親子丼の日


~ 八月五日(水) 親子丼の日 ~

  本日の発明品

   ひえひえミストカーテン


 ※轗軻不遇かんかふぐう

  相応しい地位や境遇に恵まれない




「…………いやはや」

「な、なに……?」


 正直、凄いとしか思えない。

 これで時給千円足らずって。


 俺から見れば轗軻不遇かんかふぐう

 でも、まるで気にしてない様子。


 マッドサイエンティスト心理なの?

 実験と工作が出来れば満足なの?



 店外に行列を成すお客から。

 暑い遅いってクレームが出るようになって。


 ご近所さんからは。

 並んでるお客がうるさいって怒られて。


 双方からのクレーム対処。

 たった一晩でミストカーテン装置を作っちまった激安工務店。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 前にも思ったけど。

 お前、こんなとこでバイトしてるのもったいない。


 多分どんな会社でも。

 破格で採用したいって言い出すはず。



「こ、これでちょっぴり涼しくなる……、ね?」

「そうだな。行政に叱られるまでの間は、な」


 いくら各御家庭に断りいれたとは言っても。

 道路にこんなの作ったら怒られるに決まってる。


 でも、おおむね双方からは好評で。


 お客からは、多少涼しくなったし都会っぽいと言われ。

 ご近所さんからは打ち水代わりにもなるし多少静かになったと言われ。


 ここの所、連日一人頭二桁に上るクレームを言われ続けて来た俺たちは。

 ようやく平和に過ごせる今日を心から喜んでいた。



 ……まあ。

 今日、クレームが少ないのには別の理由もあって。


 クレームをつけるような客は。

 各所に置かれた看板を見て。


 すぐに帰ってしまっているせいもあるんだが。


「しかしこの店。変な店員ばっかりだとは思ってたけど」

「そ、そう? 雛さんの料理、美味しいから納得……」


 本日お並びのお客様。

 きっちりと大人の服装、大人の態度。

 そしてなぜだか眼鏡率が高い。


 これは、いわゆるファン心理。

 推しのアイドルに迷惑はかけない。


 そのパフォーマンスに、思うがまま課金して。

 彼女の価値を自らの手で高め。

 運営に次もステージを開催してくれとアピールする。


「おまえら! 暇なら休憩先に入ってくれ!」


 店の前から声をかけて来た刃物女が。

 遠くまで見えるよう、位置をずらしたのぼりに書かれた文字。



 『恒例! ひなまつり開催中!

  名物料理人・加藤雛による月に一度の

  パフォーマンス 今月の料理は親子丼!

  ※本日他のメニューは提供できません』



 ……雛さんは。

 口は悪いが、この店じゃ店長の次にまともな人だ。


 そんな人が、こんなおかしな店で働いている理由。

 思う存分料理の腕を磨けるから。


 前に、休憩が被った時。

 語ってくれた彼女の目は真剣そのものだった。



「おい刃物女。改めて聞くけど、今日のは一体何?」

「ひなまつりだよ」

「だからそれを説明しろと言っている」


 今日もあちいなとばかりに空を仰ぐ刃物女は。

 胸元をぱーぱー扇ぎながら昔話をし始めた。


「ずいぶん昔にな? あほんだらが発注ミスってステーキ肉ばっかり大量注文しやがったんだ」


 あの大人な店長さんが?

 ……ああ。

 こいつ、自分のミスをあの人のせいにしてやがるな?


「そんで苦肉の策。丸一日ステーキ御膳だけ販売したんだよ」

「ハンバーガー屋で?」


 そんなバカな。


「あほんだらはステーキ肉買い取ってくれる場所探して手が空かなかったから、ひな子が一人で料理作ったんだが売り上げはさっぱりだったんだ」


 当たり前だ。

 なんでハンバーガー屋でバーガー売ってねえんだって帰るぜ普通の客なら。


「でも、反響がやばくてな? 食った客の八割方からまた是非開催してくれって要望が出たんだよ」

「それで定期的に開催してんのか。そんな凄腕料理人がなんでこんなとこで働いてるんだよ。轗軻不遇かんかふぐうだ」

「ひでえな、言いてえことは分かるけど。あいつ雇った時、条件でバカ太郎はクビにしねえって決めたからだとは思うけどな?」


 まるで他人事みてえに話す刃物女が見つめる先。

 店内では、ひなまつりルールとやらで。

 小太郎さんが一人でフロアの仕事をしているんだが。


「……前から気になってたんだけどさ。雛さんって、なんで小太郎さんには話し方違うの?」

「さあ? 彼女だからじゃねえの?」



 …………え?



