猫屋敷古物商店の事件台帳
鬼霧宗作
査定1 家族記念日と歪んだ愛憎【プロローグ】
帰宅ラッシュの始まった大通りに車を走らせる。田舎の銀座通りは今日も混んでおり、なかなか車が前に進まない。最大の問題は、飲食店やらスーパーやらを作って栄えさせたくせに、肝心の道路がいまだに一車線であることだ。
通りに入って何店舗めかのパチンコ屋の前を通り過ぎる。どうして田舎というのは、こうもパチンコ屋が幅をきかせているのだろうか。都会に比べて娯楽に限りがあるとはいえ、あまりにもパチンコ屋の看板ばかりなのはどうかと思う。これでも、芸術祭などが行われるようになったことで、全国的に有名になった街なのであるが。
帰宅ラッシュとはいえ、混んでいるのは主要の道路だけ。そこさえ抜けてしまえば、びっくりするほど車通りが少なくなるのも、田舎特有の現象だといえよう。通りを左に曲がり、日本最長の信濃川にかかる
愛車のビートルはクラシックカーと呼ばれてもおかしくないほどの年季ものであるが、こまめにメンテナンスをしているおかげか、まだ現役で動いてくれている。思い入れがあるがゆえに、時代が平成から令和になっても手放せないでいる。そのハンドルを握っている彼は喫煙家なのだが、このビートルの車内は禁煙である。彼にしか分からないこだわりがあった。
――
誰が利用するのか不思議に思うのだが、しかし電気が灯っているのをしょっちゅう見かける市民体育館を通り過ぎれば、峠も折り返し。これまでのぼりだった道が、その先にあるトンネルの中でくだりになる。トンネルを抜けて、いくつかのスノーシェッドをくぐり、閉鎖してしまった廃ホテルの前を通ると、目的地はあと少し。目の前の景色が
真っ赤な橋を渡ると右手に道の駅が見えてくる。左手に折れると目的地なのであるが、とりあえず右手に曲がって道の駅に寄る。車から降りると閉店直前といった具合の売店に滑り込み、その場で焙煎してもらえるコーヒーを購入。山あいの道の駅ということもあってか割高であるが、ここのコーヒーが班目のお気に入りだった。
コーヒーを片手に喫煙スペースに向かうと、煙草をくわえて日をつける。刻一刻と夕方の様相を見せつつある景色を眺めながら、コーヒーと煙草を
煙草を吸い終えるとコーヒーをゆっくりと飲み干し、そして煙草をもう一本。これから向かう場所は禁煙であるし、自分の車もまた禁煙車であるため、吸い溜めのようなものだ。ニコチン依存者というのは楽ではない。
車に戻ると、常時積んでいる消臭スプレーを助手席から引っ張り出し、自分のスーツに吹き付ける。車に煙草の匂いがつくのが嫌なのだ。そんなことならば煙草をやめればいい――なんて、周囲は簡単に言ってくれるが、それができないのが愛煙家というものだ。
気の済むまで消臭すると、ようやく車に乗り込む班目。エンジンをかけると、車の時計を確認する。午後6時少し前。運が良ければ、もうあの店が空いているはずである。もっとも、あの店は固定電話も引いていなければ、ホームページなんてものもない。営業時間そのものが店主の気まぐれであり、下手をすれば営業していないなんてこともざら。峠をひとつ越えていることもあり、営業していなかった時の絶望感というものは例えがたいものがある。
どうか今日は営業していますように。班目は助手席においてある日記帳に
道の駅を出ると、そのまま道路を挟んで向かいにある集落へと入る。住宅の隣に当たり前のごとく田畑がある景色を尻目にゆっくりと車を走らせる。しばらくすると郵便局が見えてきて、そこを過ぎれば目的の店はすぐそこだ。駐車場がないため、目的の店を少し通り過ぎた先にある集会所に車を停めさせてもらった。都会なら怒られそうなものだが、土地が充分すぎるほどあり、また寛容な田舎であるせいか、注意をされたことはない。むしろ、たまたま集会所でやっていた寄り合いに誘われたことがあるくらいだ。
集会所から見える目的の店には、夕方ということもあり明かりが灯っている。その光景を見て安堵の溜め息をひとつ。どうやら今日は営業してくれているようだ。署から秘密裏に持ち出した証拠品を片手に店へと足を速める。
春先とはいえまだ日は短く、辺りは薄暗くなりつつあった。班目の歩く先には、街灯にぼんやりと浮かび上がる古びた木造の建物がひとつ。随分と年季の入った建物の二階部分には【
店の入り口はガラスの入った引き戸であり、その引き戸にも【猫屋敷古物商店】の文字が入っている。中を覗くが相変わらず辛気臭いというか、電気の明るさが足りないせいか、妙に薄暗い。家の古さも相まってか、やや不気味にさえ思える。
