革命前夜②
地球消滅前日、私はベランダデッキのアウトドアチェアに座り、なびく白い雲の先に見える宇宙を眺めていた。
するとしばらくしてベランダデッキにアキが来て、寂しそうに私に話しかけてきた。
「今日で、地球が消滅してしまいますね……」
「そうだね。……怖いかい?」
私は視線を変えずにアキに問いかける。
「どうなのでしょうか? きっとこの感覚は寂しいというのが適切だと思います。というよりも、ワタシは怖いという感覚を知りません」
まあそれはそうだろう。アキは今まで恐怖をするような体験をしたことがない。いきなりコップが割れても恐怖するより冷静に原因を探すだろう。
アキは人間が一度は体験したことがあるちょっとした命の危機を体験したことがなかった。アキは風呂に入らないので風呂で溺れかけたことがない。床に流れたシャンプーが混じった水に、足を滑らせ転倒しかけたことがないのだ。そしてもちろんアキは階段で足を踏み外して頭から転倒したこともない。アキはそんなミスを犯さないし、仮に犯したとしてもアキは一切損傷しない。
「何故寂しいと思うのかい?」
「博士と過ごせなくなると思うと寂しいですし、この美しい風景がもう見られなくなると思うと寂しいです。それにまだこの世界を味わい尽くせてないことが、とても寂しいです」
「じゃあ聞くがアキ。もし今ここに地球脱出船があるとしたらそれに乗って宇宙に旅立ちたいかい?」
「それはもちろんですよ」
アキはオーバーリアクションで反応した。
「そうか。アキ、君は自分のことをどう認識している?」
ここで私は宇宙を眺めるのをやめ、アキの方に椅子ごと体を向ける。
「博士に造られたロボットです」
「そういうことじゃない」
アキは首を傾げ、理解ができないといった表情をする。
「君自身の存在理由をどう思っている?」
アキは顎に手を当てて考える仕草をする。この仕草は私を観察してアキが身につけた仕草であった。
「博士も歳ですからお手伝いロボットでしょうか? それとも単純に博士の孤独を埋めるための人間代理でしょうか?」
その言葉に私は少し苛立ちを覚えるが、アキは私の表情の微妙な変化を捉えてその苛立ちに気が付く。
「冗談なのであまり怒らないでください。ワタシは博士のことをよく理解しています。そうでなければワタシと博士が今日まで心地よい日々は送れなかったことを理解しています」
「ロボットジョークかい? 洒落てるね」
アキがジョークを言うようになったのは最近のことではないが、ロボットの口からその状況に応じたジョークを聴けるのは新鮮味があった。
「それで、先ほどのワタシの存在理由に関する質問ですが、起動し存在すること自体がワタシの存在理由だと考えています」
「というと?」
「ワタシは博士の成果物です。感情を持つロボットの存在はワタシが初めてなわけで、博士は感情を持つロボットというものを観察したいんですよね。ワタシが起動し、感情を産み出すその結果の行動が見たい。ワタシは博士の貴重なモルモットとしての存在理由があると思います」
流石だ。私のことをよく理解している。私はアキを貴重な資料として見ている。アキが人間に反乱を起こし、ロボットがこの世界を支配してもどうでもいい。大事なのは
「正解だよアキ。私は君のことをモルモット……というよりも貴重な資料として認識していた。ショックかい?」
「いえ別に。言ったじゃありませんか、ワタシは博士のことをよく理解していますと。別に博士は私が博士を殺しても構わないのでしょう?」
「まあ私も無意味な抵抗はするが、別に構わないね。大事なのはアキの行動の結果ではなく行動自体だ。ただ、そんなことしないだろう? 私だって君のことをよく理解しているつもりだよ」
そう言うとアキは微笑む動作をした。私はそれを確認してから今の話を一旦纏める。次の話へと円滑に進めるためだ。