 言われてみれば当然の帰結。

 なのになぜだか。

 まったくその現実を受け入れられない俺がいる。



 なんという月とスッポン。



 そんなところへ。

 店内からひょっこり顔を出した雛さんが。


 行列に向けて大声をあげた。


「お客様、申し訳ないが十五分だけ休憩させていただきます」


 ……朝から動きっぱなしだもんな。

 ちょっと休まないと最高のパフォーマンスはお届けできない。


 そんな宣言に、ファンの皆さんからは。

 たっぷり休憩してくれと。

 今日も最高の料理を期待してますと。


 返って来るのはあたたかい言葉と笑顔ばかり。


 ほんとにアイドルみてえだな。


 俺は、雛さんの後を追って。

 味覚を狂わせないように水を注いで。


「お疲れ様です、どうぞ」


 厨房で休憩し始めた雛さんに渡してあげた。


「おお。ありがとう」

「なあ、雛さん。なんで親子丼なんだ?」

「今日は親子丼の日だからな」

「は?」


 そして気付けば小太郎さんと舞浜もドリンク注いで。

 厨房で休憩し始める。


「八月五日。母と……」

「……子だから、か。面白いな」


 雛さんはそれきり返事をせず。

 クールに水を一口飲んで。

 ふうとため息をつく。


 よっぽど疲れているんだろう。

 だが、まだまだ外にはお客さんが並んでるし。


 もうひと踏ん張り頑張って下さい。


「……そうか、今日はまかないねえのか」

「ん? 作ってやるか?」

「いや、雛さんは休憩してろって。自分で作るよ」


 と、言っても。

 材料は親子丼用の物ばかり。


「舞浜。雛さんの足元にも及ばねえだろうが、親子丼でいいか?」

「う、うん……。いつもごめんね?」

「そこはごめんじゃなくてありがとうって言うのが友達だぜ。小太郎さんと雛さんは?」

「あたしはいいや。……コタローは食べといたら? お腹空いてるでしょ?」

「じゃ、じゃ、じゃあ食べたいな……。ごめんね?」

「そこはごめんじゃなくてありがとうって言うのが先輩だぜ」


 さて、鶏肉は超新鮮。

 これならそんなに火も通さないでいいだろう。


 フライパンにみりん。

 火にかけて煮切りながら鶏肉と玉ねぎをカット。


「おお。やるなあ保坂」


 出汁と醤油、砂糖を混ぜてフライパンに突っ込んで。

 鶏肉は皮目を下に。

 具材を突っ込んだらどんぶりにご飯。


「……いや。やるってどこの騒ぎじゃ……。なんだその手際」


 そして鶏肉にお玉ですくった熱々のタレをかけて色が変わったら。

 玉子を割って三回だけ箸で切って。


 火を一瞬最強にしてグツッっといったとこに玉子いれて、すぐに火を消して。


「ほい出来た。熱いから気を付けてくれ」


 俺流、とろとろ親子丼完成。

 小太郎さんと舞浜。

 自分の分をよそっていただきます。


 俺はいつも通りご飯極小。

 つゆだっくだっくにして汁ものみてえにして食うのが好きなんだ。


「お、おいしい……、ね?」

「おお。良い鶏肉だな、これ」


 いつものように食い始めた俺たちを。

 ぽかーんと眺めてた先輩コンビ。


 そのうち、小太郎さんが一口食べるなり。


「うわうわ! こ、こ、これおいしいっ!」


 目を見開いて騒ぎ出すと。


「いや、嬉しいけど大げさ……」


 妙にそわそわしてた雛さんが。

 小太郎さんから丼取り上げて。


「うっ! …………うめえ」

「雛さんまで。大げさだよ」


 どえらい過大評価。

 俺は食べてねえけど。

 雛さんの料理の方がうめえに決まってる。


「こうしちゃいられねえ! 後半に向けて調理手順変えてみよう!」

「ちょっ……、雛さん!?」


 いやいや!

 休憩してろっての!


「試作は……、一回しかできねえか……。なら同時に二つ……」


 俺の料理が。

 一体、雛さんに何を思い付かせたのか。


 ぶつぶつ独り言を口にしながら。

 料理を始めちまった。


「ひ、ひ、ヒナちゃん? 大丈夫?」

「うん。コタローは休んでて。温度を五十度くらい……、いや、それじゃ低すぎるか……」


 なんか。

 俺、余計なことした気がする。


 申し訳ない気持ちで飯をかっ込んでたら。

 舞浜に袖を引かれた。


「ほ、保坂君にはごめんなさいだけど、でも、雛さんの作った親子丼の方が美味しかった」

「そうだよな? でも、なんか思いつかせちまったみたいで気が引ける」


 そんな俺の言葉に。

 気にしないでいいんだよと。

 舞浜は、半分仮面を外した笑顔で微笑みかけてくれた。



 ……同類、か。

 どんな条件でも。

 好きなことなら思いっきりできる。


 俺は呆れた二人を交互に見つめながら。

 親子丼をずるりとすすった。



 ……ん?



「雛さんの親子丼の方がうまかった? いつ食った」


 俺、休憩これが一回目なんだけど。


「ぎくっ」

「擬音、声に出してねえで。白状しろ」

「き、休憩のたび。作ってもらってた……」

「たび?」


 そして俺の親子丼を指差して。


「こちら、本日三組目のご家族となります……」

「うはははははははははははは!!! ……食い過ぎだっ!!!」



 でもそうか。

 そんなにうめえのか。


 雛さんの親子丼。

 凜々花と春姫ちゃんにも食べさせたいな。


 今日は仕事ねえから早上がりして。

 二人を誘って行列に並ぼう。



「……わ、私は?」

「食えるもんなら食ってみろ」


 あと。

 人の心を読むな。


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