引き戸に手をかけると、遠慮がちに引き戸を開ける。カラカラカラと音を立てて引き戸が開くと、独特の匂いが鼻をつく。確かここの店主が好んで焚いているお香の匂いだったと思う。
店内には陳列棚が所狭しと並んでおり、実に様々なものが置かれている。例えば、小さな子どもが好きそうな玩具だとか、柄に綺麗なデザインが施されたナイフだとか、はたまた随分と古びた本や、小さな仏像まである。また、それらしく骨董の壺なんかもあるが、そのどれにも値札はつけられていなかった。もっとも、班目の目から見ればガラクタの山であり、金を出して買おうとは思わぬものばかりなのだが。
「ごめんください」
引き戸を閉めると店の奥に声をかける。すると店の奥から「どうぞ――。いらっしゃいませ」と、透き通った女性の声が聞こえた。
「それじゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらいますよ」
班目はオールバックに決めた髪の毛を触ると、店の奥へと進む。店の奥には古びたカウンターがあり、そのカウンターの中に店主の姿があった。いつもと変わらぬ様子で本を読む姿は、接客する気があるとは思えない。
「聞き覚えのある声だとは思いましたが、やっぱり班目様でしたか。今日もまた何かをお持ちいただいたのでしょうか?」
ぱたんと本を閉じると、カウンター越しに班目のほうへと体を向ける店主。すらりと伸びた黒髪は後ろでひとつにまとめてある。ポニーテールなんて呼ばれる結びかただったと思う。整った顔立ちの中でも透き通るように澄んだ瞳には、なんだか吸い込まれそうな魅力がある。今日も学校から帰ってそのまま店を開いたのであろう。黒のセーラー服姿のままだ。また、春先で寒いのか薄手の白いマフラーを首に巻いていた。いや、よくよく考えるとオールシーズン、白いマフラーを巻いているような気もする。
「わざわざ聞かずとも分かってるでしょう? 私がここに来るってことは――そう言うことですから」
班目はカウンターに歩み寄ると、証拠品袋に入ったままの日記帳を差し出した。
「こいつを買い取ってもらいたいんです。じっくりと査定した上でね」
店主は日記帳を手に取ると、少し離して眺めてみたり、下から覗き込んでみたりと、文字通り様々な角度でそれを眺める。
「少し査定にお時間をいただくことになります。それに、査定のためにご協力をお願いすることもあるでしょう。こちらの台帳にご記入をお願いします」
店主はそう言うと、カウンターの中から台帳を引っ張り出し、それと万年筆を班目の目の前へと置いた。随分と古いやり方であるが、リサイクルショップでいうところの買い取り申込書のようなものなのであろう。何度も書くようなものではないと思うのだが、仕方なく記入する班目。顧客台帳もあるはずだから、それで管理できないものか。
「では、これでいいですかね?」
班目は記入を終えると、万年筆と台帳を店主のほうへと返した。その台帳に目を通すと、店主は証拠品の日記帳と見比べる。
「殺された被害者が遺した日記ですか。しかも事件は未解決。これはとんだいわくつきですね――。早速、査定させていただきます」
この店は、いわくつきの品物しか買い取らない。なぜそうなのかは知らないし、その基準は店主の中で色々とあるようなのだが、この【猫屋敷古物商店】に普通の品物を持ち込んだところで門前払いされるのが関の山である。
「えぇ、是非ともお願いします」
古物商で中古品を買い取る際、大抵は品物の状態を確かめるための査定を行う。この【猫屋敷古物商店】でも、買い取りの際に店主が査定を行うわけだが、その査定のやり方が明らかに他のリサイクルショップとは違う。
「ご希望のお値段をつけることはできないかもしれません。その時は買い取りのキャンセルも受け付けますが、 場合によっては査定手数料をいただく場合がございます。あらかじめご了承ください」
この店はいわくつきの品物を買い取る。むしろ、いわくの背景を紐解き、そこに価値を見出してから買い取るのだ。班目の持ち込んだ日記帳は、未解決である殺人事件の被害者が遺したいわくつきのものだ。査定のためにいわくの背景を紐解くということは――もはや、班目が日記帳を持ち込んだ理由は明確だった。
「えぇ、それで構いませんよ」
班目がそう返すと、彼女は「では、失礼します」と、白い手袋をはめる。続いて証拠品袋から日記帳を取り出しつつ続けた。
「――このいわく、しかと値踏みさせていただきます」
店主は顔を上げると、その澄んだ瞳を班目に向けたのであった。彼女の名は
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