物を書くには勉強も大事なんだな(今さら)
おはようございます。土曜日です。職場に自称「雨女」の後輩がいるのですが、彼女がお休みの日は雨が降るのです。娘ちゃんと自転車を乗りに行こうとすると雨が降って来るんですって。そう言えば、先日の29日も彼女が職場にいた午前中は曇っていて、自宅に帰った後に大雨になるという事が起きたとのこと。更に昨晩は、彼女と残業。帰ろうと職員玄関を出ると暴風の荒れ模様。ところが彼女と別れて、自宅周辺に到着すると、先ほどまでの雨が嘘のように晴れていました。
そういうのって偶然なんでしょうけれども、人って色々なことに意味付けをしたくなるものですよね。このゴールデンウイークも曇りか雨の予報。彼女は休まずに仕事に来ていたほうがいいのでしょうか。
ここのところ、創作系エッセイが熱いですよね。夏緒さんのところエッセイ。
「添削ってどうなのよ」
https://kakuyomu.jp/works/16816452219845918932
すっごく勉強になります。なにかを習得するにはステップっていうものがあると思うんです。私が仕事でバイブルとして何度も読んでいる本があります。奥川幸子先生著の「身体知と言語」というものなんですけれども。これは私の業界では知らぬ者はもぐりと言われるほどの神の書であります。私が仕事で駆使している対人援助論のことが詳細に書かれているのです。
援助者とクライアントの関係性。臨床の実践家が、そのスキルをどのような過程を経て熟成していくのか——そんなものが言葉で表現されている書です。
それが物書きとどうなのよ。ってことなんですけれども、奥川先生は本の中で以下のようなニュアンスのことを述べています。
「センスのいい奴は、勉強しなくてもそこそこまで行けるものだ。ただし中堅からベテランへの壁を超えるには、自分の行動——暗黙の知——を言葉で表現できなければらないのだ」
ということです。つまりですね。そもそも持ち合わせた資質がある奴は、大して勉強をしなくても、そこそこまで行けるものだ。しかし理論を駆使し、それを自分でどう使ったのか、を言葉で表現できるようになってこそ、初めてプロの領域に踏み込めるのだ——ということなんです。まあそして、裏を返せば「センスのない奴は、ともかく勉強しないと中堅にもなれないぞ」ってことですよね。
夏緒さんのエッセイを読んでいると「なるほどな。そうだよな」と納得させられてばかりです。物を書く時って、感情に身を任せて書いているわけではなくて、それをどう伝えるのか、すっごく試行錯誤しているわけですよね。ですから、そういった自分が工夫していること、こだわっていること、ここはこうしたんだ! ってところ、ちゃんと言語化できないと、次に繋がらない。雰囲気で書いて、「あ、いいの出来ちゃったよね」では、もう一度同じものは書けないってことなんだよなって。今さらながら改めて思うわけです。
私は音楽をやっていますが、若いころ、よく指導者から言われました。
「自分が感動に溺れてはダメ。その感動をどう表現するのかを冷静に考えなくてはいけないんだ」
自分が自分に酔いしれちゃダメってことですよね。自分が自覚したその感動を、どう読者にも伝えるのか。ものを表現するって、感覚じゃだめってことです。やはりなにを置いてもスキルが大事なんですよね。先日読了した「ミステリの書き方」も大変勉強になりました。プロの作家さんたちが絶対にしないことで多かったのが「飲酒したら書かない」でした。それって我を失ってはダメってことですよねえ。
スキルもクソもない私ですから、やはり勉強をしないといけないようです。——なんて身構えてみたら、ミステリの書き直しに手が付かなくなっちゃいました。という言い訳エッセイでした~笑
さて、創作論が熱いエッセイが多い中、日常のことばっかり書いているのもなんなんで、少し次回からは創作論書いてみようかと思います。え、興味ないって? そんなこと言わないで。キャラクターづくりについて少し書いてみますので、こうご期待ください笑!
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