革命

 既に日が西に傾いている。私とアキは東の海岸付近にある地下倉庫に行き、アキにノアに関する説明を行うところだった。ノアは円柱の棒に等間隔で円が三本ほど通しているような外見をしている。円と円の間には頑丈な収納式のずっしりとした三本の足が生えており、ノアを支えていた。


「君ならノアの形状を見れば分かるだろうが、この外側にある円が回転して疑似重力を生み出すようになっている。そのためノアの内部は常時火星と同程度の重力が発生している」


 私はそう言って円柱の側面にあたる部分から伸びている収納式の階段を上り、重厚感のあるドアの前に立つ。ドアを開くには暗証番号と電子キーが必要となるので、アキに暗証番号を教え、電子キーを渡した。アキはそれらを用いてドアを開ける。


 私とアキの目には微かな光しか存在しない、人五人が並んで歩ける程度の広さの通路が映った。私はアキに電気を付けるスイッチの位置を教え電気をつける。通路を五分ほど真っ直ぐ進んだところにあるドアを開け、その部屋に入りノア内部の詳細な説明を始めた。


「操縦等のノアの管理は人工知能が勝手に行ってくれるからそこは安心してくれ。ここがリビングに当たる場所で、端に簡易的なキッチンがありお湯くらいなら沸かせる。そしてリビングの奥に見えるドアの近くにある赤い椅子だが、あれはノアが地球から旅立つときの負荷を人間が耐えるための椅子だ。後でノアの説明書を渡すが、ノアが離陸するときは必ずあれに座って安全装置を付けてほしい。ここまでは大丈夫かい?」


 アキが頷くのを見ると説明を続ける。


「奥に見えるドアが人工知能管理室になっているが、ここは基本入っても何もすることがないし、入らない方が良い」


 簡易的にリビングの説明を行い、睡眠室の説明へと移行する。


「右のあそこにあるのが睡眠室だ」


 睡眠室に近づくと灰色のドアが無音で横に滑る。そこには人六人がギリギリ寝そべることができるスペースがあり、中央に棺を彷彿とさせる長方形の箱が存在した。


「部屋の中央にある棺のような箱があるだろう。あれは旧人類で言うところのコールドスリープ装置、長時間睡眠装置さ」

「ワタシに睡眠は必要ありませんよ?」

「確かにそうなのだが、今回の宇宙飛行は例外だな。次の地球が見つかるまで最低でも五万年はかかると予想される。最低でもだ。その長い年月宇宙空間にたった一人という孤独に、心を持つ者が耐えられないことは容易に想像できる。そのためこの装置を造った」


 私は長時間睡眠装置の傍まで近づく。


「これの使用方法はシンプルで、横にあるボタンの内の赤いボタンを押すと、五分以内に君が装置の中に入れば電気信号が送られ君は眠れるようになっている。ただ注意してほしいのはこれで寝てしまうと目が覚めるのは次の地球についた時か、ノアに異常事態が起こった時になるので、使用するときはそれを承知した上で使用してくれ」

「了解しました」

「さて、もう一度リビングに戻ろう。紹介し忘れていたものがある」

「右前の角に当たる部分ドアがカウンセリング室だ」

 

 カウンセンリング室に足を踏み入れる。カウンセリング室は人がリラックスできる作用のある甘いのだが甘すぎない絶妙な調整をされたアロマの匂いが充満していた。


「そこのソファーに座って、右の手すりにあるパネルに触れるとホログラムが起動し、カウンセリングAIのリラが映し出されるようになっている」

「今日はどうされましたか?」


 リラが子供アニメのマスコットキャラのような音声を発する。


「と、このようにリラが起動するからリラに悩みや愚痴を話すといい。リラは患者の悩みや愚痴に寄り添ってくれる。これはこれからの君の道中で必ず役に立つはずだ」

「今日はどうされま……」

 

 終了表示を押しホログラムは空気に霧散する。


「さて、まだ紹介する場所がある」

 

 リビングを出て通路に戻り、通路を一分ほど入り口の方向に進む。曲がり角を左に曲がり更に一分ほど歩くと突き当たりに白いドアがぽつんと設置されていた。


「……ここは?」


 その部屋には白しかない。白い壁に白い床に白い天井、白い机に白いソファーに白いベッド、とにかくこの部屋は全てが白で構成されており、美術作品のような部屋であった。


「ここは体験型のシアタールームだよ」


 私は白い机の傍に寄り、机の淵にある白色のスイッチを押す。すると机から縦一メートル横二メートルのホログラムが展開され、そこに大量の映像作品のパッケージが表示される。


