件の犯人も分かるだろう――というのが、現時点での警察の見解だ。もっとも、それが誰なのか分からないから捜査も行き詰まっているわけだが。


 容疑者となった3人に事情聴取をしたものの、誰一人として被害者から愛されていたと認めた者はいなかった。むしろ、自分は愛されていなかった――と、3人揃って答えたくらいだ。


「えぇ、誰が溺愛されていたか分かれば――の話ですけど」


 班目の言葉に、千早は開いたままだった日記帳を閉じ、それを両手で持ち上げる。ハードカバーの表が班目に見えるような形でだ。


「それはきっと、この日記帳の中に答えがあるかと。まだざっと目を通しただけですが、おそらく誰が被害者に溺愛されていたかは分かると思いますよ」


 実にあっさりとした千早の物言いに、班目は拍子抜けしてしまった。まさか、今の話を聞いた上で、ざっと日記帳に目を通しただけなのに、もう彼女には答えが見えたのであろうか。


「もうほとんど査定は終わっていますが、今一度確認のため、日記帳のほうを改めさせていただきます。もう少しばかり、お時間をいただければと思います」


 千早はカウンターの中から小さなケースのようなものを取り出す。その中には何が入っている班目は知っていた。そしてまた、彼女がそれを取り出す時は、なかば査定が終わりつつあるということも知っている。


 ケースの蓋を開けると千早が取り出したのは、チェーンのついた片眼鏡。モノクルと呼ばれるものだった。それを左目へとつけると、日記帳へと視線を落とす。


「えぇ、気長に待ちますよ――。どうぞ納得行くまで査定してください」


 そんな彼女を姿を尻目に、班目は煙草を取り出そうとして店が禁煙だったことを思い出し、渋々と煙草ケースをポケットの奥に押し込んだのであった。

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