ハンサムの日


~ 八月六日(木) ハンサムの日 ~

  本日の発明品? ブルジョアうちわ


 ※九夏三伏きゅうかさんぷく

  夏の一番暑いころ




 駅前の個人経営ハンバーガーショップ。

 夜のワンコ・バーガー。



「……なあ。客席側もクーラー入れねえ?」

「入れねえ」


 今日も二十時半に閉店。


 昨日、ひなまつりだった反動で。

 はにかむルーレットを回しに来るお客がひっきりなし。


「しかし、他の食材余ってんのに店閉めなくても」

「はちみつが切れちまったんだ。閉めて当然」

「その辺で買って……、いや、確かにそういう訳にゃいかねえか」


 雛さんが静かに首肯してるが。

 そう、はちみつはモノによって味が全然違うからな。


 いつも使ってる品が無けりゃアウトって訳か。



 ……バイトあがりの二十一時まで。

 ゆっくり目に掃除して過ごす。


 そんな俺と一緒に。

 床にモップをかけてるのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 手で顔を扇いだりして。

 やっぱ暑いよな、


 俺もさっきから。

 あごからぽったぽった落ちる汗を。

 自分で拭いてるだけな気がする。


 湿度に弱いんだ、俺は。



「……なあ。やっぱ客席側もクーラー入れてくれ」

「だから我慢しろ」


 刃物女が切れ味も鋭くばっさりな理由は。

 ケチケチしてるからってだけじゃなく。


 雛さんと。

 作業効率化の小難しい相談をしてるせい。


「あのさ、おばさん。あたしは作り置き自体が反対だって言ってるんだ」

「ここんとこ、ピーク時にはオーダー順すっ飛ばして同時に作ることあるだろ? 客への提供は順番通りって気ぃ使ってっけど」

「だからって保温型の作り置き棚は反対だって」

「じゃあ、厨房の完成品仮置きテーブルが一杯になるタイミングがあるってことの解決にならねえじゃねえか」

「厨房の人数増やすって発想に何でならねえ」


 雛さんの言いたいことはよく分かる。

 俺を厨房に入れろって話を通そうとしてるんだ。


 でも、そんなちゃんとした話。

 刃物女にしたって無駄だろうに。

 なぜ隣に座ってる店長さんに聞かん。


「ああもう、しまいだしまい! ひとまず棚で解決すんだから、それで行く!」

「ちょっと。まともに話聞けよ、おばさん」

「がはははは! 酔いが回って来たからな! また今度な!」


 ほらみろ。

 わざわざ事務室から肘掛け椅子厨房に持ち込んで。

 ビール煽ってるようなヤツに相談するからそうなる。


「まったく……。それよりカンナ。酒、やめたんじゃなかったか?」

「こう忙しくて売上も上がってるとな! もう一本行っとくか!」

「カンナ君。また、足下すくわれないようにね……」


 ようやく口を出した大人な店長さん。

 『また』って言ってたけど。


 今と似たようなバブル景気が前にもあったってこと?