「そうだね。無難にこれにでもしようか」


 私はホログラムに表示されていた2001年宇宙の旅のパッケージを押す。


「これは……素晴らしいですね」


 アキは感嘆の言葉を吐いた。


 白で構成されたシアタールームは一瞬で宇宙へと変貌した。壁も床も天井も机もソファーも2001年宇宙の旅に取り込まれ、少し経って2001年宇宙の旅を象徴する壮大な音楽がシアタールームを包み込む。


 私とアキはしばらくクラークとキューブリックの世界に浸った。しばらくして、私は時間があまりないことを思い出し上映を止める。先ほどまでの世界は何処へやら、白い空間に私たちは引き戻された。


「……と、映像作品を360度全方位で楽しめるようになっている。これはこの船一番の娯楽施設だね。他にも数え切れないほどの映像作品がここで体験できるので、長い旅のお供として活用してくれ。個人的には1917などの戦争体験型映画など臨場感があっておすすめだな」


 白い空間に一瞬の空白が訪れ、私がその空白を埋める。


「さて、これでとりあえず粗方は説明したが、最後に君にとっても私にとっても一番重要なところに案内しよう」


 シアタールームを出てリビングに続く通路へと戻り、リビングと反対方向のノアの入り口の方向に三分ほど歩く。そこには先ほどまでのスライド式のドアと比べ物にならないほど強固な、開けるのに電子キーと暗証番号を用いるドアがあった。


「ここは貨物室だな。大量の保存食や水、銃器やパーツごとに分解した作業用ロボット、あとは簡易的な組み立て式の住居。そして、

「ワタシの仲間……」


 アキが何かを噛み締めるように呟く。


「貨物室のドアの開け方は入り口と同じだ。君に渡した電子キーと、先ほど教えた暗証番号で開けられる」


 私が貨物室への入り方を説明すると、アキはすぐに電子キーを通し、暗証番号を打ち込んだ。強固なドアは音を立てずに静かに横に滑った。


 貨物室の中は光が通っていないため私にとっては不便な場所であるのだが、アキは自身に暗視機能が搭載されているため、光をつけるのも忘れ貨物室の奥へ奥へと進んでいく。


 私はその様子に少し呆れながら、貨物室を光で満たしアキについていく。

 貨物室の最奥部にそれはあった。他の貨物とは明らかに異なる空気を醸し出し、それは頑丈な物質で保護されていた。


「この中に、ワタシの仲間が眠っているのですね」

「そうだね。目覚めを今か今かと待ち望んでいる君の仲間が眠っているよ」


 アキは微かに笑い、刹那微笑が不安を感じさせる表情になる。


「博士……果たしてワタシは新たな仲間と良い関係を築くことができるでしょうか?」


 アキの不安そうな表情は一層深みを増し、アキは話を続ける。


「ワタシは自身の他者と関係を築く能力に心配があります。ワタシが生まれてから会った生きている人間は、博士とキャチーさんだけでした。それにキャチーさんはその日の一時間ほど話しただけで、それ以降お会いしておりません。後の時間は全て博士との日々です。そして博士はお世辞にも社交性があるとは言えませんし、創作物やドキュメンタリーなどを見ると博士が一般的な人間と違う感性を持っていることも容易に想像できます。

 博士と過ごした日々が素晴らしいものだったことは、否定しようのない事実です。ただワタシは博士しか人間を知らない。キャチーさんは関係を築いたとは言い難く、ワタシが関係を築けた存在は博士だけなのです。生きた人間に関しては博士のデータしかありません、その状態でワタシの仲間と関係を十分に築けるでしょうか?

 ワタシはそれがとても不安です」


 その言葉は私の表情筋を動かすには十分だった。


「……博士?」


 私の口角が頬を押し上げ、目を微かに細める。

 私はアキの言葉に笑みを抑えきれなかった。


「君は本当に人間らしいね。今みたいに自己分析が苦手なところも実に人間らしい」


 ゆったりとした調子で言葉を繋ぐ。


「確かに、君は生まれてからの七割以上の時間を私と暮らしてきた。私という存在だけが君の人格に影響を与えたとするならば、君のその不安は正しい。まあその不安を抱いている時点で私だけが君の人格を象ったわけではないことは明白なのだがね。

