革命前夜

つぎはぎ

革命前夜

 私こと柳哲夫は自室に置いている少し傷が目立つ古い望遠鏡で宇宙を眺めていた。

 何度も見た光景だがその美しさは変わらず、色あせていない。そのことに安堵を覚えながら私は感傷に浸かり、ゆっくりと夜の気怠さを肺に取り入れる。


 明日、地球が消滅する。


 その事実を全人類が知ることとなったのは四年前の2100年だった。


 私はその事実を2092年の時点で知っており、それは地球の権力者も同様だった。ただ権力者はその事実を自分達が助かる方法を確立するまで、隠蔽することを決定した。


 地球を消滅させる存在の代表は、2104年に地球を消滅させることを告げた。ただ彼らの標的は地球であり地球上の生物ではなかったため、地球消滅にあたり地球上の生物がどのような行動を取ろうが関与しないことを発言した。

 それは一部の権力者だけが地球から脱出し、他の地球上の生物を見捨てて消滅から逃れようが関与しないことを意味しているのであった。


 その事実を知った権力者はNASAやスペースXの関係者と各分野の権威を呼び、地球脱出計画、通称ノア計画を始動させた。

 ノア計画では多種多様な案が出されたが、最終的には四つの案が残り、どの案を実行するかについて派閥が分かれた。


 一つ目の火星移住案は四つの案の中で最も支持者が多い案であった。

 彼らの主張はこうだ。

 火星移住自体は百年以上前から考えられており、そのため様々な研究や実験が行われ、既に技術は確立されている。火星移住案はノア計画で出た全ての案の中で最も実現可能性が高く、火星ならば人間が新たな文明を築ける可能性、第二の地球になる未来を秘めている。よって実現可能性、そして未来を見据えることを考え、火星移住が良いだろうという案であった。

 

 二つ目のガニメデ移住案は四つの案の中で火星移住案の次に支持者が多かった。

 彼らの主張はこうだ。

 確かに火星移住は最も実現可能性とテラフォーミングできる可能性を秘めており、一番良い案に思えるが、地球消滅による周囲への影響が考えられていない案である。地球消滅時に発せられる膨大なエネルギー量は、太陽系惑星で地球の隣にある火星にも影響を及ぼす可能性が存在するため火星移住は危険だ。ガニメデは木星の衛星であるため火星よりも地球から遠く、生存にはかかせない大量の水がガニメデには存在する。そのためガニメデ移住が良いだろうという案であった。


 三つ目の案はスペースコロニー建設案。

 この案も実現可能性としては低いわけではなく、案としては面白いものであり、十分検討に値するものであった。二十年前に月と地球を繋ぐ宇宙エレベーターが建設され、宇宙への物資配達に革命がもたらされたおかげで、地球でパーツを造り宇宙エレベータで運び地球より重力が弱い月で建設するという作業が可能になった。このスペースコロニーも百年以上前から考えとしてあったものである。そのため技術的な問題は少ないのだが、それよりも時間の問題が深刻であった。スペースコロニーの建設期間に、そのスペースコロニーを設置場所まで動かすための期間。どう考えても時間に余裕がなく、そのためこの案の支持者は先の二つに比べ少なかった。


 そして最後の四つ目の案が第二の地球移住案であった。

 簡単に言うと地球脱出船を造り、広い宇宙の何処かに存在する地球に酷似したテラフォーミングせずとも、地球人が生きていける環境が存在する星に移住する。というSF作品のような案であった。

 正直この案は実現可能性が他の案に比べて低いと考えられていたため、支持者が全ての案の中で圧倒的に少なかった。だが、この案の支持者の中にスペースXのCEOや人工知能研究の権威である私がいることで、支持者数が圧倒的に劣っているにも関わらず、取るに足らない案と一蹴されることはなかった。


 ノア計画が始動してから一年後。この四つの案の支持者の代表がプレゼンテーションを行い、そのプレゼンテーションの内容からどの案を採用するか決議をした。そこで私は第二の地球移住案の代表者としてプレゼンをし、第二の地球移住案の実現可能性と他の案の問題点を的確に指摘することで、第二の地球移住案がノア計画に採用されることになった。


 そこからノア計画は順調に進み、私は地球脱出船の各種の人工知能を担当した。自動運転技術の人工知能、搭乗員のメンタルケアをする人工知能、機器の故障がないかを管理する人工知能など、様々な特化型人工知能を地球脱出船のために造った。


 地球脱出船は人類の英知が凝縮されたものとなった。

 

 今まで医療用にしか使われてなかった短期間限定のコールドスリープを、宇宙用の長期間使用できるコールドスリープにして初めて運用されることになったり、万年単位の宇宙飛行に耐えるため未だ研究途中の新素材を使うことになったり、放射能の問題がどうしても解消されなかったためボツにはなったが、原子力推進が搭載される案まで存在した。

 そんな地球脱出船の大きさは東京ドームの二倍以上はあり、ロケットというよりもスペースコロニーと呼ぶ方が相応しい外見をしていたが、三つ目のスペースコロニー案よりコストも大きさも大幅に抑えることができた。


 その地球脱出船はノア計画にちなんでノアと名付けられた。


 ノアを造り終えた後は流石の私も興奮し、これ以上ないほどの達成感を感じたことを覚えている。そこにある全てが最先端の技術であり、人類史上最高の人工物と言っても差し支えなかった。ノアは二十年前に造られた宇宙エレベーターなどよりもよっぽど素晴らしいものであり、それはノア計画に携わった者の総意であることは疑いようがないだろう。


 ノアが完成した後の祝杯で、私はノアに乗らないとノア計画の最高責任者に告げた。彼は驚きはしたが私を止めることはせず、それを承諾した。

 ただ私はその代わり一つ彼に頼み事をした。一人用のノアを造って欲しいと。


 彼はその頼みを快く、かどうかわからないが頼み事を聞き入れ、ノア計画に携わった人間を私のために動かし一人用のノアを造ってくれた。

 私はノア計画への貢献度が他人よりも大きく、さらに私がいなければ火星移住案やガニメデ移住案の問題点に気がつかず、それらの案を採用していた可能性があるため、彼はこの頼み事を聞いてくれた。


 一人用のノアを彼から頂戴した半年後、ちょうど今から四年前に彼らは宇宙へと旅立ち、その十時間後に全人類に地球消滅のことが伝えられた。


 おそらく今頃ノアに乗っている権力者とその家族、そしてノア計画に携わった三百人以上の人々は、コールドスリープで第二の地球が見つかるまで眠っているのだろう。そして第二の地球が見つかるまで私の人工知能達がノアで活躍しているのだろう。


 私は望遠鏡から目を離し、薄暗い孤独を強調する部屋に視界が切り替わる。

 意識的に息を吐いたあと、キッチンに行き青色のマグカップにコーヒーを入れる。もちろんインスタントだ。


 地球消滅を全人類が知ることになった四年前、彼らを見送った後私は保存のきく栄養食や古き良きジャンクフードを持ち、保有している島で地球が消滅するまでの余生を楽しむことにした。


 今頃外の世界はどうなっているのだろうか?


 ポッと好奇心が浮かび上がる。私の最後の外の世界は、三年前に外の世界が気になり飛ばした自作ドローンで見た光景でとまっていた。その時の外の世界は酷い有様だった。人々は自分の欲望のままに生き、そこに人間の理性は感じられず、今までなんとか保っていた秩序はたやすく崩壊していた。


 正直それは予想範囲内であったので、別に驚きもしなかった。ただこの島に越した事が正解だったことを実感した。


 それよりも驚いたのは少数ではあるものの、理性と秩序をたもって生活している人々の存在であった。調べたところ元々無人島だった島を、一人の権力者とそれに付き従う者達が一年ほどで街を完成させたようで、そこに暮らす人々は平和な日常を過ごしていた。


 外の世界では強奪や殺しが日常的に行われている。肉を食べるのは命がかわいそうだと言った人は今日も生きるために動物を喰らい、ニュースで残酷な事件を見てはこんなの人間じゃないと騒いだ人は今日も生きるために人を殺し、部下から嫌われていた上司は私怨で部下に奴隷として扱われている。


 そんな殺伐とした世界と裏腹に島の世界で暮らす理性ある人々は、ゆっくりと島の畑でとれた野菜を食べ、日差しがいい日には洗濯物を干し、たまに上海蟹を大切な人とゆっくり味わう。


 彼らは平和な日常をすごしていた。

 平和な日常を意識的に演じていた。

 人々が手を取りあい地球消滅の恐怖を他人の心で埋め合っていく。

 その平和な島を知った時には彼らの生活を羨ましくも思ったが、私という人間が仕事以外で他人と関わるのは不可能だということを理解していたので、羨望はすぐに霧散した。


 地球が消滅するまで後一日。明日の午前九時に地球消滅というところまできたのだが、果たして外の世界はどうなっているのだろうか? 理性をなくした人々は命がなくなるという恐怖に怯え大人しくなっただろうか? 今までの行いを悔いたりするのだろうか?


 好奇心が芽生えていく。


 平和な島にいる人々はどうなっているのだろうか? 地球消滅が間近になった今、理性を失って秩序は失われてしまっただろうか? 恐怖に耐えきれなくなって自殺してしまっただろうか? それとも変わらずに理性を保ち、支え合って生きているのだろうか?


 好奇心の穴を想像が更に深く掘っていく。その想像はしばらく穴を掘り続けたが、私は想像したところで無意味なことを自覚し好奇心の穴を板で塞ぐ。

 ここで私はコーヒーを用意していたことを思い出し、青色のマグカップを目に映した。


 気がついたらコーヒーは口につけやすい熱さになっていた。思考の渦に呑まれてしまっている間冷めてしまったようだが、私は猫舌なのでちょうど良い温度となっており、躊躇なく飲めた。

 コーヒーを飲みながら流し台に置いてある黄色のマグカップを見つめる。黄色のマグカップは最後にホットのコーヒーで満たされたのだが、それも三時間ほど前の話でありマグカップから熱は消えていた。


 彼はどこまでいったのだろうか?