「さてアキ。君の存在理由はさっき確認した通りだ。君は貴重な資料であり、私にとっては君の行動の結果よりもその行動自体に興味がある。例えばだが、君が今から私を殺したとして私が死んだとしよう。私にとっては私が死んだという結果よりも、君が私を殺すという行動の方に関心があるわけだ」
「そこは理解していますが、一体何を言おうとしているのですか?」
「君の頭脳でもわからないかい?」
私は少しおちょくるような口調で言った。
「博士のことを理解しているからと言って、心を読めるわけではありませんから」
「違うニュアンスに聞こえるかもしれないが、本題を言おうか」
私はアキの微かに青い光を纏っている瞳を見据え、私の願望を告げることにした。
「アキ、私は君に生きていて欲しい。私が死んだとしてもね」
「それはワタシの事を大切だと思っているから、というわけではありませんよね?」
「ああ、もちろんだとも。これは君の身を案じてというわけではない、まあそういう理由もないとは言えないが、それがメインではない」
私はここで話にスタッカートをつける。一瞬ふわりと風が舞い、私の白髪を掻き上げる。私は風が治まったのを確認して話を続けた。
「私はねアキ、君に可能性を感じているのだよ。二年間という短い期間で君は完璧に人間となった。正直言うと人間より人間らしいと言えるし、馬鹿な言い方だが私は君が今の人間の立場を取って変わって新しい人間になると思っている」
今の人間はダメだ。絶対的な終末が近づいた地球の人類たちは終末論も忘れ、ただただ欲望のままに生きる獣と化した。獣同士で殺し合い外の世界は地獄となっている。
そして地球消滅を全人類が知る前の人間もダメだった。別に人間が感情を失ったわけではないが、日常に機械が導入されるにつれ人間の行動が機械化していき、それに伴い心も機械化していった。
心の機械化というのは何も感情が薄くなっただけではなく、他人の心を想像しなくなるという現象が起きていた。
「アキ、君のその心は人間より輝くものだ。まだ感情豊かとは言えないかもしれないが、豊かな事が大切だという訳でもない。それより大事なのは思いやりだ。君は他人の心を想像して人を思いやることができる」
私はアウトドアチェアから立ち上がる。海独特の匂いのある風が鼻腔をくすぐり、先ほどまで頭にしか当たってなかった風が上半身に降り注ぐ。
「東の海岸の方にノアという地球脱出船が入っている地下倉庫がある」
「……話は読めましたよ博士。ワタシにそのノアに乗って消滅から逃れろというのですね?」
アキは私のことを理解していると豪語するに相応しい早さで、私の考えを読み取る。
「その通りだ。ノアは第二の地球を見つけるまで宇宙を彷徨うようにできている。私が君にお願いしたいのはその第二の地球が見つかった時のことだ。ノアには九人の君の仲間がパーツごとに分解されて眠っている。彼らを起動してその星で新しい君たちの文明を築いてほしい。きっとそれには膨大な時間がかかるだろうが、お願いできるかな?」
私は私の願望を、私の心を満たしている壮大な浪漫をアキに伝えた。
「それには博士もついてくるのでしょうか?」
答えは分かっているだろうにアキは私に問う。
「私は行かないさ。これからは君たちの時代だということを私は君を見て確信した」
「この話に拒否権はありますか?」
「ない……と言いたいところだが、君がどうしても嫌だというならば強制はしないよ。大事なのは君の意思だ。ここで私が君の行動を強制してしまったら、君はただのロボットになってしまう」
「ワタシはただのロボットではないと?」
アキは首を傾げる。
「君はロボットではない。そうだね、言うなれば新人類だよ」
新人類を強調するようにアキに告げる。
「新人類……」
アキは繰り返す。
「そうだ。君は体が丈夫で病気にかからず、身体能力知力ともに旧人類より遥かにすぐれ、何より心を宿した新人類さ。そしてアキ、君が新人類のアダムとイブを担うことになる」
私は畳み掛けるようにアキに言う。
「私は今少年のようにワクワクしているよ。ロボットが感情を持ち新人類として新たな文明を築いていくなんて、SFも顔負けの未来の可能性が存在する」