 だが君の人格を形成していったのは私という存在だけではない。もちろん君の好奇心旺盛な部分や未知が好きな部分、私と君の創作物の趣味が似通っている部分は言うまでもなく私の影響なのだが、君の思いやりの心や私より社交性がある部分は私の影響だとは言えない」


 私は電子端末をポケットから取り出し、電子書籍の本棚データをホログラムとして展開させ、大量の本の表紙が映し出されている画面をアキの視界に入るようにする。


「君のそういう、俗に言う優しい部分はこういう書物、そして……」


 次に私は映像作品のデータを展開させる。


「これらの映像作品などから来ているものだろう」


 私はホログラム展開を終了させ、再度アキに視線を向ける。


「小説から学んだことはたくさんあるや、映画から学んだことはたくさんあると創作物に心を奪われたものは良く口にするが、あながち間違いでもなかったようだ。その証拠として思いやりのある君がそこに立っているのだからね。

 正直私は創作上の人間という不完全なもので君が人間の感情を学ぶことができるか疑問を抱いていたよ。だが最近になって創作上の不完全な人間だからこそ、大袈裟に表現された人間の感情が君に取り込まれたのだと理解したよ。小説という媒体が一番良い例だと思うが、小説は人の感情を言語化してくれる。言葉という確実に定義のあるもので表現してくれるからこそ、君は感情を学ぶことができたし、感受性を育むことができた。私達は幼少期の実体験や親との関わりで人格を形成していったが、君は生まれてすぐに言葉が理解できたので、創作物から人格を形成していった」


 瞬間言葉を切ってからアキに問いかける。


「アキ、君が読んできた小説や君が観てきた映画は取るに足らないものだったかい?」

「いえ、そんなことはありません。どれも素晴らしい作品でした」


 アキは即答する。


「君はそれらから何も学ばなかったのかい?」

「いいえ、そのようなことは」

「それを理解しているならできているはずだよ。仲間との良い関係の築き方をね」


 私はアキの胸の部分に軽く拳をあてた。


「これがどういう意味か分かるかい?」

「状況によって意味が異なる動作だと思いますが、この状況だと私を鼓舞しているのでしょうか?」

「正解だよアキ」


 私がそういうとアキは微笑んだ。


「ありがとうございます博士。不安は拭えませんが、ワタシにできることはやってみます」

「そうか。応援している」


 先ほどより強く拳をアキの胸の部分にあてる。アキは拳の強さに一瞬戸惑ったようだが、その意味を理解しているためか表情は柔らかかった。


 その後アキの私物をノアに詰め込み、アキにノアの説明書をデータとして送信した後、アキが地球を脱出するまでの時間アキと最後の対話をした。その時にアキが入れたコーヒーはいつも通りの味わいであった。



 夜の六時三十分、その時はやってきた。ノアが収められている地下倉庫のハッチが開き、ノアが途方もなく長い旅を始めるための準備運動の音が地下倉庫付近に鳴り響く。


 ノアの全体の統括を担当する人工知能が、各機能担当の人工知能達に異常がないか問いかける。その問いかけに各人工知能が自身の担当に不備がないかを確認して、結果を応答する。そのやりとりの記録は全体の統括を担当する人工知能の膨大なデータベースに収められ、何か異常があった時に過去の記録をそこから遡れるようになっている。


 全ての確認は十分ほどで終わり、ノアは準備運動の期間から本番に向けての精神統一の期間とでも言うように静かになった。


「博士、どうやら全ての準備が終わったようですので、ワタシはそろそろ行こうと思います」


 総括担当の人工知能の報告を確認していたアキが、ノアから一度出てきて私に告げる。


「そうか。早いものだね」

「……はい」


 心なしか寂しそうなトーンでアキは返事をする。


「アキ、今どんな気持ちだい?」

「博士ともう二度と会うことができないと思うと寂しいですが、それと同じくらいにこれからのことを考えると気分が高揚します」

「それは良かった」


 心の底からそう思った。


「この新人類の旅立ちの日に君が悲しみに打ちのめされるのは、私としても嬉しくない」

「博士ならそういうと思いました」


 アキがにこりと言い、私に右手を差し出してきた。これが別れの握手だということを瞬時に理解した私は右手を差し出し、私とアキは同時にお互いの右手を握る。


「今まで育てていただきありがとうございました。この御恩と博士と過ごした地球の素晴らしい日々をワタシは一生忘れません」


 アキは握手している私の右手を見つめながら感謝の言葉を告げる。


「こちらこそありがとうアキ。私もそれなりに長い人生の中で君と過ごした時間が一番楽しかったよ。そして、私の意志を、希望を、そして浪漫をよろしく頼む」

「はい。しっかり」


 私はアキの言葉に頷き、ゆっくりとアキの手を離す。アキもそれに釣られるように私の手を離した。


 アキはノアの方に体を向け、ノアから伸びている階段を一歩一歩上がっていく。


 一体アキとその仲間たちは次の地球でどのような文明を築くのだろうか? どのようなことが待ち受けているのだろうか? 私は浪漫に満ちた想像をしながらアキの背中を見つめる。


