早期予約限定特典 道の日
~ 八月十日(月祝) 道の日 ~
ブルーサルビアの花言葉
永遠にあなたのもの
爽やかに晴れた夏の昼下がり。
白い白い丘の上。
手すりの無い。
解放感に満ちたウッドデッキ。
見下ろせば、斜面に青々と波うつ。
芝生で出来たクリームソーダ。
しゅわしゅわきらきら。
炭酸の粒がころころ波にさらわれて。
木漏れ日の揺れるテラスから。
七色ストローでひとくちすすれば。
涼しくて、爽やかな緑色の香りが。
凝り固まった背筋を溶かしてしまうのです。
爽やかに晴れた夏の昼下がり。
水玉の妖精たちが芝生の上で。
右に揺られ、左に揺られ。
せみ時雨の伴奏に合わせて。
さわさわ歌う笑い声。
そんな演奏に加わった打楽器は。
エインズレイのティーカップ。
金の小さじでかちゃかちゃと。
休日の午後をゆっくり溶かしていると。
夏にお似合いの。
さっぱりとしたおやつが。
右の後ろ、レストランで培ってきた心地よい角度から差し出されたのです。
そんな。
爽やかに晴れた。
夏の昼下がり。
「新製品、モツバーガーなの」
「たったの一口で爽やか気分がぎっとぎとなのです」
あと、その商品名は。
叱られるのでやめましょうね。
――パフスリーブの白いブラウス。
ひざ下がシースルーになった大人びたスカート。
数か月前とはどこか違う。
大人の色香。
優雅な気品。
そんな二つを、軽い色に染めたゆるふわロング髪と一緒に三つ編みにして。
ゆったり肩から前に垂らした女性。
彼女の名前は……。
「ねえ。何をきょろきょろしているのです?」
大人なレディーさん。
きょろきょろと辺りを見まわして。
隣のテーブルの、さらに向こう側にしか椅子がないことを知ると。
床にそのままお尻でペタン。
そして頭のてっぺんから真っすぐ生えたブルーサルビアを。
プランプランと揺らすのでした。
「……君、来年の秋には二十歳になるってのに。驚くほど子供のまんまだね」
「そんなことないの。欲しいもんとか、大人びてるの」
「今、一番欲しいものは?」
「塩からと番茶」
うん。
大人、かな。
首から提げた、プロ仕様のカメラを。
訳も分からずにあっちゃこっちゃいじってますが。
「……やっぱ、大人、却下なのです」
「なんで?」
「それは晴花さんの大切なカメラ。勝手に取っちゃダメなのです」
「でも、取りたかったの」
そして、俺に向けてシャッターパシャリ。
「……勝手に撮っちゃダメなのです」
「でも、撮りたかったの」
取りたいから取っちゃって。
撮りたいから撮っちゃって。
やっぱり子供じゃないですか。
「どれ。せめて大人な写真が撮れているのでしょうね?」
「ばっちしなの。道久君らしい完璧な一枚」
彼女が差し出すカメラを受け取って。
再生モードで見てみれば。
「どピンボケ」
「道久君らしいの」
「今どきのカメラでこんなことになるはずが……、今なんて言いました?」
「あのね? 最近お店に入った男の子、頑張ってるの」
「ごまかせるとお思いで?」
そんな大人の女性が手を伸ばすので。
俺は紅茶をソーサーごと渡してあげると。
冷ましもせずにくいっと一息で飲み干して。
空のカップを返しながら。
「道久君にそっくりな子なの」
「そうなのですか? どんな子?」
「もろもろ真逆」
ん?