 黄色のマグカップの所有者であった彼のことで脳が満たされる。彼は私の初めての子供であり、友人であり、教え子であった。そんな彼は今宇宙空間にいる。


 彼は今日の夜七時に宇宙へと旅立った。


 彼がいないこの家は酷く寂しく感じられる。別に彼はうるさく騒いだりするわけでなく、大人しくも熱がある青い炎のような性格であったのだが、煩いほどの静寂を私は感じた。  


 彼のことを思い出しながらマグカップ一杯分のコーヒーを飲みきると、如何に彼のコーヒーが美味しかったかを実感させられる。こんなインスタントでなく彼が豆を挽いて入れたコーヒーの方が何倍も美味しく、彼のコーヒーは機械が挽いたとは思えない温もりがあった。


「アキ、君は今どうしているのかな?」


 ここから遠い宇宙空間の何処かに存在する地球で初めての感情を持ったロボット、アキ(正式名称・YANAGI031)にそっと問いかける。


 その問いがアキに届くことはないのだが、その問いが引き金となり私はアキとの日々を無意識的になぞることとなった。


 アキは地球で初めての感情を持つロボットであり、アキには人間の精神がシミュレーションされた人工知能が搭載されている。技術的特異点シンギュラリティはとうにすぎ、人間より人工知能の方が高い能力を誇る時代だが、感情を持つロボットの存在はアキが最初でありそれまでは造られていない。


 というのも、スティーブン・ホーキングやイーロン・マスクなどの先人達が技術的特異点シンギュラリティに到達する前から人工知能の法規制を訴えており、人工知能に感情を持たせることは法的に禁止にされていた。


 私個人としては研究の邪魔でしかない法律であった。事実、この法律が枷となり人工知能の研究ペースは遅くなってしまった。ただこの法律は研究ペースを代償に人工知能が人間に反抗するという、それまで人類文明が直面していた最悪のシナリオを避けることができた。


 地球消滅を全人類が知ることとなった四年前、人間が理性と秩序を失ったと同時に法律はこの世界から消え、感情を持つ人工知能を造ることも可能になった。もちろん私はそれを利用し、昔から構想だけは練っていたYANAGI031を完成させた。


 YANAGI031の外見には拘った。瞳が微かに青く光っている以外には外見から人間と判別つかない程に仕上げ、顔は十タイプほど設計した中から、顔の外見で第一印象でマイナスイメージを与えないように注意した。

 YANAGI031の呼び名は、クラークとキューブリックの2001年宇宙の旅に出てきたHAL9000から着想を得て、アキに決定した。


 アキを起動したのは二年前。起動してからアキは驚異的なスピードで物事を吸収し、それと同時に人格を形成した。アキの顔のパーツは中性的に設計したが、一緒に過ごしていた私が男だからか、アキは男性らしい人格を形成していった。


 アキは私との関わり合いや、小説や映画の登場人物の心情を読み取ることで感情を理解していき、一週間後には八割型の人格を決定づけた。


 創作物の不完全な人間で感情を覚えていって大丈夫だろうか? 


 という不安はあったが、アキは世間で言うところの優しい人格の持ち主となった。

 

 アキはコーヒーを入れるのが上手である。何度か入れているうちにコーヒーの魅力を最大限活かす手順を発見したからだ。アキはコーヒーに毎回ガムシロップを入れて飲む。私はブラックが好きなのだが、アキはガムシロップを入れるのがお気に入りなようだった。お気に入りという概念がアキに出てきた時、私はアキが本質的にロボットから人間に生まれ変わろうとしているかに思えた。


 アキはその後もお気に入りを増やしていった。


 アキはベランダデッキをお気に入りの場所にしており、時間が空いている時はよくそこにいた。「何故ここが好きなんだい?」 と私が問いかけるとアキは「自然の音が聞こえるから好きなんです」 と答えた。


 アキにはお気に入りの小説があった。「これはどういうところが魅力なんだい?」 と問いかけるとアキはその小説の魅力を熱弁した。その姿は好きなものを他人に嬉々として語る人間そのものであった。


 アキは気遣いができるロボットである。私が怪我をしたらすぐに救急箱を持ち、完璧な処置を施してくれた。私が体のこりを解消する磁気治療器を使うのを見ると、アキは私にマッサージを施してくれた。私には妻も子供も存在しないため本当の感覚を知らないのだが、アキが肩を叩いてくれるその時は、自分の子供に肩たたきをしてもらっているような暖かい感覚を味わえた。


 そんな生活をしているうちに私は、アキの本質的な認識を本格的にロボットから人間へと変えていった。


 私がアキを人間だと認識したのは地球消滅の一年前。


 一年あれば充分であった。


 私は感情を持つロボットを九台こしらえ、その造ったロボットをパーツごとに分類し、一人用のノアに詰め込んだ。一人用と言ってもノアはかなり大きく、十人ほどなら暮らせるスペースは存在していた。


 一年あれば充分と言ったが、九台のロボットを造るのはやはり時間がかかり、九台全て完成した時には地球消滅まで後二週間というところであった。


 浪漫の水が心を満たしていくのを感じながら、私はアキにそれを告げるタイミングをじっと待つ。

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