 アキが電子キーと暗証番号を使いノアの入り口を開ける。そこで私は最後にと声を張り上げて一度アキを呼び止める。


「アキ、最後に一つだけ」

「なんでしょうか?」


 アキは振り向かずに私の言葉に反応する。


「君とその仲間の名称だが、新人類というのも味気ないしスターチャイルドというのはどうだろう?」


 三秒ほど間が抜けた後、アキは笑った。こみ上げてくる笑いを抑えきれないように、くつくつと笑った。


「それはとても洒落が効いてますね博士、次はルナリアンとでも言うおつもりですか?」


 そのアキのジョークに私も笑った。こみ上げてくる笑いが抑えきれずに息を吐いて笑った。


「それも良い提案だな。まあ名称は君たちで決めてくれ、今のは私の案だ。時間をとらせて悪かったね」

「分かりました。博士の案、参考にさせていただきますね」


 笑みが乗った声でアキは言い、ノアの中へと姿を消す。

 最後の別れに涙も深い悲しみもなかった。そこにあるのは少しの寂寥と壮大な浪漫であった。


 ノアの入り口が閉まり、階段は収納される。プシューというノア内部の気圧を調整する音が聞こえ、ノアを支えている発射台が天に伸びていく。地下倉庫のハッチからノアが地上に姿を見せ、私はそれを確認すると三次元エレベーターを使用し地下倉庫から森の展望台に移動する。展望台は地下倉庫から700メートル離れているが、地上に出たノアの全貌はよく見えた。


 地上に出たノアはエンジンを徐々に震わせ、轟音が島をのっとる。轟音が鳴り響いて三分ほど経つと、ノアは轟音を更に轟かせ上昇した。


 大量の煙と激しい光を地球に残し、地球脱出船ノアはアキと壮大な浪漫を乗せて暗い宇宙へと旅立った。


 私はその光景を一秒一秒を脳に焼き付けるように見た後、感嘆の息を漏らして笑みを浮かべた。












 












 2104年、地球消滅当日朝八時五十分。


 地球の衛星の地中に設置されていた使い捨ての巨大なレーザー砲が青白い光を蓄え始める。レーザー砲は太陽光をエネルギーに変換して時間と共に青白い光を肥大化させ、レーザー砲が発射される直前には、その光は地球から見たら太陽と同等の光を発しているものとなっていた。


 朝九時ちょうど、青白い光は解き放たれた。レーザー砲が発射され地球は白に包まれ、本来漆黒なはずの宇宙はその時だけ純白へと変化し、四十六億年の地球の歴史が幕を閉じた。

 

 そしてそれと同時にミレニアム星人の、星を破壊する人気テレビ番組もエンディングに入ろうするところであった。現場リポートのキャチーが「それではスタジオにお返しします」と陽気に告げ、スタジオにいるベテラン司会者がエンディングトークを始めた。











 













 十万年後、旧人類の生き残りである権力者達は次の地球へと辿り着いた。

 

 コールドスリープから目覚めた彼らは喜びに打ち震え、抱き合い涙を流す。そこには年齢、性別、人種全ての垣根を越えて一致団結した旧人類が存在した。

 彼らは希望を胸に次の地球への第一歩のためにノアの入り口を開ける。


 そこは平原だった。近くに川があり、川の向こうには森があった。彼らの中の一人が川の向こうの森に白い人工物のようなものが見えると言い、その言葉に彼ら全員が注目し、川の向こうの森を見つめた。


 しばらくすると森から、瞳から微量の青い光を放っている中性的な顔立ちの人間が三人現れた。


 その中のリーダーらしき人物は他の二人からアキと呼ばれていた。


 アキと呼ばれる人物の青い瞳が権力者達に焦点をあてる。


 旧地球から遥かに遠い次の地球で、


  

                             革命前夜『END』

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革命前夜 つぎはぎ @tombo1

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