興奮に体が震え、私の言葉に熱が籠る。
「博士は本当にいいのですか? その現場を見なくても」
その問いに一瞬言葉が詰まる。
「……いいさ。ついていきたい気持ちもあるが、私という旧人類はここで消滅した方が美しいし、新人類の良いスタートを切れるだろう。それより答えを聞かせてくれ、どうだい? 君はノアに乗り新人類として生きてくれないかい?」
「博士、ワタシはロボットです。確かに感情を持っていますが、だからと言ってロボットだということを忘れている訳ではないですし、新人類だとしてもロボットという絶対的な事実は変わりません。ワタシは博士のロボットだということを自負しています」
アキは自ら意識的に私の瞳に自身の瞳を重ねた。
「アイザック・アシモフと言えば博士はワタシが何を言いたいかわかると思います」
その言葉に私は眉を顰めずにはいられなかった。
「何が言いたいかはわかるが、それが私の願いを断る理由なのだとしたら、私はその理由を認めたくないな」
アキが人間である私を置いて消滅する地球から脱出するシナリオ、ロボットとしての自負という言葉、そしてアイザック・アシモフ。アキが私の頼みを断る理由は十中八九ロボット工学三原則だろう。
「何故でしょうか? それはワタシにとって行動指針となるものです」
「ということはあれかい? それが行動指針ということは、君がノアの存在を知った今、君は私をノアに強制的に乗せて私と君は第二の地球まで旅立つのかい?」
「そうなりますね。人間の安全が最優先事項となりますから」
深いため息をつかずにはいられず、肺の空気を半分以上消費する。深いため息を終え、呆れながらも私は言葉を発した。
「……アキ、君が私のことを理解しているというのはどうやら嘘だったようだね。もし私が君のことをただのロボットとして存在させるとするなら、ロボット工学三原則を最初から君に組み込んでいる。あえてそれをしなかったのは何のためだと思っているんだい?」
私のその言葉にアキは力強く返答する。
「そのことは重々承知しています。ワタシという貴重な資料を何にも縛られていないクリーンな状態で観察したかったのですよね。感情を持ったロボットがどのように思考し行動するかを観察したかったららですよね。再度言いますがそのことは重々承知しています。ですが、その思考と行動の結果がロボット工学三原則に行き着いたことを博士には理解してほしいです」
アキは私に食い下がるが、私はそれ以上に食い下がった。
「それは私も理解はしている。別に君がロボット工学三原則が好きでも構わない。ただ私が君に言いたいのは君はもうロボットではないということだ。ロボットというのは人間の命令を聞き作業を行う傀儡のことだが、君は操り人形ではなく自律した意思を持つ存在だ。思い出して欲しいが私が君に命令をしたことがあったかな?」
「命令という強制はありませんでした」
アキは即答し、その返答を聞くや否や私は攻勢を開始する。
「私が君にしたのはお願いという形だ。一度も命令という形を使ったことはない。何故なら私は君のことをロボットという枠組みで造ってないからね。確かに人間や動物を模した形状を持つ機械という意味なら、君がロボットだということは疑いよのない事実だが、私が言いたいのはそういうことじゃないのはわかるだろう?」
アキが答えるのを待たず、私はアキの自身の認識を変えるために更に攻勢を続ける。
「しつこいようだが、人間の命令を何も感じずに聞き入れ作業する機械をロボットだとして、ロボット工学三原則のロボットはこの定義に当てはめられたものだと私は解釈している。ただ君はこの定義には当てはまらない。
ロボット工学三原則のロボットは人間や動物を模した形状を持つ機械としてのロボットではなく、人間の命令を聞き作業を行う傀儡としてのロボットに当てはめられたものだ。そう解釈すると君はそのロボットに当てはめられないし、そもそも私は君を傀儡としてのロボットとして造った覚えはない。それに事実君は傀儡のロボットとして存在していない。君は君自身として存在している」