未だに君の日本語は難しいですね。
まだ日本に来て二十年も経ってないから。
使い方間違うのも仕方ないか。
「逆なのに、どこが似ているというのです? ……あと、なんでカメラがべとべとなのです?」
「道久君を一言で表現できる一番の特徴が酷似してるの」
「それは?」
「毎日、外に立ってるの」
「不憫でなりません。俺が」
もう立ってませんって。
……毎日は。
やたらと昔の技法ばっかり教える頭の固い先生が。
誰かさんにもじゃもじゃかつらをかぶせたような先生が。
どういう訳か、受け持ちの火曜日になると。
嬉々として俺を立たせるのですけれど。
「それが俺を表す一番の特徴とか言わないで下さい。それよりこのベタベタ……」
「そっくりなの。いこみきなの」
「なんです?」
「いこきみ」
「……またなにか勘違いして覚えたのですか?」
眉根を寄せた俺に、また手を差し出してくるので。
ヘアアレンジ用のアイデアノートを手渡します。
するとこいつは。
真新しいページにでかでかと『2』の字を四つ書いて突っ返してきたのですが。
「だれも、君の携帯の暗証番号なんか聞いてません」
「そんなのかけ方分からないの。あと、数字じゃないの」
そう言われて、改めて眺めてみれば。
書かれていた文字は。
『已己巳己』
「…………おのれおのれおのれおのれ? 親の仇?」
「いこきみなの。そっくりさんって意味なの」
「でたらめを言っているのではありません。それより、カメラ油まみれじゃないですか」
「そりゃそうなの」
「なんでさ」
「モツ焼いたら、大概そんな感じ」
「首から提げたまま料理したのですか!?」
よく見れば。
ブラウスにも油跳ね。
まったく。
これのどこが大人なのでしょう。
「……はっ!? ピンボケの正体見たり脂がねとーり!」
「字余りなの」
「誰かの大切なものは、自分も大切にするのです!」
「…………パパが言ってくれたやつなの。でも、今日はこれでいいの」
「良くないですって!」
これ、手遅れかもしれない。
なんて言って謝ったものか。
頭を抱えた俺の耳に。
砂利を噛む靴音が届きました。
「おおい! そろそろ帰るぞ!」
「もうそんな時間なの? もうちっといたいの」
「そうはいかねえ。レジ、岐阜駅で見つけたって晴花から連絡あったから取りに行かなきゃならねえんだ。……ほんとにお前がやったんじゃねえんだな?」
「しつこいの。レジなんて重たいもん動かせないの」
「あれ、晴花が愛してやまねえ大切なレジって分かってんだろうな?」
「だからあたしじゃないの」
そう。
どうやら、ワンコ・バーガーから。
晴花さんが心の友と呼ぶ程の。
レジが盗まれたらしく。
カンナさんはここに来るなり。
随分とあらぶっていたのです。
どれぐらい愛しているかと言えば。
もしも捨てられたと知ったら。
一目散に駆け出して。
そのゴミ捨て場を探し出して。
拾ってくるに違いありません。
「……では、また遊びに来ると良いのです」
「道久君、ほんとに夏休みはずっとここにいるの?」
「休みというか、ここで仕事しているようなものなので」
「うん。……頑張るの」
「はい」
大人な女性は。
頭からブルーサルビアを抜いてテーブルに置くと。
カンナさんへ、にっこりと微笑みます。
「そんじゃ行くか! 今度はお前の後継者も連れて来てやるからよ!」
「それは楽しみなのです。一緒に傷を舐め合うこととしましょう」
「ははっ! ……それより、晴花に会えなかったことが残念だな」
カンナさんは長い髪を風に吹かせたまま。
遠く、岐阜の街の方を見つめます。
「なんてったっけ? あの先輩サン」
「金澤さんなのです」
「大切な話があるとか言われたのに、散々行くの渋ってたんだよな?」
「ええ、今朝までは」
「ほんとは行きたがってたの。金澤さんのこと好きなの見え見えなの」
晴花さん、急な事件が起きると相変わらずパニックを起こしてしまうので。
三日前に届いたメッセージを見て以来。
ずーっと使い物にならなかったのです。
「今日は五百枚写真撮るから行かないとか言ってたのですけど、偶然カメラがどこかに消えちゃいまして」
「ふ~ん、なるほどね。その先輩と、どこで待ち合わせって言ってたっけ?」
「…………岐阜駅ですけど」
そして、カンナさんは。
見慣れたニヤリ顔を俺に向けながら。
手をひらひらと振って。
軽い足取りで。
斜面を下って行きます。
「……ほら。君も行きなさいな」
「そうするの。じゃあ、また今度なの」
大人の女性は。
少しだけ寂しそうに微笑むと。
右手で前髪を押さえながら。
俺の頬に、ちゅっとキスをして。
カンナさんの後を追いかけて行きました。
……そんな背中を見つめながら。
「人前ではやめろと言うのに、何度言ったら分かるのでしょうか」
俺は、久しぶりに重たい物を運んだせいで筋が痛む右手で。
キスされた頬を押さえます。
そして、左手に。
頬にキスしたシシャモを握りしめながら。
車の姿が見えなくなるまで。
いつまでも立ち尽くしていたのでした。
……後継者、ですか。
彼に。
いつか幸せのあらんことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます