査定1 家族記念日と歪んだ愛憎【問題編】1

【1】


 査定が始まるやいなや、まず彼女がやったことは店を閉めることだった。今日はもう、班目の持ち込んだ品以外、買い取り査定をするつもりはないのだろう。思いついたように一度はめた手袋を外し、店先のシャッターを閉めに向かった彼女――猫屋敷千早。黒のセーラー服のスカートは今時らしく随分と短く、まだ春先だからなのか、そのすらりとした足は黒タイツで包まれていた。


「事件が起きたのは今からおよそ3ヶ月前。とある資産家が自宅にて他殺体で見つかりました。被害者の名前は外丸郁男とまるいくお64歳、不動産業で財を築いた男です」


 背伸びをしてシャッターを閉める小柄な千早の後ろ姿に向かって、事件のあらましをざっと説明する班目。驚かれるかもしれないが、これがいわくの品を買い取る――いいや、いわくそのものに価値を見出して買い取るという【猫屋敷古物商店】の査定のやり方だ。初めてこれを目の当たりにした時は面を食らったものだ。


 カウンターへと戻ると、店の電気を点けてから手袋をはめ直す千早。先に店じまいすることをうっかり忘れていたのであろう。その辺りはいかにも今時の女子高生といった具合なのであるが、しかし彼女は明らかに普通の女子高生ではない。黙っていても耳だけはしっかりと傾けてくる彼女に向かって班目は続ける。


「死因は刃物で体の十数箇所を滅多刺しにされたことによるショック性失血死。凶器は被害者自宅のキッチンにあったナイフだったことが判明しています」


 本来なら守秘義務のあるはずの捜査情報をベラベラと喋る班目。証拠品を古物商に持ち込む時点で刑事としてアウトであるが、しかし事件が迷宮入りするくらいならば、これくらいの泥かぶりは安いものだ。それに、あくまでも持ち込んだ品物を査定してもらっているだけ――という言い訳は、さすがに苦しいか。


「あ、私にはお構いなく。続けてください」


 持ち込んだ証拠品を取り出し、ハードカバーで装丁された日記帳を下から覗き込む千早。その表情はいたって無表情であり、相変わらず何を考えているか分からない。班目は一度咳払いをして注目を集めようとする。なんだか千早に聞き流されているように思えたからなのだが「風邪ならマスクをしてください。うつされたら困るので」と千早に一蹴された。まったくもって可愛げがない。顔立ちは整っているのだから、これで愛想でも良ければ男が放っておかないだろうに。


「事件が起きたのは真っ昼間――被害者の死亡推定時刻はおおよそ正午頃になります。独身の一人暮らしのため事件の目撃者はなし。娘が3人いますが、今は離れて暮らしているみたいですね。身の回りの世話は通いの家政婦がやっていましたが、この日はたまたま暇を出されていたようです」


 無表情のまま日記帳を食い入るように観察する千早。まだ肝心の中身に目を通す様子はない。表情がなく、また本人が妙に大人びていて感情を表に出さないからなのか、なんというか――千早はまるで精巧に作られた人形のようだ。これはかねてより班目が感じていたことだった。そんな千早は、ようやく日記帳から目を離して班目のほうへと視線をくれてくる。


「その通いの家政婦さんが、被害者の遺体を発見したのですか?」


 それに対して班目は小さく首を横に振った。


「本人から警察に通報があったんです。それを受けて駆けつけた派出所の警察官が、すでに死亡していた被害者を発見した次第です」


 これは未解決の事件の情報を一般人に漏らしているわけではない。あくまでも、持ち込んだ品を査定してもらうために必要な情報を並べているだけ。そう考えると、少し罪悪感のようなものが軽くなるということは、班目は自身でやっている行為がよろしくないことを自覚しているのであろう。あぁ、もちろん自覚している。


「被害者自らの通報ですか――。一点、気になる点があるのですが、今この場でお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 千早は日記帳を手に持ったまま、表情はまるで動かさずに問うてくる。その澄んだ瞳と透き通った声は、人形というよりも幽霊のようだ。これほど美少女で、しかも女子高生というブランドの幽霊なら、是非とも毎晩枕元に立って欲しいものだが。そんなことを考えつつ「えぇ、構いませんよ」と応じる班目。


「先ほど、被害者は独身の一人暮らしとおっしゃいましたよね? それなのに、娘が3人いるとはどういうことでしょう?」


 千早の問いかけに、班目は警察手帳を取り出した。デジタルが当たり前の世の中になったが、アナログな部分はアナログなままだったりする。手帳というアイテムがいまだに市場へと出回っているのも、アナログがアナログとしての地位を確立しているからなのであろう。


「実は被害者には三度の離婚暦があるんですよ。関係者の話によると、かなり奔放で女癖が悪かったらしいです。でもって、三度の結婚は全てデキ婚――子どもができてしまったがゆえにした結婚だったみたいです。勘の鋭い店主さんなら、もうお分りですよね?」


「3人の娘はそれぞれ母親が違う異母姉妹――ということでしょうか?」


 田舎の峠を越えた先にある山間部の集落は、夜になると文字通りひっそりと静まり返る。車が店の前を通り過ぎる音など珍しいくらいだ。せめて有線放送でも入れればいいのに、基本的にこの店は無音であり、そのせいか自分の声がやけに響くような気がした。


「ご名答。被害者には三度の結婚歴があり、また三度の離婚歴があります。単純に3人の女性と結婚したわけですねぇ。そして、結婚の理由は全てがデキ婚――ということは、少なくともそれぞれの妻に1人ずつ子どもを授かっていたことになります。それが、被害者の3人の娘。それでまぁ、話が本題のほうに向かってくれたからそのまま切り出すのですがね――事件の容疑者もまた、この3人の娘に絞られてるんですよ」


 班目の言葉に動きを一瞬だけ止める千早。一旦、日記帳を証拠品袋の中に戻して傍に置くと口を開いた。


「査定に必要な情報になるかもしれませんから、その3人の娘さんのことを教えていただけませんか?」


 班目が【猫屋敷古物商店】に持ち込んだ殺人事件――もとい、殺人事件の被害者が遺した日記帳。不動産業で財を築いた王を討ったのは、警察の見解では3人の娘のうちのいずれかである。ただ、そこで捜査は暗礁に乗り上げつつあった。


「――手短に説明します。本人達の顔写真などはありませんのでご了承を」


 そう断りを入れると「本人達の顔写真ですか。現時点では査定に影響はないかと」と、カウンターの中からノートを引っ張り出す千早。班目は知っている。そのノートの中には、これまで班目の持ち込んだ事件の情報が、あくまでも査定のために残されていることを。さしずめ、彼女の仕事台帳といったところか。万年筆を手にとって、メモを取る準備は万端のようだ。


「では、まずは長女――最初の妻との間に生まれた娘から。名前は外丸柊子とまるとうこ、年齢は44歳。両親が離婚した際の親権は、妻ではなく被害者のほうにあったようです。短期大学に入学する際に実家を離れていますね。短大卒業後は地元に戻りますけど、実家には入らずに近くのマンションで一人暮らし。独身でどこにでもいるような商社のOLってやつですねぇ」


 両親が離婚したとしても、子の姓は特別な届け出をしない限り、父親側の姓を名乗ることになる。それに、親権は被害者である外丸氏なのだから、長女である柊子の姓は外丸で当然だ。警察手帳をめくりつつ続ける班目。

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