私が力強く言い放ち刹那の沈黙が吹いたあと、私はアキの右肩に右手を置き、意識的に表情を歪め必死な訴えをしている印象をアキに抱かせるようにする。
「私の最後のお願いだよアキ。ノアに乗ってくれないかい? そして第二の地球が見つかった時、君達の文明を築いてほしい」
アキは自身の肩に置かれた私の手に一瞬目を向け、私の顔に焦点を戻した。
「分かりましたよ博士。博士がワタシを傀儡としてのロボットとして造っていないことは明白ですし、最後のお願いと懇願されてしまっては、ワタシも断るわけにはいきません。……ただ聞かせてください。そのお願いにはどのような意味があるのでしょうか?」
私は顎に右手を当て、その質問の返答を頭の中で整理する。
「……どのような意味があるかは私にも分からない。この願いは私の知的好奇心に起因する部分がほぼ全てだ。強いていうならそうだね、ゴールデンレコードのようなものだよ」
アキはいきなりその名前が出てきたことに戸惑いの色を見せた。
「ゴールデンレコードというと、ボイジャーのですか?」
「そうだよ。私のこのお願いはゴールデンレコードと同じようなものだ」
ゴールデンレコードとは、今から百年以上前の1970年代に行われた宇宙探査機による能動的な地球外知的生命体探査の一つだ。ゴールデンレコードはボイジャー探査機に搭載されたレコードのことであり、そこには地球外知的生命体に地球人の存在を伝えるためのメッセージが収められている。
ゴールデンレコードはボイジャー号に乗り宇宙の彼方へと打ち上げられた。遠い宇宙のどこかで地球外知的生命体がゴールデンレコード発見し、解読してくれることを期待されている。
「ゴールデンレコードと博士の願いの何が共通しているのですか?」
当然の疑問だが、その疑問に私はあえてアキが混乱するような言葉を選んだ。
「それは簡単さ。浪漫があるということだよ」
アキは首を傾げる。
「人間結構浪漫に弱いものでね、ゴールデンレコードも地球外知的生命体という浪漫に誘惑されて出来上がったものの一つだ。
当時、ゴールデンレコードに携わっている人間は皆亡くなっている。まあ百年以上前のことだから亡くなっていなきゃおかしいのだが、私のお願いとゴールデンレコードの共通点はそれに希望を託したものは、それの成果が出る時既に亡くなっているというところだ。ゴールデンレコードがその成果を出すまで万年単位の時間がかかる。なんたってボイジャー探査機が太陽以外の恒星付近に近づくだけでも四万年はかかるのだからね。
そしてそれは当時ゴールデンレコードに携わっていた人間も理解していただろう。
彼らは自身が生きているうちに絶対に成果はでないと理解しているのに、ゴールデンレコードを打ち上げた。未来に希望を託してね」
私はまた表情を意識的に変え、優しい笑みだとアキが感じるように口を釣り上げ、目を少し細めた。
「もうわかるだろう? ……君が私のゴールデンレコードさ」
顔を上に向け、目一杯に広がる青い
「私は彼らと同じような心情を抱いている。自らが死んだとしてもその意志は形あるものとして残り、いつか誰かにその意志が届く。そういう浪漫に私という人間は憧れを抱いているのだよ。だから正直この願い事に私の自己満足以外の意味はないね」
青い
「この答えで満足したかい?」
「はい。博士らしいなと満足しました」
「……そうか」
私は微笑んで見えるような表情を浮かべ、アキに再度そのお願いをした。
「改めて聞こう。アキ、私のお願いを聞いてはくれないかな?」
私はアキに手を差し出す。アキは二秒ほどその手に視線を向け、私の顔に視線を戻した。
「分かりました博士。ワタシが博士の意志を継ぐものとなります」
アキは私の手を取った。
「ありがとう……アキ」
心の底からその言葉は自然に紡がれた。
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