血管年齢ショックもあるんですが。祖父のこと。
今朝起きたら、何気なしに祖父のことを思い出したんです。で、車を運転しながら祖父のことを考えていました。
祖父は大正生まれ。明治から続く雑貨屋の長男でした。もともと読書家で、勉強も大好きだったようで、当時では珍しく、高等学校にも進学したようです。
戦争中は、徴兵され、南の離島に送られたとのこと。連日のように、本土攻撃に向かう敵国の飛行機が頭上を通過するのを眺めながら終戦を迎えたラッキーボーイだったそうです。
戦後は、再び実家に戻り、家業を継ぎました。そもそも勉強家だった彼は、商いなんて向いてなかったんですよね。教師や公務員にでもなれればよかったんでしょうけれども。
東京から空襲で焼け出されてきた祖母とお見合い結婚をし、商才もないままに、家業を営む毎日。
長男、長女、二男を設けたものの、無口で本ばかり読む毎日。昔は、
晩年、認知症になり、結局は肺炎で亡くなったんですけれども。その際に、彼の日記が大量に出てきたんです。父は、「親父は根暗だった。おれは、そんな親父の日記を見ると、気持ちが滅入る。これは破棄する」と言ったので、私が引き取ることにしました。
ここ数年、その日記を開いてはいないのですが、祖父が亡くなった後に、日記を読んでみると、なるほど。父の言う通り。内容は売り上げが思わしくない、体調が思わしくないというマイナスな内容が多いんです。しかし、たまにちょこちょこと出てくるのが私のこと。
「今日はうさこが遊びに来た。うさこと手をつないで散歩しながら幼稚園の園庭に行った。うさこはよく話し、かわいらしい——」
小学校一年生の夏休みに、父親が実家に帰り、その時から祖父とは同居生活を送りましたが、それまでは年に数回、帰省する程度。その時のことを書いている一文を発見したんです。
元々、無口で本ばかり読んでいる祖父でしたので、私のことを「かわいい」と見てくれていたということを日記で初めて知り、驚きました。孫たちには興味ない人なのかと思っていたんです。いや、確かに、思い起こせば、小柄で頭つるつるの祖父が、学校から帰ると、いつもニコニコして「お帰り」って言ってくれたっけ。
なんだかそういう日常のことって、あんまり覚えていない。
私が小学校一年生で同居した時、祖父の家は大きい商家で、縦長の作り。店があって、その奥は茶の間と仏間が続いていて。店からは中庭に続く通路があって、トイレはくみ取り式でした。敷地内の奥には蔵があって、私たちはそこの二階で生活をしていたのも思い出します。あー、懐かしい。井戸があったり、裏木戸があったり。
今、娘たちがいたら、もう目の色変わるんじゃないかしら。雑貨屋に並んでいる品物は子ども心にワクワクするものばかりでした。
漬物の樽は大きいし。野菜の種は面白い。スプーンやフォーク、鉛筆を削るナイフ、蝶番や、いろいろな大きさの南京錠。竹ぼうき。梅干し干すザル。夏になると出てくるお盆の提灯。粉の洗濯洗剤もあったな~。シャンプー、リンスもありました。
もう、欲しくて欲しくてたまりませんでした。
祖母はおしゃべりで、二・二六事件のことや、若いころ、東京でのお嬢様暮らしのこと、結婚してから夫に苦労させられたことなど、いろいろな話を聞きました。
当時、嫁は家族の御給仕をしているので、気が付くと自分の分のごはんがなくなる毎日だったそうです。そこで、近所の人からアドバイスをもらい、ごはんが少し残っている状態で、水を張ってしまうんですって。で、後で、台所で水の中から米をすくって食べていたという話も聞きました。
生前、もっといろいろ話をしておくんだったと後悔した記憶があったこと。なんだか今朝は不意に思い出したんですよね。結局は、多くを語らずに逝ってしまった祖父ですが、なんだか日記を読み返してみようかと思います。
あ~あ。午前中。血管年齢測定をしたら、「毎年1.3年のペースで老化しています」だって。ショックー。真面目にエッセイ書いたのに。嫌な一日です。
今日はこの辺りで!
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