 舞浜も気になったみたいだな。

 俺と目を合わせてモップかける手を止めて。


 二人で聞き耳立ててみる。


 ……このバイトに入ってから。

 店の評判、何となく悪くなった気がしてて。


 俺も舞浜も。

 ネットのスレッドとか。

 ご近所さんに相談されたりとか。


 お互い、何となく気にしてる。


 そんな悪評のうち、最近多いのは。

 空き地に勝手に車停める人がいるとか。

 お客が歩きながらバーガー食べてゴミが落ちるとか。


 でも。

 そんな気分が一瞬で塗り替わるから。

 不思議なもんだ。


「なあに心配してんだよ! 平気平気! 夏休みの間だけ引っ張って、あとは平常運転に戻すって方針も決まってるし! みんなあたしに付いてこい!」


 やれやれ。

 パワフルだこと。


 俺は舞浜と苦笑いを交わしながら。


「……変な奴」

「で、でも。かっこいい……、ね?」

「女性客に人気あるって思ってたけど。女性店員にも人気ってことか?」


 舞浜、こいつのこと怖い怖いって毎日怯えてるくせにどこか信頼してるし。

 雛さんも、さっき重要な相談してたし。


「おいハンサム女」

「なんだそりゃ? あたしのことか?」

「なあ。クーラー入れねえ?」

「入れねえ。それよりハンサムってなんだよ。バカにしてんのか?」


 背もたれ越しにふんぞり返ってこっち見てる酔っ払い。

 べつにバカにしてるわけじゃねえ。


「お前、雛さんといい客といい。女に人気あるから」

「男前な顔立ちって意味か?」

「ちげえよ。ハンサムはhandとsomeくっ付けた言葉。女を手で操るって意味だ」

「なるほど、そりゃあたしにぴったりだな」

「男もうまく使え。なんだよあのピカパー」


 あの支配人男。

 勝手な時間に来て勝手に帰るけど。


 レジ打ち遅いし。

 ドリンク淹れ間違えるし。


 お客があいつに用事があって声かける時。

 『生理的にアレな店員さん』

 って呼ぶのが定着してるし。


「あいつ、邪魔なんだが」

「そんじゃ、お前がピカパー担当だ」

「……既にあいつの尻拭いは俺がやってる」


 舞浜も、他の事に手が回らねえほどいっぱいいっぱいだし。

 俺が三人分くらい働いてるっての。


 しかし、どうやら。

 クーラーは厨房のみってことで話はしめられた。


 九夏三伏きゅうかさんぷく

 暑い暑い。


「つ、使う?」


 そう言いながら。

 舞浜は、うちわなんか出してきたんだが。


 汗が目に入って。

 首から提げたタオルで拭いている間に。


「おお! こいつはいいな!」


 いつの間にフロアに来てたんだか。

 刃物酔っ払い女が舞浜からうちわを取り上げた。


 そして。


「やっぱこっち暑いな……」

「カ、カンナさん。それは……」


 厨房に引き返していくのを。

 舞浜の奴、必死に追っかけてく。


 ははあ。

 さては、なんかネタしこんでやがったな?


 あぶねえあぶねえ。

 なんて見事なタイミング。


 今なら間違いなく。

 大笑いさせられてた。


 俺の代わりに、舞浜の洗礼を受けるであろう刃物酔っ払い泥棒女。

 その無様な笑い顔を見届けてやろう。


 肘掛け椅子にドカッと腰かけて。

 取り返そうとわたわたする舞浜を尻目に。

 うちわを使う刃物酔っ払い泥棒女。


 そんな様子を見て。

 雛さんが眉根を寄せた。


「……カンナ。それ、何か描いてある?」

「ん? ……これ、ブランデーグラスか?」


 テーブルの上にペタンと置いたうちわをみんなが覗き込むと。

 そこには確かに、うちわの形をそのまま利用して描かれたブランデー。


「おお! これであたしもブルジョワ階級の仲間入りか!?」


 そして調子に乗った刃物酔っ払い泥棒成金女が。

 うちわの柄を指に挟んで金魚鉢みてえなグラスを手で転がしてふんぞり返ると。


「おいバカ浜! 猫が足りねえ!」


 なにやら無茶なことを言い出したんだが。


 舞浜の奴。

 厨房に入った俺の方を。

 チラチラ見てやがる。


「なんだ? 俺は持ってねえぞ、ペルシャ猫なんか」

「そ、そうじゃなくて……、ね?」

「……ってことは、こういうことか?」


 なんとなく察してやった俺が。

 うちわをひっくり返したその瞬間。


 一同揃って大爆笑。


「うはははははははははははは!!! もがいてる!」

「なんだよこいつ! 逃げたいのかよアタシの手から!」


 ムッとしてる刃物酔っ払い泥棒成金女の手の上から。


 ペルシャ猫が。

 必死の形相で脱げ出そうとしてやがる。


「よく分かってるじぇねえか、その猫」

「ほんとだな。おばさん、その猫にどんな無茶な命令してんだよ」

「うるせえ! こらバカ浜! これじゃどっちかしか持てねえじゃねえか!」


 確かにそうだが。

 文句言うとこそこかよ。


 ……いや?

 いい反撃思い付いた。


「こうすりゃ両方同時なんじゃねえか?」


 うちわを取り上げて。

 柄を両手に挟んで。

 こうしてくるくる回せば……。


「がはははは! 溺れる! ねこ溺れてるじゃねえか!」

「ぷっ! ……か、可哀そうだ。やめろ保坂」


 店長と小太郎さんは苦笑いしてるけど。

 心優しい二人にはブラックが過ぎたか。


 さすがに舞浜も。

 これには眉根を寄せて俺を見上げるばかり。



 いかんいかん。

 腕が鈍ってたか。


 こいつ笑わせる事。

 すっかりサボってたし。


 俺と一緒に掃除に戻った舞浜。

 こいつの事を。


 無様に笑わせねえと。



 …………だって。



「なにしょぼくれてんだよ」

「しょぼくれてない……、よ?」


 仮面の微笑向けられても。

 素顔くらい分かるっての。


「……バイト、つらいか?」


 俺の言葉に。

 首を左右に振った舞浜だったが。


「……でも、ね?」

「ん?」

「これ。…………ダメだと思う」


 また。

 いつもの言葉をつぶやいて。


 モップをかけ始めた。



 ……これって。

 何のことだろう。



 俺が、舞浜を笑わせるためには。

 どうやら、そんな謎を解かなきゃならないようだ。

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